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第41話 声の還る場所

 元旦の朝。


 灯影市の空は雲ひとつなく、凛とした冬の青が広がっていた。

 あの日の喧噪が嘘のように、街は静まり返っている。

 アオノネの前には、うっすらと雪が積もっていた。


 湯気を立てる味噌汁の香りが、リビングを包む。

 テーブルの上には、奏真が作った簡単なおせちと、湊が買ってきた蒲鉾や伊達巻。

 その隣には、涼太が「形だけや」と言いながら盛りつけた黒豆と数の子が並ぶ。


「おーい、葵。雑煮できたで」


 キッチンから涼太の声が飛ぶ。

 年越しの夜、涼太はアオノネに泊まっていた。

 そして、もうすっかり自分の家のように振る舞っている。


 葵は炬燵から顔を上げ、ゆっくりと立ち上がった。

 寝癖のついた髪を手ぐしで直し、椅子に腰を下ろすと無言で箸を取る。


「……あけましておめでとうございます、とかない?」


「言ったら終わる」


「何が」


「年が」


 変わらぬ即答に、奏真が吹き出す。

 その笑い声に、湊も苦笑しながら箸を合わせた。


「でも、ほんと……無事に年越せてよかったな」


 その一言に、部屋の空気が少しだけやわらぐ。

 テレビでは初日の出の映像。神社の賑わい。

 人々の笑顔と祈りの声が流れている。


 葵はそれをぼんやりと眺めながら、湯気の立つ雑煮を一口。

 白い餅が舌に柔らかく絡み、出汁の香りが静かに広がった。


(今年も歌おう。……去年の三倍は)


 そんな言葉が胸の奥に浮かび、葵はふと息をつく。


「なあ、初詣行く?」


 湊が話を切り出した。


「人多い」


「そう言うと思って朝イチで行くプランを立てた奏真くんを褒めて!」


「朝イチって十時やん。人多いのが灯影やで」


「正論やめて」


 和やかな掛け合いの中、窓の外では小さな雪片が光っていた。

 去年は失ったものばかりだった。

 でも、今は違う。


 音がある。声がある。

 ――そして、居場所がある。


 葵は小さく息を吐き、箸を置いた。


「……行く。初詣」


「へっ? 珍しい。葵くん、寒くない?」


「寒い」


「じゃあ……」


「雑煮、味が濃い」


「何の関係が」


 言葉の意味は噛み合っていない。

 けれど、その噛み合わなさが妙に心地よくて。

 笑い声が、静かな元日の朝をやわらかく満たしていった。


***


 お参りを終えると、葵は人混みを避けるように足早に帰ろうとしていた。


「葵くん」


 その腕を、そっと奏真が引く。

 賑わう参道から少し外れた場所で、湯気の立つ紙コップを差し出した。


「また先に帰ろうとしたでしょ。あったまって、少しゆっくりしなよ」


「人が多い。寒い」


「だから甘酒。ほら」


 奏真が笑いながら、紙コップを葵の手に押しつける。

 湯気がふわりと立ち上り、指先がじんわりと温かくなった。


 葵は一瞬だけ眉を寄せたが、結局受け取って口をつける。


「……甘い」


「正月だし、いいじゃん」


 白い息が交じり合い、ふたりの間にゆるやかな温もりが生まれていた。


 ふと、葵は空を見上げた。

 冬の陽射しが薄く雲に滲み、参道の白い息をやわらかく照らしている。


「なんか、去年は怒涛の年って感じだったな」


「お前が来てから、色々巻き込まれた」


 淡々とした返しに、奏真は苦笑する。


 葵のサポートとしてアオノネで生活する日々。

 搾取され続けていた湊の事件。

 五年の蟠りがあった葵と涼太の関係。


 そして、葵を傷つけた炎上と暴走。


 もう声が出ないと思っていた。

 それでも、クリスマスの夜。

 葵は歌い、その歌が人々に届いた。


「葵くん、覚えてる? 俺が初めて来たとき、『帰れ』って即切りされたこと」


「急に来られたら、普通は困る」


「……それもそうか」


 奏真は笑いながら、手に持った甘酒を見つめた。

 湯気の向こうで、葵の横顔が静かに光る。


「強引だったけどさ。葵くんと出会えて、ほんとによかったって思ってる」


 葵は何も言わなかった。

 けれど、指先の紙コップを握る手が、ほんの少しだけ緩んだ。


「だからさ、これからもよろしくね」


 風が吹き抜け、二人の吐息が白く重なる。

 その白さが、冬の光に溶けてゆく。


 葵の視線が、静かに奏真へと向いた。


「……うるさい」


 淡々とした声。

 けれど、その目は穏やかで――

 口元には、確かに微笑みが宿っていた。



 その笑みは、過去の痛みも孤独も越えた、

 一人の“歌い手”の、確かな再出発の証だった。


 白い息が空に溶け、その空はどこまでも青かった。

 音のある世界が、再び動き出していた。



Fin.


最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。


『声が響く都市で、一分だけの最強を歌う』は、一ノ瀬葵という青年が傷を負いながらも“声”と向き合う物語でした。

彼が最後に見せた笑顔が、少しでも誰かの心に残ってくれたなら嬉しいです。

ここで一度、幕を下ろしますが、物語は彼らの中で続いていきます。


読んでくださったすべての方に、感謝を込めて。

ご愛読ありがとうございました。

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