第21話 包容と拒絶
雑居ビルにある小さな事務所。
湊は、柏木に潰されたラジオ番組のスタッフから「これからは事務所に所属した方が楽だ」と勧められ、ある新人事務所を紹介された。
そこは出来たばかりで規模も小さい。
だが、看板に刻まれた文字を見た瞬間、不思議と胸の緊張がほどけていく。
《ことのはプロダクション》
湊は深く息を吸い込み、事務所の扉に手をかけた。
その瞬間だった。
パァンッとクラッカーが鳴り、中の紙吹雪の残骸がひらりと湊の頭に降りかかる。
一瞬、何が起きたのか分からず、目を瞬かせる。
「ようこそ、ことのはプロへ!」
目の前に現れたのは、長い金髪をさらりと揺らす女性。
光を受けて艶やかに輝く髪、すらりとした体躯に、モデルらしい抜群のスタイル。
白を基調としたワンピースがその気品を際立たせ、笑顔は柔らかく、どこか母のような安心感をまとっていた。
どこかで見たことのあるその顔は――。
「みっ、美作瑠璃!?」
人気モデルの美作瑠璃だった。
「なんであんたがここに……!」
瑠璃はにっこり笑い、クラッカーの残骸を摘まみ取って、ぱんと手を払った。
「驚いたでしょ。私、この事務所を立ち上げたの。でもね、“社長”なんて呼ばなくていいの」
「……え?」
湊は目を瞬かせる。
芸能界のトップモデルであり、しかも事務所を立ち上げた本人。
普通なら“社長”と呼ぶしかない。
けれど瑠璃は、あっけらかんと笑った。
「私、肩書きに縛られるの苦手なの。みんなが自分のタイミングで、のびのびやれる場所にしたくて“ことのはプロ”を作ったんだもん」
案内された事務所の中は、思った以上に温かみのある空間だった。
白木の床に、観葉植物や柔らかな間接照明。
壁には新人タレントたちの寄せ書きや、小さな舞台写真が額に飾られている。
奥にはシンプルなデスクがひとつ。だが重厚な社長机ではなく、木目のカウンターテーブルのような形で、マグカップや手作りのお菓子が無造作に置かれていた。
その空気は「会社」よりも「リビング」に近い。
肩肘を張らずに、自分の声や表現を持ち込める場所――まさに看板の名の通りだった。
瑠璃は差し伸べた手を揺らしながら、柔らかく微笑む。
「だから湊くんも、呼びたいように呼んで。瑠璃でも、瑠璃さんでも、好きな呼び方でいいんだよ」
差し伸べられたその手を見つめ、湊は小さく息を吐いた。
(……なんだ、この人。包容力が半端ない。ここなら、やっていけるかもしれない)
胸の奥が熱くなるのを抑えるように、湊は胸元で拳を握った。
「……飯塚湊です。俺、ラジオをやってて……出来れば、その系統で続けられたらと思ってます」
「うんうん!」
瑠璃は勢いよく頷き、目を輝かせた。
「湊くんのラジオ、私も聴いてたよ。まさか最終回で“化石音質”の放送するとは思わなかったけど!」
「そ、それは……」
湊は耳まで赤くして視線を逸らす。
瑠璃はくすっと笑い、柔らかい声で続けた。
「あの音質でも、湊くんの声はちゃんと届いてた。それってすごいことだよ」
湊はしばし黙り込む。喉の奥が熱く、言葉が詰まりそうになる。
それでも、かすかに笑みを浮かべて頭を下げた。
「……ありがとう。そう言ってもらえると、救われます」
瑠璃はにっこり笑い、両手を合わせて小さく拍手をした。
「よし、じゃあ次は“ことのはプロ”から、もっとクリアな声を世界に届けよう!」
その言葉に、湊の胸はまた少し軽くなった。
「あ、そうだ。あとね、紹介したい人いるんだ。……そろそろ来るかな」
瑠璃が言い終えて数秒後。
ガチャリとドアノブが捻られ、扉が開いた。
茶色い癖っ毛の青年が、紙袋を抱えて入ってきた。
「姉ちゃん、ただいまー。菓子とジュース、こんなにいらんやろ。アイスも買ってきたわ」
「あ、涼太おかえりー。流石、気が利くねぇ」
涼太、と呼ばれた青年は自然な笑顔を浮かべながら荷物をテーブルに置いた。
湊は思わず目を瞬かせる。
(……この人が紹介したい人? 姉弟、なのか)
第一印象は、明るくて親しみやすい雰囲気。
瑠璃と同じ空気をまとっていて、事務所の温かさがそのまま体現されたようだった。
「初めまして、飯塚湊です。今日からお世話になります」
「おお、よろしく! 俺は星川涼太。そこの瑠璃の弟や。あ、タレントやのうてスタッフな」
笑顔で差し出された手を、湊は握り返した。
その明るさは姉と同じで、自然と場が和んでいく。
そこで瑠璃が楽しげに口を挟む。「そうそう、この子ね、昔は配信とかやってたんだよ。めっちゃ人気あったんだから」
「え、配信?」
湊は意外そうに目を丸くする。
「ゲーム実況っていうの? 笑いながらやり合っててね、私もよく見てたの」
「へぇ……」
涼太は少し視線を伏せ、缶ジュースの縁を指で弄んだ。
「もうやってへん。……昔の話や」
その横顔に、一瞬だけ陰が差す。
だがすぐに笑顔を作り、いつもの調子に戻った。
「ま、何はともあれ湊くん、よろしくな。俺、基本毎日ここにおるから、寂しなったら用なくても寄ってええで」
その明るさに、湊もつられて小さく笑みを返した。
***
夜。
アオノネのリビングに荷物を置いた湊は、ソファに腰を下ろしスマホを手に取った。
(……あの星川涼太って人、どっかで聞いたような気がするんだよな)
明るくて気さくな人だった。
けれど一瞬だけ見せた陰りが、妙に胸に残っている。
軽い気持ちで検索バーに名前を打ち込んだ。
《星川涼太》
一般人らしく大きな情報は出てこない。
だが、関連に引っかかったのは動画配信サイトのリンクだった。
【あおほしCH】
(……チャンネル?)
指先が自然に画面をタップする。
並ぶのは五年前のアーカイブ。
タイトルには「雑談しながらFPS!」「歌ってみた」などが並んでいた。
再生ボタンを押す。
映像が切り替わり、茶色い癖っ毛の少年が無邪気に笑っていた。
――昼間に会った涼太の、少し幼い姿。
『おい葵! またミスったやろ!』
『……黙れ下手』
隣には黒髪の少年。
カメラ越しでも伝わる鋭い目。
無愛想な声が、けれどどこか楽しげに響く。
(……葵?)
思わず湊は息を呑んだ。
コメント欄には《あお×ほし最強w》《今日も喧嘩芸w》と流れている。
二人で笑い合い、どつき合いながらゲームを続ける姿。
(これ……葵? でも、今の葵と全然……)
信じられず、動画をもう一度見返す。
画面の中の葵は、毒舌を飛ばしつつも確かに笑っていた。
涼太と肩をぶつけ合い、時折ふっと口元を緩める。
今の省エネで無表情な彼からは想像もできない姿。
胸の奥がじわりと熱くなる。
(……何で、こんな顔をしてたのに。どうして今は――)
湊はスマホを握りしめ、黙り込んだ。
画面に映る「過去の葵」と「今の葵」の落差が、言葉にならない衝撃となって心に残った。
ガチャリとリビングの扉が開く。
特に「おかえり」という言葉もなく、葵は湊を一瞥しただけでキッチンへ向かい、ケトルに水を注ぎ温める。
「あ、葵。あの……さ」
「なに」
呼びかける湊の声は、どこか探り探りだった。
葵は、鋭い無表情のまま顔をわずかに上げる。
「き、今日さ。事務所……小さいとこだけど、所属してきた」
「……そうか」
無駄のない端的な返答。
それでもわずかに安堵の色を含んだ、柔らかな声音だった。
しかし――
「そこのスタッフに、星川涼太さんっていう人がいて……葵は」
「知らない」
言葉を最後まで言わせぬように、鋭く叩き斬る声。
繰り返された一言は、完全な壁だった。
「……あ、うん。そうか」
湊は慌てて笑みを作り、咄嗟に話題を切り替える。
「えっと、今日はさ……事務所の人たち、すごくあったかかったよ」
声はわずかに上擦っていた。
本当はもっと聞きたいことがあったのに、気まずさだけが喉に絡みつく。
葵は返事をせず、ただ静かにケトルの湯をマグカップへ注ぎ続けた。
白い湯気が立ち上り、二人の間に見えない幕を下ろしていく。
湊はそれ以上何も言えず、ただその幕の向こうをじっと見つめていた。
胸の奥に、拭えない違和感だけを残したまま。
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