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追放令嬢はドレスを捨てて鍬を持つ。  作者: 月雅


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第5話 商談は畑の真ん中で


「……おはよう。まさか、こんなに熟睡できるとは思わなかった」


朝日の中、芝生の上で上半身を起こした男――アレクセイさんが、眩しそうに目を細めて言った。


その声は昨日とは打って変わって張りがあり、顔色も驚くほど良い。

クマが消え、肌艶が良くなったせいで、元々の美貌が暴力的なレベルで輝いている。

寝起きで乱れた黒髪がかえって色っぽい。


(うわ、すごいイケメン……じゃなくて、回復してよかったわ)


私は水やり用のジョウロを置き、タオルを差し出した。


「おはようございます。丸一日寝てましたよ。よほどお疲れだったんですね」

「一日だと? ……公務を飛ばしてしまったか」


彼は苦笑したが、そこに焦りはなかった。

むしろ、何か大きな決断をしたような、清々しい表情だ。


彼は冷たい井戸水で顔を洗うと、タオルで拭きながら私に向き直った。

その瞳が、スゥッと鋭くなる。

昨日の「空腹の野獣」の目ではない。

もっと理知的で、支配者特有の冷徹さを秘めた瞳だ。


「エレノア。折り入って話がある。……そのくわは置かなくていいから、聞いてくれ」

「はあ。なんでしょう、お代の件ですか?」


私が身構えると、彼は腰に差していた短剣を抜き、鞘ごと私に差し出した。

柄の部分に、黄金の双頭鷲そうとうわしの紋章が刻まれている。


私は息を飲んだ。

貴族教育を受けていれば誰でも知っている。

隣国、軍事大国ガルディア帝国の皇室紋章だ。


「俺の名はアレクセイ・ガルディア。帝国の皇帝を務めている」

「…………」


思考が停止した。

皇帝?

このボロボロのマントを着て、私の生姜焼き定食をガツガツ食べて、芝生で爆睡していたお兄さんが?


「……ご冗談を」

「嘘はつかん。護衛も待機させている」


彼が指を鳴らすと、畑の周囲の岩陰から、黒装束の集団がズラリと姿を現した。

全員が隙のない動きで片膝をつき、アレクセイに頭を垂れる。


(嘘でしょ……本当だったの!?)


私は慌ててカーテシーをしようとしたが、作業着だし、手には泥だらけの手袋だ。

どう振る舞っていいか分からず固まっていると、アレクセイはフッと笑った。


「畏まらなくていい。今の俺はただの客だ。……いや、商談相手と言おうか」


彼は切り株に腰掛け、私にも座るよう促した。

ベア吉が心配そうに私の背後に立ち、威嚇音を喉で鳴らす。

皇帝の護衛たちが一斉に殺気立つが、アレクセイが手で制した。


「単刀直入に言おう。エレノア、君の作る作物を我が国で買い取りたい。それも、全量だ」

「全量、ですか?」

「あぁ。君の野菜には、異常なほどの魔力回復効果と、滋養強壮作用がある。昨日の食事で確信した。これはもはや食料ではない。戦略物資エリクサーだ」


彼は真剣な眼差しで続けた。


「我が国は武力を重んじるが、その分、兵や魔術師の消耗が激しい。君の野菜があれば、軍の戦力は飛躍的に安定する。相場の十倍……いや、言い値で買おう」


破格の提案だ。

農家として、これ以上の名誉はない。

喉から手が出るほど欲しい話だけれど、私には一つだけ懸念があった。


「ありがたいお話ですけど……ここは、一応オルド王国の領土です」


私は足元の大地を示した。


「私は追放された身ですが、ここの作物が価値あるものだと知れれば、王国側が所有権を主張してくるでしょう。『国境の資源は国のものだ』とか言って。そうなれば、帝国との取引は密輸扱いになります」


腐敗した祖国のことだ。

私の成功を知れば、掌を返して搾取しに来るに決まっている。

国際問題になれば、私一人の力では守りきれないかもしれない。


アレクセイは私の懸念を予期していたように頷いた。


「法的にはそうだな。だが、実態はどうだ?」


彼は立ち上がり、荒野を見渡した。


「王国はここを『死の土地』として見捨て、君に追放という名の死刑宣告をした。行政権も、防衛義務も放棄している。さらに言えば、君がここを開拓したことで、ここは『無主地』から『エレノア個人の開拓領』へと変質している」


彼は私に一歩近づいた。

圧倒的な覇気が、肌をピリつかせる。


「君が王国に義理立てする必要はない。君はこの土地のあるじだ。……違うか?」

「……違わない、です」


私は顔を上げた。

そうだ。ここは私が汗水垂らして、ベア吉と耕した私の国だ。

誰にも渡したくない。


「君が頷くなら、俺が後ろ盾になろう」


アレクセイは力強く宣言した。


「帝国は君の農園を『最重要通商パートナー』として認定する。もし王国が不当な干渉をしてくれば、それは我が国の国益を損なう行為と見なし、俺の名において排除する」


「排除って……戦争ですか?」

「外交的圧力と、経済制裁。必要なら、軍を動かすことも辞さない」


彼はサラリと言ってのけた。

トマトとカボチャのために軍を動かす皇帝なんて聞いたことがない。

でも、その目は本気だった。


「君はただ、美味い野菜を作り、ここで笑っていてくれればいい。面倒な政治や暴力は、全部俺が引き受ける」


その言葉に、胸の奥がドクンと跳ねた。

追放されて以来、ずっと一人で張っていた気が緩むような感覚。

「守られる」ということが、こんなに甘美な響きだったなんて。


でも、私はただ守られるだけのヒロインじゃない。

私は農家だ。

対等なパートナーでいたい。


私は泥だらけの手袋を外し、素手を差し出した。


「分かりました。契約、成立です」


私の言葉に、アレクセイは少し驚いた顔をした後、破顔した。

それは、昨日の寝顔よりもずっと魅力的な、男の人の笑顔だった。


「感謝する、エレノア」


彼の手が、私の手を包み込む。

大きく、硬く、熱い手だ。

剣ダコの感触が、彼もまた戦う人なのだと教えてくれる。


「ただし、条件があります」

「なんだ? 島一つ分くらいの金貨か?」

「いいえ。……週に一度は、ご飯を食べに来てください。感想を聞かせてもらうのが、私のモチベーションなので」


私が言うと、彼はきょとんとして、それから堪えきれないように吹き出した。


「くくっ……あははは! 安い条件だな!」

「な、笑わなくていいじゃないですか!」

「いや、すまない。……嬉しいよ。もちろん、這ってでも来る」


彼は握った手に少しだけ力を込めた。


「君の飯は、俺の生きる活力だ。……君自身もな」


最後の言葉は、風の音に紛れてよく聞こえなかった。

けれど、彼の熱っぽい視線に、私の顔がカッと熱くなったのは確かだ。


「じゃあな。次に来る時までに、正式な契約書を用意させる」


アレクセイはマントを翻し、護衛たちと共に去っていった。

その背中は、来た時よりもずっと大きく、頼もしく見えた。


私は自分の手を握りしめ、しばらくその場に立ち尽くしていた。

心臓がうるさい。


「……商売繁盛、よね。うん」


自分に言い聞かせるように呟く。

隣でベア吉が『ヴォフ?(顔赤いぞ?)』と首を傾げている。

私は慌てて鍬を持ち直した。


「さあ、仕事よベア吉! 皇帝御用達になったんだから、もっと畑を広げるわよ!」


照れ隠しに大声を上げ、私は土に向かった。

けれど、ニヤニヤする口元はどうしても抑えきれなかった。


こうして、私の農園は帝国の庇護下に入り、名実ともに「独立経済圏」への道を歩み始めた。

だがそれは同時に、食糧難に喘ぐ祖国オルド王国にとって、破滅へのカウントダウンが始まったことを意味していた。


【第6話へ続く】


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