第2話 省エネと陽キャ
因課・灯影支部の応接室。
雁木亮介は煙草の煙を燻らせながら、机越しに一人の男を見据えていた。
芹沢誠。落ち着いた雰囲気を纏う男だった。
淡い金髪はやや長めに伸ばされ、前髪がさらりと片目を覆う。
光の角度によって銀色にも見え、その中から覗く青い瞳は静かでありながらも観察するような鋭さを宿している。
身長は平均より少し高く、細身だが立ち姿には無駄がない。
紺色のジャケットに灰色のシャツを合わせ、派手さはないが、どこか洗練されていて、街に溶け込みながらも人目を引いた。
第一印象は柔らかいが、笑みの奥にどこか達観したような影を感じさせる。
軽薄にも誠実にも見える、不思議な二面性を持つ男だった。
「一ノ瀬のことだがな……因課の人間を張り付けりゃ、あいつは絶対に逃げる」
「そうだな。彼、他人を徹底的に拒むから」
「だから外からだ。表現の世界にいる人間で、ある程度距離感を分かってる奴をつける。……心当たりは?」
芹沢は少し黙り、苦笑する。
「……俺に説明してる時点で決めてるだろ」
「まあな。ただ、お前の口から聞きたい」
「音瀬奏真。知っての通り、人気俳優。俺はあいつのマネージャー兼監視役。――終わり」
ただ……と芹沢は続ける。
「奏真は表現者に対して妙に真剣なんだ。だから、お前が俺に声をかけたのは間違っていない」
雁木は紫煙を吐き、渋い顔で頷いた。
「任せる。一ノ瀬の異能は一分限定と言えど、この街を狂わせる力だ。物理的にも、人心掌握的にもな」
「本人も分かってるから、外の刺激を避けてるんだろうね」
空気が重くなり、空気清浄機のかすかな音が耳に響く。
「ある意味、芸能界で干されて正解か?」
「……どうかな。傷を負ったのは事実だ。むしろ君が言ったその強力な異能が暴走しなかったのは奇跡だ」
「お前がそう思うなら、そうだろうよ。話は終わりだ」
雁木は煙草を灰皿に揉み消し、立ち上がった。
部屋を出ていく背中を、芹沢は軽くため息をつきながら見送る。
「ったく、うちの組長は横暴だな」
スマホを取り出し、呼び出し音を聞きながら小さく笑った。
「奏真。頼みがある。……いや、断れないだろうな、お前なら」
電話口の相手が返事をする前に、芹沢は名を告げる。
「一ノ瀬葵」
刹那の沈黙。
だが芹沢には、その向こうで息を吐き出した爆音の気配が手に取るように分かった。
「こら、騒ぐな。……お前さ、あの一分歌に惹かれてたろ」
苦笑を浮かべ、言葉を続ける。
「朗報だ。今度、彼に会わせる。大事なミッションだ」
次の瞬間、スピーカー越しに耳をつんざくような叫び声が響いた。
芹沢は眉をひそめながらも、口元には楽しげな笑みを浮かべていた。
***
通話がぷつりと切れた。
一瞬の静寂……。そして。
「やったー!!!!」
奏真は両手を突き上げ、全力で叫んだ。
ソファに飛び乗り、次の瞬間には床に飛び降り、意味もなくぐるぐる回り始める。
「マジかよマジかよマジかよ! 本物の一ノ瀬葵に会える!? 俺死んでもいい!! いやダメだ死ねない! 助けてえええ!!!」
そのままベッドにダイブし、枕を抱きしめてバタバタと足をばたつかせる。
「やっべぇ……心臓爆発する……! 俺、絶対顔に出る! 無理無理無理! でも会いたい!!!」
枕に顔を押しつけて絶叫し、すぐに起き上がる。
スマホを掴んでSNSを開くも、すぐに閉じる。
「名前と歌声以外分からん! 情報ないの逆に燃えるんだよな……! はあああ……!」
興奮のあまり呼吸が乱れ、胸を押さえながら壁に頭をぶつける。
「落ち着いて俺! 俺、俳優! はい、プロの顔! でも、あの一ノ瀬葵だぞ! あの声の持ち主! どんな人おおおぉっ!!」
――ただのファン丸出しのその姿は、人気俳優のイメージからは程遠かった。
***
灯影市の繁華街から少し外れた住宅街。
ビルやマンションに囲まれる中に、ぽつんと二階建ての一軒家が建っている。
外壁は少しくすんだ白。
ところどころ塗装が剥がれ、年季を感じさせるが、手入れが行き届いているのか、不思議と古臭さよりも温かみを覚える佇まいだった。
玄関脇には小さな表札が掛けられている。
そこには控えめに、青い音符のマークと一緒に《アオノネ》と記されていた。
周囲の静けさの中、建物だけが微かに「音の気配」を纏っているようだった。
この扉の向こうに、一ノ瀬葵がいる。
そう思うだけで、奏真の胸の鼓動が速まる。
「……よし」
深呼吸をひとつ。
マスクを整え、ジャケットの襟を直す。
指先に汗がにじむ。
人気俳優・音瀬奏真。普段ならどこへ行っても堂々としているはずなのに。
「……落ち着け、俺」
呟きながら、インターホンを押す。
しばらくしてから静かな声が返ってくる。
『……誰』
歌声以外のその短く静かな声に胸を射抜かれる。
この声、本物だ。
「俺、音瀬奏真っていいます。俳優の! 今日から――」
『帰れ』
ガチャンと切られてしまい、時が止まる。
有無を言わさぬ完全拒否。
だが、それが逆に燃えた。
インターホンを再び押すが、返事なし。
諦めずに何度も押す。
ピンポーンと何度も響き、ようやく返事が返る。
『うるさい。俳優が何の用』
奏真は一瞬ためらったが、覚悟を決めて声を張る。
「俺、勝手に来たんじゃないんです! 因課の人に言われて……あなたのサポートを任されたんです!」
しばしの沈黙。
『因課……?』
小さくつぶやいたその声は、感情の読めない低さだった。
続いて、深く長いため息がマイク越しに漏れる。
苛立ちとも、諦めともつかない音。
『……ったく、余計なことを』
ガチャリ、と金属音。
玄関の鍵が回る。
重たい扉がゆっくりと開いた。
そこに現れたのは、黒髪の青年。
小柄で華奢な体つき。
眠たげな目元と、感情を映さない薄い表情。
これが、一ノ瀬葵。
ずっと会いたかった奇跡の人。
葵は半眼のまま、じろりと奏真を見上げる。
「……何で俳優なんか寄越すんだ」
吐き捨てるように言いながらも、扉は完全には閉じられなかった。
葵は面倒くさそうに体を横へずらし、扉を半分だけ開いた。
「……入れ」
投げやりな言葉に、奏真は胸を押さえながら小さく頷いた。
俳優として、初対面では堂々としているのが常だ。
だが今日は、妙に足取りがぎこちなくそわそわと体がうずく。
玄関をくぐると、木の匂いとシンプルな居住スペース。
ここはリビングダイニングに当たる場所なのだろう。
葵はソファに腰を下ろし、譜面をいじりながら顔を上げない。
「……俳優が俺に何の用」
その声は低く、乾いていた。
鋭さよりも、感情を削ぎ落としたような空虚さが滲んでいる。
奏真は拳を握りしめ、一歩踏み出す。
「俺は、君のことをサポートしろって言われた。けど――」
言葉が詰まる。
胸の奥から熱がせり上がる。
「本当は……俺自身が会いたかったんだ。君の歌に」
リビングに一瞬の沈黙が落ちる。
葵は譜面をめくる手を止め、ようやく顔を上げた。
眠たげな瞳が、じっと奏真を射抜く。
驚きも喜びもない。
ただ、壁のように距離を置く眼差しだけがあった。
「……ミーハー気取りなら帰れ」
短くそう吐き捨て、葵はまた視線を落とした。
「そんな軽い気持ちでここに来たわけじゃない」
奏真の声は震えていた。
だが、その瞳は揺らいでいない。
「俺は……あの一分の歌に救われた。あの声に、胸を撃ち抜かれた。俳優としてじゃなく、一人の人間として、君に会いたかったんだ」
葵は動かない。
視線は譜面に落ちたまま、表情ひとつ変えない。
やがて、長い沈黙ののちにぽつりと口を開く。
「……言葉だけなら、誰にでも並べられる」
その響きには怒気も棘もない。
ただ、試すような冷ややかさがあった。
奏真は唇を噛みしめ、それでも一歩近づく。
「だったら、証明する。俺はミーハーなんかじゃない。君の歌に本気で向き合いたいんだ」
葵はふう、と小さく息を吐いた。
その瞳がわずかに奏真を映す。
「……お前に何が出来る。何をサポートする? 余計な手間が増えるだけだ」
葵の声は低く、乾いていた。
挑発でも拒絶でもない。
ただ淡々と、相手を試すように。
奏真は一瞬、言葉を失った。
けれど、すぐに真っ直ぐな視線を返す。
「出来ることなんて、正直わからない。俺は歌うことは出来ないし、音楽を発信する側じゃなく、勝手に拾う側だ」
拳を握りしめ、続ける。
「でも、だからこそ見えるものがある。俺は舞台に立つ人間として、表現を追い続けてきた。君の歌を聴いて、本気で震えたんだ。だから……その力を、ひとりで抱え込ませたくない」
葵は視線を譜面から外さない。
ただ、わずかに指先が止まった。
「……勝手にしろ」
短く吐き捨て、葵は立ち上がる。
足取りは重くも早くもなく、ただ無関心を装うようにリビングの奥へ消えていく。
取り残された奏真は、しばらくその背中を見つめていた。
拒絶に近い言葉。
けれど、それは完全な否定ではない。
胸の奥に熱が灯る。
「……勝手に、かぁ」
口元に笑みを浮かべ、ぽつりと続ける。
「じゃ、勝手にさせてもらおうかな」
その声は軽やかだったが、決意は揺らいでいなかった。
一ノ瀬葵。
憧れの名を心の中で呼びながら、奏真は小さく息を吐く。
拒絶ではなく、試されている。そう直感した。
「絶対に、証明してみせる」
静かなリビングに、彼の言葉だけが熱を残した。
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