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”たかがケーキ”を食べられた恨みですが、断罪することにしました。

作者: ぽんぽこ狸




 セシリアは子供だ。


 それは自分でも理解しているつもりだ、大人の女性ではないし、手も足も短く身長も婚約者のブレンダンに比べてとっても低い。


 けれどもすでに婚約者の実家であるマクレーン伯爵邸に、お世話になっている。


 近場の領地だから預けられているということでもない。


 婚約者の実家であるマクレーン伯爵家は母国であるローゼンブルク王国ではなく隣国のゼフィール王国の貴族であり気候もまったく違う。


 そう言ったわけで、セシリアの故郷ははるか遠く彼方だ。


 ただ、それもこれも仕方がないことなのだ。ローゼンブルク王国には大変な魔獣が出てしまい、それはとてもひどい被害をもたらした。


 だからこそ特別な身の上である幼いセシリアは非難する必要がありここにいる。


 こんな状況であるため、セシリアは満足するまで食べることはあきらめていた。


 なのでいつもお腹が空いている。


 クゥーと、小さく鳴く腹の虫をドレスの上から押さえ込んで、セシリアはガラスのクローシュの中にあるキラキラと輝くケーキを見つめる。


「……うぅ……ああ、食べてしまいたいです。でもダメ、まだダメです」


 それは故郷から離れて遠く遥かかなたにいるセシリアの為に贈られてきた果実を使ったもので、寒冷地であるゼフィール国では取れないアプリコットという果実だ。


 果実がただでさえ贅沢品なこの国だけれど、その荷物はセシリアの思い出の味を再現するためのレシピまで付属していてそのために送らてきたことは確実だった。


 そして再現されたキラキラと輝くアプリコットパイ。


 セシリアはすぐにでもフォークとナイフを用意して、一人ですべて平らげてしまいたい気持ちになる。


 でも頭の中には、婚約者のブレンダン、そして明日にやってくる予定の親戚のことを考えた。


 きっと彼らもこの輝くパイを食べたいに決まっている。そんなのは当然であり、そして食事というのは分け合って、分かち合って食べるのが一番おいしい。

 

 だからこそ、あまりセシリアのことを尊重してくれない婚約者であるブレンダンとも食べたいと思った。


 彼は実家からのセシリアへの贈り物を見て、とてもうらやましがっていたから、きっとセシリアが分けてあげれば、彼はきっとセシリアのことを少しは大切にしたいと思ってくれるだろう。


 だからこそ、クローシュをチョンと触って、口が唾液でいっぱいになったけれどごくりと飲み干し、みんなで囲む明日の昼食を楽しみにしてセシリアはニコリと笑った。


「お嬢様、そろそろ仕事に取りかかるんですが」


 セシリアは、厨房の中でケーキを眺めていたので、シェフが申し訳なさそうに声をかけてくる。


 その言葉に、もうそんな時間かと考えて、セシリアは振り返った。


「ああ、すみません。ブレンダンは今日も友人たちと晩餐会ですか?」

「はい……ところで、いいんですか。本当に出来立てを召し上がらなくて」

「はい。明日、皆で食べたいのです。好きなものだからこそ」


 問いかけてくる彼にセシリアは、深く頷いて返す。


 すると彼は少し気まずそうな顔をしたけれど、もしかすると明日やってくるお客様の舌に合うのか心配をしているのかもしれない。


「それにとても美味しそうですから大丈夫です。素敵に作ってくださったあなたのおかげですね」


 そんな彼を安心させるように言って、セシリアは邪魔をするつもりはないので「では、明日楽しみにしています」と言って意味もないけれど駆け出した。


 なんとなくそんな気分だったからである。


 少しヒールのついた靴でパタパタと駆けて、明日に心を躍らせた。持ち前の風の魔法を使って少し高くスキップする。


 アプリコットパイはサクッとしていてじゅわっとしていて、母がよく焼いてくれて家族みんなで分け合った思い出の味。甘くて、でも華やかな酸味があって素敵な味わい。


 それを分け合いたいと思うのは、魔獣に襲われて非難する必要があった時に快く迎え入れてくれたこと、それに対する感謝を持つべきだという父と母の言葉もあったからだ。


 セシリアもその恩を忘れたわけじゃない。


 少し今はすれ違っていても、分かち合おうと提案して、美味しくて楽しい思い出を作ればきっと仲良くなれる。


 そう思っていた。






 セシリアは侍女に丁寧に髪を結ってもらってお気に入りのドレスを身にまとっていた。


 髪の色と同じ菫色のドレスはお気に入りで、着やすいゆったりタイプで着心地もいい。


 それに似合うように、時間がかかってもお気に入りの髪型にしてもらえれば最高の日になることは決定するのである。


 しかし、セシリアのそんな気持ちは知らずに、待っていたブレンダンは苛立ちに足をトントンと揺らしていて、はぁっと大きなため息をついた。


 そんなふうに感情を表に出すのなら、自分の部屋で好きなことをしていたらいいのにと思う。


 わざわざそうして見張っていなくとも、セシリアはきちんとした格好で来客を迎えるぐらいの常識は持ち合わせている。


「……」

「…………チッ、もう少し適当でもいいんじゃないか?」


 さらにはそう声をかけてくるブレンダンにセシリアはムカっとした。


 けれども、彼は男の人。男の人はあまり好き好んで着飾らないことが多いらしく、セシリアがこうして時間をかけていることが無駄だと思ってしまうこともあるだろう。


 ……うんうん。わたくしも、毎晩友人と意味もなく晩餐会を開くのは無駄だと思いますが、それがブレンダンなりの楽しみというやつですから、仕方ありません。


 そういう部分で言い合っていても疲れるだけだ、セシリアは彼に教えてあげる様な気持ちになって返した。


「いいえ、今日はキレイに編みこんでもらうのです。だってとても大切な日ですから。お父さまとお母さまは直接来られなくても分家のオーデン伯爵からとても元気そうだったと伝えてもらうために、しっかり編んでもらうのです」


 伯爵はなんだか少々遠い血縁ではあるけれども、ゼフィール王国の貴族としても爵位を持っているとてもすごい人だ。


 だからこそ父も母も信頼を置いていて、遠くの地でセシリアが苦労していないか様子を見に来てくれるのだ。


 そういうわけで、ブレンダンは彼に疑われないようにこうしてきちんとした格好をできるかどうかセシリアを監視している。


 しかし、彼から見れば必要以上に着飾っていると判断されたらしく、セシリアの言葉にまともに返すことなくブレンダンは侍女に威圧的に言った。


「あー、ハイハイ、そうか。おい、侍女もう少し早くしてくれ」

「わたくしの侍女に指示をしないでください」

「……大人の言うことにそうやって、屁理屈で反論するなよ」

「すみません、喧嘩をしたいわけではないのです。では少し簡略化して貰うことにします、それで構いませんか」


 機嫌が悪くなる彼に、セシリアはそのあとの三つ編みが可愛いのにと思いながらも譲歩することにして侍女に鏡越しに視線を向ける。


 すると彼女はコクリと頷いて、納得したらしいブレンダンは「そうしろ」と短く答える。


 しかしそれから数分後、髪型が完成して最後に軽くお化粧をしてもらおうと考えた頃、ブレンダンは思いだしたように言った。


「あ、そうだ。セシリア」

「はい」

「お前の両親から送られてきた果物、また送ってもらうように、オーデン伯爵に最後に頼めよ」

「……はい、でも輸送に大変なお金がかかるとかで、難しいかもしれませんが」


 彼の言葉に、セシリアはもしかしてと思う。


 すでに彼は今日食べることが出来るアプリコットパイを見て、とてもおいしそうだと思ったのかもしれない。


 それでまた作ってほしいからと、早とちりしているなんてそんな話だろうかと思った。


 しかし、あれはとてもこちらの国ではとても貴重なもので、ありていに言うと高級だ。だからお願いはしてみるけれど希望はそれほど無いだろうとそこまで考えた。


 ドレッサーの鏡から反射で彼の方を見て、お化粧は後回しにしてそのことを伝えようとした。


「なんだ。そんなものか。せっかく、父上や母上にも食わせてやろうと思ったのに」

「…………それはとてもいいことですね。わたくしもその日が楽しみです……大好物ですから」

「は? お前みたいな子供があんないいもの食べるなんてもったいないだろ」

「でも、私のとても、大切な」

「どうせ味なんかわからないくせに。昨日だって友人たちとも稀少でさらに絶品なんて晩餐会のデザートにふさわしいと話していたんだ。お前なんかに食べさせてなんになる」


 …………? 


 ブレンダンはあざけるようにそう言って、セシリアは思考が止まって彼が何を言っているのかわからなかった。


 たしかに子供に高級なものを食べさせるのはどうかと思うこともあるだろう。


 特に、セシリアはよく食べる方だ、だからこそ量さえあればいいと思われているのかもしれないし、でもそれとこれとは話が別だと伝えたらいい。


 ただ気になったのはそこではない。


 そうではなくて……。


 ……晩餐会のデザートにふさわしい??


「もしかして」


 セシリアはよく考えずに、そのまま思ったまま言葉を紡ぐ。


 驚きすぎて考えている暇がなかった。


「た……食べちゃったの……?」


 癖になっている敬語がなくなるぐらい、心細くて小さな声だった。


 その可能性があるというだけで怖いぐらい考えたくないことだった。


 それなのに、ブレンダンはセシリアの気持ちなど察することなく適当に返した。


「ああ、別に今日の菓子は今日作らせればいいだろ。取っておく意味が分からない」

「あれは、わ、たしの。今日のための」

「おい、早く仕度を終わらせてくれ。別にいいだろなんだって。すでに新しい菓子は作らせてある。お前みたいな子供には、違いなんてわからないんだから、どうせ甘いものを前にしたらそっちで良くなる決まってる」


 セシリアは、ドレッサーから立ち上がって、ソファーに座っているブレンダンの方へと向かった。


 たしかにセシリアは子供だけれど、それでもあれはセシリアの為に用意されたもので、セシリアの大切なものだ。


 今日のために取っておいた、まだ一口も味わっていないケーキ。


 セシリアの輝くアプリコットパイ。

 

 …………??


 無いと思うのと、なんでこんなことをするのだろうと思うと、視界に涙がにじんできて、すぐに潤んでぽたぽたと流れる。


 お父さまとお母さまが故郷から遠く離れた彼方にいるセシリアのために贈ってくれたもの。


「っ、わ、わたくしのですよ。私の大切な、ものですっ」

「うわ、なんだよ。たかがケーキだろ。作り直せばいい」

「ちがっ、違いますっ、そうじゃなくて、そうじゃぁ、無くてぇ、っ、でも大事な……ぅ」

「だから、なににそんなにこだわってんだよ。ああ、そんなに腹が減ってるなら、今からでも何か食えばいいだろ!」


 涙がにじむと、喉が引きつる。


 たかがケーキ、されどケーキ、大切な想いのこもったケーキ。


 高価で遠方からやってきたアプリコットを使ったケーキ。それを特別だと思ったからブレンダンだって晩餐会で振る舞いたいと思ったのだろう。


 そして父親や母親に食べさせたいと思ったのだろう。


 そういう思いが自分の中にあったからそうしたのだろう。セシリアにまた頼んで欲しいと言ったのだろう。


 そういう思いと同じではないのか。楽しみにして大切で、特別で、人に振る舞いたくなって、そういう思いはセシリアにだってある。


 そしてそれはとてもとても大切なものだった。お腹いっぱい食べられないセシリアを満たしてくれる。


 たった一皿、それでいいのに。


「ちがうっ、違うの、です。っ、ちが、っわたくしのケーキ」

「はぁ~、これだから子供は。だから、くれてやるって言ってんだろ! 腹が減ったぐらいで機嫌損ねやがって」

「ひっ、違う。ちょっとでも、一皿でもっ少しでも、食べたかったのっ、アプリコットが良かったのです、もの!」

「だったら、なおさら。たかがケーキ一皿、そんなもの別にいつだって食べさせてやってるだろ! あーあ、ないものをわざと欲しがって、困らせたいんだなっ!!」

「ちがう、ちがうっ、違いますっ、っ、ああっ」


 たしかに、ケーキ一皿だけれど、そこにこもったものには天と地の差がある。


 だからこんなに悲しいのだ。一切れだけでも食べられなかったことが、その気持ちすらわかってもらえないことが悲しい。


 でもそれをうまく言える気がしなくて、頭がくらくらとして、こんな理不尽に泣いてしまっている自分が情けなくて顔が熱い。


 ついには、顔を覆って泣くしかなくなり、彼に対する言葉は出てこない。


 すると面倒くさがって、ブレンダンは部屋を出ていく。


 それにもうセシリアは耐えられなくなって、膝を折って絨毯の上にへたり込んだ。


 それから色々と考えて今までのことも、今日のことも考えて、セシリアは小さくクゥと鳴くお腹の虫を押さえて目をつむって、自身の飢えを酷く自覚したのだった。







 オーデン伯爵は息子だという男の子を連れてやってきた。


 セシリアは涙を拭いて一応はきちんと貴族らしく対応したが、いったん大人と子供は離れて話の場を設けることになった。


 きっとそれは、あまり会ったことのないオーデン伯爵よりも同じ年ごろのアルフレットの方がセシリアは本当のことを話しやすいだろうという配慮だろうということはなんとなく察した。


 オーデン伯爵の目的は、このマクレーン伯爵家に対するお礼と、現状の把握ということになっているが、本当はセシリアが大丈夫であるかという確認と牽制の意味も持っている。


 だからこそセシリアは、目の前にいるアルフレットに話をするというのも手ではあると思ったが気持ちがそれで収まるわけもない。


 落ち着けば自分の主張ははっきりとして、誰に何を言ってどうするべきか、理解していた。


「……セシリア様のドレスとても素敵だね」


 なので好意的に笑みを浮かべて、この時間の意図をきちんと理解し探るように話しかけてくるアルフレットには言うことは特にない。


 ……それにとても機嫌よく、彼とおしゃべりする気にはなりません。


 胸が詰まるような思いにさいなまれて、うまく言葉が出てこない。


 ずっと当たり前のように思ってきた気持ちが打ち砕かれて、落ち込んでいるという言葉がしっくりくる。


「ありがとう、ございます」

「髪型も、可愛い。使用人にはよくして貰っているのかな?」

「……はい」

「そっか、いいことだね」

「はい」


 短い返事をするだけでいると彼は少しぎこちない笑みを浮かべて、話題に困っている様子だった。


 けれども彼が首を少し傾けると、貴族らしく伸ばしている後ろ髪がちょこっと三つ編みになっているのが見えて、悲しい気持ちがじわっと広がる。


 ……三つ編み、本当は三つ編みもしたかったのです。


「あなたも、可愛い髪型」

「え? ああ、これは、妹たちが面白がって……だから少し恥ずかしいけれど楽しそうだったからそのままで来ちゃっただけなんだ」

「それは、いいことですね」

「うん。いいこと……かな?」


 また首を少し傾けて反応する彼に、セシリアは少しだけ心が温かくなる。


 面白がってやられたことでも、楽しそうにしていたからとそのままにしてくれるなんてよい兄だ。


 ……でもわたくしの婚約者は……そうではありません。


 そしてまた比べて、ぎゅっと手を握る。それから、セシリアはアルフレットをまっすぐに見て言った。


「わたくし、とてもお腹がすきました。アルフレット。なので大人の話し合いを早く切り上げて食事にしてほしいと伝えてくださりませんか」


 それは、普通ならば通らないお願いだっただろう。


 しかしセシリアがそれをとても真剣に言ったのでアルフレットは少し考えてから頷いて、すぐに昼食に移ることになったのだった。






 美しく飾られたダイニングで、オーデン伯爵とブレンダン、アルフレットとセシリアは向かい合って食卓を囲んでいた。


 オーデン伯爵は人のよさそうな笑みを浮かべていて、以前ローゼンブルク王国にいた時に会った時よりも少し老けて見える。


 それから給仕を受けながらブレンダンに言う。


「それにしても、セシリア様の身元を預かってくださる方が、こういう方で安心いたしました。リルバーン侯爵や侯爵夫人からはもしセシリア様が望むのであれば、このまま結婚までの期間をこちらで過ごしてもいいのではと」

「おお、それは嬉しいな。彼女はとてもいい子で聞き分けもいい、もちろんそう望んでくれるなら喜んで」


 ブレンダンはとても丁寧に所作に気をつけながら食事をして普段とは違ってセシリアを持ち上げる様な発言をする。


 こうして他人に対して態度が変わることについて、さして今まで気にしていなかったが、今のセシリアにとっては酷く不快なことである気がした。


「実はセシリアの話を聞いた王家からも懇意にしたいと話を貰っていてな。セシリアを受け入れたことはとてもいい選択だったと思っている。まぁ、私は無尽蔵の魔力ということ以外、詳しくは知らないが」


 言いつつ彼はチラリとアピールするようにセシリアを見た。


「それは、まぁ、おいおい。結婚後にでもゆっくりと理解を深めていけばいいでしょう」

「はは、そうだな。その時が楽しみでならない」

「驚かれると思いますよ」


 ゆっくりと前菜を食べていく彼らの会話に少し耳を傾ける。


 たしかに、セシリアは少々特殊な身の上で、だからこそこうして逃がされているのだが、それが分かったところできっとブレンダンはそれに伴うセシリアの気持ちなどを尊重したりしないだろう。


 彼は自分のことだけだ。


 セシリアはなにも与えられない。


 そう思って、前菜のテリーヌをフォークでさしてそのまま口の中に放り込む。


 その様子を目の前で見ていたアルフレットは目を丸くしてセシリアのことを見ていた。


「……」


 適当に咀嚼して飲み込む。ぐっと喉がつまりそうになりながらも食道をゆっくりと食べ物が下りていく、しかしまったく空腹は満たされない。


「ところで、食事はご一緒に取られているのですか?」

「ああ、それは……私に余裕があるときはもちろん、共に」

「おかわりをください」

「そうですか、まあ……跡取りとしての仕事もあるでしょうし、きちんとコミュニケーションがとられているようならばそれで」

「そうだな。セシリアはまだ子供だからそういうことが大事になると承知している」


 ……今までは、思ってもいないことを言っているなんてブレンダンをそんなふうに思ったことはなかったけれど、今聞くと薄っぺらくて思っていないとありありとわかりますね。


 そう考えつつ、新しいテリーヌが給仕されてまたフォークで突き刺しそのまま口に放り込む。


 また喉を鳴らして嚥下をする。


「おかわりをください」

「だから、今朝も一緒にドレスを選んだんだよな……にしても今日は特別お腹が空いていたのか? セシリア」

「ま、まあまあ、そういうこともあるでしょう。朝の支度で空腹になってしまったのではないですか、緊張せずにたくさん食べるのはいいことですよ。セシリア様」


 そしてまたやってきたテリーヌを食べ終わる頃には彼らのお皿も空になり、次の食事が運ばれてくる。


 やってきた温かなスープはホカホカと湯気を立てているけれども、セシリアはお皿をそのまま手で持って傾けて口をつけた。


 行儀が悪いけれどもスプーンでいちいち掬っていては埒が明かないと思ったからだった。


「…………いやぁ、よっぽどですね」

「おかわりをください」

「おま、っ、こらこら、行儀が悪いだろ。セシリア、それにまだまだ次の料理が待っている、お腹がいっぱいになるぞ?」


 オーデン伯爵はセシリアの様子を見て、なんとも言えないような顔をしてブレンダンとセシリアのことを交互に見る。


 その様子にブレンダンは諫めるようにセシリアに言う。


「お腹はいっぱいになりません」

 

 ブレンダンの言葉に短く返し、セシリアはまた急いで給仕されたスープに口をつけて飲み干す。


 それでもまったく腹にたまらない。セシリアは実は満たされたと思う事はあっても満腹になったことはないのだ。


「……」

「……」

「……た、たくさん食べるということは健康的で……」

 

 オーデン伯爵はフォローをしようとそんなことを口にした。


 しかし、怒りに任せてスープを飲み干すセシリアの真剣さに口をつぐんで考えるような仕草を見せる。


「おかわりをください」


 それから、彼らがセシリアを見つめて固まってしまったのでセシリアはそのままスープを飲み干し続けた。

 

 すると出すことのできるスープが無くなったのかそれとも、次の用意が出来たのか、お肉料理が到着し、その間にもセシリアは小さなパンを四つ食べた。


 ナイフで二つに切って、大きな口を開けてセシリアはお肉を口にほうりこむ。


 その様子を目の前で見ていたアルフレットは口を開けて呆けた様子だった。


 ごくりと飲み込み、唇をなめてまたお肉を口に入れる。


 答えが出たのかオーデン伯爵は視線をあげてブレンダンのことを若干懐疑的に見つめた。


「っ、セシリア。そんなに必死になって食べるほど私たちはお前に我慢なんかさせてなかっただろ。そんな人前ではしたない。女性がそんな……」


 ブレンダンはその視線を受けてすぐにその疑いを晴らすために薄ら笑みを浮かべてセシリアに語り掛けた。しかしそれを無視してセシリアはもぐもぐと口を動かした。


 濃厚なソースも上質なお肉の味わいもセシリアを満たしてくれることはない。


「おかわりをください」

「は、はいっ」


 そういうと使用人は怯えたような様子になって急いで厨房に引っ込んでいく。


 彼らのスープは湯気を失って冷めてしまっている。


「この、当てつけか! あんなに良くしてやっているというのに」

「……」

「実際なに不自由させてなかっただろ。子供はこれだから、私を困らせて楽しいかよ」


 それでもまだ食べ続けるセシリアに、ついに薄ら笑みをやめてブレンダンは眉間にしわを寄せてセシリアに強めに言った。


 自分をよく見せることよりもセシリアの行動に腹が立ったらしい。


「ブレンダン殿、それほど強く言わなくとも……それにこんなことをするというのには理由があるのでしょう? 何かあったのですか?」

「いいやっ、はぁ……ああ、別にただ、私はわがままを叱っただけだけどな?」

「おかわりをください」


 セシリアのセリフにブレンダンは歯ぎしりしつつも何とかオーデン伯爵の存在を思いだし、ぎこちない笑みを浮かべて、彼に言った。


「ただ、こいつ、ケーキを食べられなかったことに怒ってるんだ。代りのものだって用意してやると言ってるのに! そうなんだろ! わがままを言えばいうことを聞くと思いやがって」


 もぐもぐと咀嚼を続けて、セシリアはお肉を嚥下した。付け合わせなどあってないに等しくまとめてフォークでさしてそのまま飲み込んだ。


 ……全然お腹いっぱいになんてなりません。


「……ゴクッ」

「セシリア様……」

「いくら尊い血筋だとしても、なんでもわがままが通ると思ったら大間違いだ。たかがケーキぐらいで、こんな私の顔に泥を塗るようなことをしやがってっ」


 そこまで言って彼の本性が出たところでセシリアは、それからパンをいくつか食べて口を丁寧に口を拭う。そして自分のお腹に手を当てた。


 コルセットがいらない菫色のドレス、これはセシリアのための特注品だ。


 それからフーッと息を吐きだすするとお腹の中のものはすっかりなくなって体に力がみなぎって来る。


「…………たしかに、ケーキ一皿です。わたくしが欲しかったものはそれだけです」

「そうだろ、とんだわがま━━━━」

「しかし、ただのケーキではありません。わたくしの大切なケーキです。伝わらないかもしれませんが、リルバーンから送られてきたアプリコットのケーキ。わたくしの両親からの贈り物。今日出してもらえるように、料理人にお願いして、楽しみにしていました」

「たかがケーキだろ!」


 セシリアはそんなことでと言われても引く気はなくオーデン伯爵を見つめて拳を握る。


「たしかにその通り、です。たかがケーキ一皿ですから、くだらないことかもしれません! でもっ」


 それから隣にいるブレンダンに視線をやって、セシリアはその時の呆然とした気持ちを怒りに変えて、前のめりになってブレンダンに言った。


「わたくしはその甘くて美味しいだけのケーキという物を欲して駄々をこねているわけでは決してありません! わたくしのために贈られたその思いがあったから、わたくしも会えない両親に対する寂しい気持ちがあったからそれをとても特別だと思ったのですっ!」


 体からじわじわと魔法が漏れ出す。髪が逆立つような感覚があった。


「その特別さは誰にでもあるものでしょう。でもそれを皆と分け合って、共有して仲良くなる手助けになればそう思って待っていたのです! それを勝手に食べておいて、所詮はケーキですって!?」

「っ」

「あなたが”たかがケーキ”と思っているのなら、わたくしの思いを優先してあれを食べないでいて欲しかった! そのぐらいの配慮は、できないことなどなかったはずです。だってほかにいくらでも作れるケーキなのですから!」


 ぶわりと風が吹いて、テーブルの上の花が飛び散る。「セシリア様!」と制止するような声が聞こえたがセシリアは止まることが出来なかった。


「もしくは、わたくしの分を残しておいてくれればよかった! でもそれは与えられなかった、たった一切れで良かったのにっ、たった一つ分でもその思いやりがあればわたくしは良かったのに!」

「お、うわっ、おい、なんだこれ!!」

「この飢えている体でも、たったひと切れの思いやりがあれば心を満たすことができたのに!」

「わ悪かった! おい、悪かったって言ってるだろ!!」


 部屋の中で風が吹き荒れると、ブレンダンはやけくそになってやっと謝罪をする。


 しかしその声にまったく許す気など怒らずに、普通の子供であれば魔力不足でこんなことになることはない。しかしセシリアは特別な体質だ。


 特別、満腹になることがない体をしていて、人前では満足するまで食べられない。


 満たされることがない。なんせ、食べても食べても魔力になってしまうから。


 そういう体質でそういう身の上で、だからこそ稀有なのだ。そんな体質の人間が全員失われないように逃がされた。


 だからこそ、いや、そうでなくても大切なものだった。


「あなたはわたくしに、その大切な思いやりを与えてはくれない。そんな人と結婚なんてこの先どんなに生活が苦しくなって危険があってもっと食べるものが少なくなったとしても、わたくしは絶対に受け入れませんからっ!」

「ひぃ、うわっ!」


 最後まで言い切ると、テーブルを迂回してきたオーデン伯爵に強く抱かれて、目をぐっと瞑った。


 視界をさえぎられる前に、逃げ出そうとして椅子ごと倒れる間抜けなブレンダンの姿が見えて、後から上がる情けない悲鳴に少し溜飲が下がる。


「わかりました。もう十二分に理解しましたから」

「……大丈夫?」


 アルフレットに心配されて、セシリアは静かに呼吸を落ち着ける。それからはオーデン伯爵に言われてアルフレットとともに部屋を出た。


 するとまた、少し涙がにじんできて、本当に情けないとセシリアはぶんぶんと頭を振ったのだった。






 ブレンダンの行動を重く受け止めてオーデン伯爵はきちんとその旨をリルバーン侯爵家に伝え、婚約は破棄となった。


 それに加えて彼の思いやりのない行動は、ゼフィール王国の王家への山ほどのアプリコットの贈呈と共に広く伝えられることになった。


 こちらの国でまだしばらく過ごすことになるセシリアへの両親からの配慮だと思うが、そのおかげでブレンダンは社交界に顔を出すこともなくなり、晩餐会を開くこともなくなった。


 王家へと贈られたそれは国の貴族たちに振る舞われ、多くの人がアプリコットパイへと舌つづみうち、その素晴らしさに気がついたと思う。


 それは素晴らしいことで、婚約者がいない状態のセシリアはオーデン伯爵家に引き取られることになった。


 初めからそうならなかったのには婚約者がいるという理由も合ったし、なによりアルフレットのほかにもたくさん子供がいて、子供同士の相性が心配ということだったから。


 しかし、彼女たちはとても親切で、セシリアに良くしてくれるしアルフレットもとても好感が持てる。


 持てるのだが……。


「あれ、大丈夫? パイを持ってこようか?」

「……」


 すぐに隣にいてそう問いかけてくる彼に、セシリアは頭を抱えたくなった。


 庭園で彼の妹たちと遊んでいるときのことだった。


 彼女たちが大人たちから聞いて語るケーキ一皿も譲れない男の話を、いまさら聞いて思いにふけっていただけなのに、すぐに隣に来てアルフレットは三つ編みを揺らしてそう問いかけた。


 その瞳が純粋だからこそセシリアは困っている。


「……あの、そう心配してくださらなくても大丈夫です」

「うん。でもお腹がすくといけないから、今はたくさんアプリコットパイが食べられるし、必要ならいくらでもあるし……」


 セシリアがいくら言っても彼はこの調子でセシリアにパイを進めてくる。


 もう十二分に堪能したし、ここでは皆がセシリアといろんなものを分け合ってくれる。

 

 それに、元々普通の食事でも、満腹にはならないけれど体に支障はないのだ。


「ですから、アルフレット。わたくしは、たしかにアプリコットパイが大好きですが一皿でいいのです。それにほかの人よりたくさん食べられますけれど、空腹に酷く弱いというわけでもありませんわ」

「うん。けれど……だって……」

「どうしてそう、ずっと心配そうなのですか」

「…………だってあんなに、本当はあんなにたくさん……それ以上にもっと食べられるんだろう?」

「それは、一応。でも食べなくても大丈夫です」

「食べなくても大丈夫でも、空腹を当たり前に感じているなら少しでも何か口にしていた方が楽になると思う。だから俺は君がそうだって知っているからこそ、手を貸したくて……?」


 首をかしげながら自分でもあまり理解できていない様子で考えながら彼は口にする。


 その言葉にセシリアは思った。


 ……行き過ぎた心配ではなく、やさしさ……ですか。


 そしてそれは思いやりともいえる。そう思うと小さく唇をなめた。


「……」

「少しでも満たされていた方がいいと思うんだ。あ、そうだ。アプリコットパイじゃないけれど、いつでもセシリアがお腹空かないように、持っていたんだった」

「?」


 そう言って彼は思いだし、自身のジャケットのポケットをまさぐる。


 そこには紙で包装された何かが入っていて、セシリアもそれを開ける彼を覗き込んだ。


「あ、そ、そっか。そうだよね、ごめん。すごい割れてる……いい案だと思ったんだけどな」


 開いて出てきたのはボロボロになった粉の様なクッキーで酷いありさまだ。とても人にふるまうことが出来るものではない。


 けれどもセシリアにはそれがキラキラして見えた。


 なんせそれが彼の思いやりの結果であり、それもまた特別だから。セシリアを想って、彼が忍ばせたクッキーなのだから。


「……でも、食べられます。とてもおいしそうです」

「え」

「ありがとうございますね。アルフレット」


 そう言って彼の手元から包装ごと貰ってざらざらと口に流し込む。


 その時のセシリアの笑みは今までで一番輝いていたのだった。



最後まで読んでいただきありがとうございます。


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― 新着の感想 ―
少しでもお腹が空いたら何か食べてしまうのでセシリアにも気兼ねなく食べてほしいと思います〜
アプリコットパイはただのアプリコットパイにあらず。 郷愁や思いやりや敬愛を体現した、セシリアちゃんにとっての聖餐と言っていいものですわ。 たかがケーキ扱いでセシリアちゃんを厄介で我儘な子供扱いするよう…
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