エルヴェルート様酷い酷い
セルシエナ様は、愛くるしい笑みを浮かべて、私に視線を向けた。
「あら? 義妹に代わって貴女が言い訳なさるんですか?
わたしはどちらでも構いませんわよ? ゼフィルリース家からの侮辱であることに変わりはありませんもの」
距離を置いて、セルシエナ様と私が対峙する。
何故か対決姿勢になってしまった、セルシエナ様と私。
「ご令嬢方、ここは人の目がある。
ここは別室に移動して、穏便に話し合うべきじゃないかな?」
ソリドール様が、私たちを素早く交互に見ておっしゃる。声音はなだめるように朗らかだったけれど、秀麗なお顔が真剣なものだった。
常識的にはそうすべきだ。私だってそうしたい。貴族ともあろう者が、こんな喧嘩を人様に晒すなんて恥さらしもいいところだ。
でも。
残念ながら、先に喧嘩を売ったのはディアレット──ゼフィルリース家の方なのだ。
このまま別室で話し合って、こちらの謝罪なり向こうの譲歩なりで和解できたとする。だけど密室でのやりとりで終わらせてしまっては、世間へのゼフィルリース家の悪印象を払拭することができない。社交界には『ゼフィルリース家は他の家門を侮辱する家だ』という評判が残るだろう。
よしんば残らなかったとしても、セルシエナ様はいつまでもこの話を蒸し返すはずだ。賭けてもいい、彼女は絶対にそうする。
何しろ彼女は、お茶会で、私に義妹の悪口を言わせようとしたり、面と向かって嫌味を言ってくるような令嬢なのだから。
そしてそれ以上に問題なのが、グリゼルディア様の虐待云々が本当だった場合。
もしそうなら──私はディアレットの言葉を信じ始めている──それこそ衆人環視の中で指摘し、事実であると証明し、彼女を保護しなければならない。ここでうやむやにしてしまうと、後でグリゼルディア様がどんな目に遭うか分かったものではない。
とにかくどうにかして、衆人環視の中で、わが家の名誉を保ち、かつグリゼルディア様の安全を守れる結末に持っていくしかない。
ここまで考えるのに1秒弱。
「お気遣いありがとうございます。ですが、ここでよろしいですわ。ソリドール様」
「そうですわソリドール様!
恥じることがなければ、人前でも構わないでしょう?」
挑発するように、セルシエナ様が声を上げた。
「それで──」
「あっ、エイルローズ嬢、いいところに!
お願いします、なんとかこの2人を仲裁していただけませんか!?」
私が口を開いたところで急に、横のソリドール様がどなたかに話しかけた。
集まった人垣の中に、エイルローズ様がいらっしゃるのが見える。
だけど彼女は、そっけなくお答えになった。
「あら、起こるべくして起こった諍いですわね。セルシエナ様は何故だか、前からエルヴェルート様をお気に召さなかったようですもの。
今仲裁したところで、また同じことが起きるだけ。
わたくしには何ともできませんわ」
エイルローズ様は、貴族令嬢たちのまとめ役といったお立場だ。理由もなくどちらかに与することはない。しばらく私たちに喋らせて、判断なさるおつもりだろう。
つまりあの方を味方につけられるかどうかは、これからのやり取りにかかっているということ。
「もう、なんてことだ……! 僕は子爵ご夫妻をお呼びしてくる。
お願いだから、それまで出来るだけ穏便に話し合ってくれ」
「私もそうしたいところですけれど」
「頼むよ!」
両親を探しに、足早にソリドール様が立ち去っていく。
さらに招待客が集まってくる。
みんな面白そうな表情の野次馬で、誰も私たちを止めようとはしない。
笑みを浮かべながらも怒り心頭のセルシエナ様。
彼女と視線を合わせたまま、私は隣のディアレットに小声で質問した。
「ディアレット。どこでグリゼルディア様を拝見したの?」
「そこにおられますわ! さっき、セルシエナ様とご両親とご一緒だったから間違いありません!」
ディアレットが壁際におられる1人の令嬢を指差した。人を指差してはいけませんと、素早く手を下ろさせる。
確かに、グリゼルディア様だった。最後にお会いしたのは数年前だけれど、見覚えがある。
随分と細くて、厚化粧だ。ドレスが流行遅れで、アクセサリーは小さなものを少しだけ。
もう、色々と足りていない。
横には彼女の義母にあたる子爵夫人がいらして、グリゼルディア様の身体を抱くように、肩に手を回しておられる。セルシエナ様に似た可憐な美人だが、今はきつい目でこちらを睨んでおられる。
父君である恰幅のいい紳士──リングレー子爵も、夫人と並んでこちらを見ておられた。
グリゼルディア様は病弱ということで、領地から出られることはほとんどなかった。少なくとも私は、ここ数年お会いしたことはない。
「たしかグリゼルディア様は、幼い頃にご母堂を喪っておられるのですわね。その後にお父君である伯爵が再婚なさって、セルシエナ様を儲けられたと」
セルシエナ様に確認、というより周囲の野次馬に対して説明をする。家庭内の虐待が起こりうる環境であると、暗に示したわけだ。
グリゼルディア様と目が合ったが、義母である子爵夫人が耳元で何かささやくと、すっと目を伏せた。
心なしか虚ろな表情で、その目は焦点が合っていない。
本で読んだだけの知識だけれど、虐待など辛い思いをした人は、助けを求められないという。何度も抵抗したり助けを求めたりしても周囲に伝わらない、むしろ罰として制裁を受ける、その蓄積が希望や気力を奪うのだとか。
私の想像通りなら、彼女の自発的な発言、意思表示は期待できないと思った方がいい。
「まあ、グリゼルディア様のお召し物はセルシエナ様よりも随分と粗末……質素……ええと、メルティーズ家の長女にして次のリングレー子爵なのですから、もっと相応しい装いがおありではないかしら?」
周囲への、姉妹間格差のアピールを一通り行う。
象棋で言えば、序盤の定跡といったところだ。
「あら、エルヴェルート様ったら酷いわ。姉の服装のセンスを否定するのはおやめになってくださる?
わたしが姉に申し上げても、このドレスにするとおっしゃって聞かなかったのですもの」
『グリゼルディア様のドレスが粗末なのは、本人にセンスがないから』という論調でくるのね。
父君のリングレー子爵も、一歩前に出て発言なさる。
「そういうことだ。
娘が王都に来ると決まったのが直前だったため、ドレスを誂える時間がなかったのだ。わが家を貶められるいわれはない。
それにこの、妻がこの娘を抱擁するさまを見ろ。彼女は義理の娘を愛し、献身的に面倒を見ておる。
だいたい後妻が必ず義理の子を虐げるなど、言いがかりも甚だしい!
ゼフィルリース家だって、どちらも連れ子がいる再婚だろう。それではお前、いや君の母親もそこの義理の娘を虐げている理屈ではないか!」
それはそう。本当にそう。
周囲も、子爵の言葉に同調する様子が見える。
不利な空気を切り替えようと、私は子爵に礼をとった。
「リングレー子爵並びに子爵夫人、お目にかかれて光栄に存じます。
私はオルロット女男爵マーゴルート・ゼフィルリースの長女、エルヴェルートでございます。
御息女のセルシエナ様と親しくさせていただいております」
実際は全然親しくないけれども。むしろ嫌われていると思うけれども。一応付き合いはあるので、間違いでもない。
リングレー子爵は私たちのすぐ前に立って、すごい怒りの形相で見下ろした。
もう……先に喧嘩を売った私たちが言うのも何だけれど、どうして娘同士の喧嘩に親が全力で介入してくるのよ!? せめて、ソリドール様がうちの両親を連れてくるまで待って欲しいわ!
ディアレットじゃないけれど、メルティーズ家だけ親子で参戦だなんてズルいズルい!
うわ〜こわぁ〜い、と小さく呟くディアレットの手を、しっかりと握り直す。勇気づけるためと、ディアレットが逃げ出さないように。
私も大の大人に本気で睨まれて怖いけれど、ここで逃げ出すわけにはいかないのよ。だいたい貴女がズルいズルいと言ったせいでこうなっているのだから、頑張りなさい!
「エルヴェルート嬢とやら。
我らメルティーズ家に酷い難癖をつけるとは、オルロット女男爵はいかなる躾をしておるのか?」
むしろ、私の方がセルシエナ様に難癖をつけられたのだけれど。
「恐れ入ります、子爵。
ですがグリゼルディア様はわがままとお聞きしましたが、とても物静かな方ではありませんか。
それにお痩せになって、おいたわしい。なぜ今日は病をおしてこちらへ?」
「わざわざ君に教えてやる必要もないが、娘が痩せているのは、もちろん病弱だからだ。
本当は領地で休養しているべきなのだが、どうしても王宮の晩餐会に同行したいと聞かなかった。
自分の健康状態では次の女子爵にはなれない、次女のセルシエナに後継の地位を譲る。お家騒動などと思われないように、王都に行ってその旨をちゃんと意思表示すると言ったのだ。
確かに、最近は特に具合が悪くてな。
妻と長女と共に王宮に来たのだが、職員が長女の体調を慮って客室を用意したほどだ。
ああ、もちろん後継者はつつがなく次女セルシエナに変更された」
子爵の後ろにいるセルシエナ様が、しおらしく目を伏せたが、一瞬笑いが浮かんだのを私は見逃さなかった。
「それで、グリゼルディア様も来られたのですか……」
どうして今回に限って、と不思議に思っていたのだけれど。ご自身の強い要望と、子爵家の後継者変更の手続きということだったのね。
昨夜王宮に泊めてもらったというのも、その関係だったと。
確かに病気などの理由で、第一子から別のきょうだいに後継を変更することは可能だ。セルシエナ様は現子爵の次女だから、血統も問題ない。
だけどそれは、グリゼルディア様から地位を奪うことに他ならない。
グリゼルディア様の同意だって、親に強制されたものかもしれない。だけど私の想像に過ぎないし、『彼女の健康状態と、子爵家の将来を考えてのこと』と言われればそれまでだ。
もっと何か、子爵家の虐待を明確にする証拠はないかしら……。
セルシエナ様が、悲しそうに眉を寄せる。
「酷いわ、エルヴェルート様……。
両親とわたしは、ただ義姉の体調を考えて、今後のために王宮に参上したのです。全てはお義姉様と子爵家の将来のため。
それを先ほどから、まるでわたしたちが義姉を虐げたように責めるだなんて……。
こんな辱め、耐えられませんわ……!」
純情可憐な面持ちで、瞳を悲しく潤ませながら訴えた。私へと見せかけて観客に。
いやいや、貴女が先に喧嘩を売ってきたんじゃない。
だけど、周囲が非難の目を私たちに向けてきた。
「どうなっているの?」
「男爵家の姉妹が、あの子爵令嬢に難癖つけているようだ」
「どこの令嬢だ? ゼフィルリース家か。あの成金の」
野次馬の大半は、『ズルいズルい』以降のやり取りしか聞いていない。私たちはさぞや悪者に見えることだろう。
セルシエナ様は涙を拭くように手で顔をおおったが、一瞬その目が嗤いに細められるのが見えた。
……まずい。
この流れ、なんとかしなければ……!




