きっとまたどこかで
電車が遅れているらしいとアナウンスが入ったとき、すでに駅のホームにはそれなりの人だかりができていた。誰もが口には出さないけれど、苛立ちや焦りが肌からにじんでいた。携帯を取り出して上司に連絡する人、ため息混じりに腕時計を見る人、イヤホンを外しもせずただ立ち尽くす人。その中で、僕もまたその「誰か」にならないように気をつけながら、静かに立っていた。
しばらくして、ざわめきの中に不自然な静けさが混じった。人々が何かに気づきはじめたようだった。駅員が、ロープを張ってホームの先を隠し、救急隊が足早に駆け抜けていく。そこでようやく「事故」という言葉が現実味を帯びる。
少し離れたところで、小さな声が漏れた。
「ほんと迷惑だよな……朝からさ」
その声に呼応するように、いくつかの舌打ちが続いた。誰かが「勘弁してくれよ」と言い、その場にいた何人かが同意のように首を振った。まるで、その言葉に自分の苛立ちを乗せることが、ひとつの正しさであるかのように。
僕は視線を落としたまま、そのすべてを聞いていた。何かを否定する気力も、同意する感覚も、どちらも持ち合わせていなかった。ただ、心の奥のどこかが冷たくなっていくのを感じていた。
きっと、あのホームの先に落ちた誰かにも、名前があって、誰かと交わした約束があって、きっと昔は好きだった曲があって、もしかしたら飼っていた動物の名前をふと思い出したりする瞬間もあったはずだ。そう思うだけで、誰かが吐き出した「迷惑」という言葉が、まるで壁に叩きつけられるように響いた。
僕は一度だけ、ほんの短い時間だけれど、本気でこの世からいなくなりたいと思ったことがある。それは、暗くて、言葉にするにはあまりに不格好な思いで、誰かに話したらきっと「気のせい」や「考えすぎ」で片付けられてしまうような、そんな弱さだった。
だからだろうか、今日の「事故」に対して僕が抱いた気持ちは、怒りでもなく悲しみでもなく、ただただ無力感に近いものだった。
見えない誰かがここで命を終えたという事実。それが、数分の電車の遅れと引き換えに、無言の不満として処理されていく。この国では、人の命は静かに処理される。紙の上で、報告書で、アナウンスで、簡潔に、感情を混ぜずに。
人の死が「出来事」になっていく瞬間を、僕はこの目で見ていた。名前も知らない誰かの終わりが、ただの交通情報の一部になっていくのを。
少し遅れてやってきた電車は、何事もなかったかのようにホームへ滑り込んだ。乗客たちはまた無言のまま流れ込む。いつもと変わらない、混雑と、揺れと、日常。
僕は車内で、窓の外を見つめながら、ふと思った。
今日亡くなったその人が、最後に見た景色はどんなものだっただろうか。誰かに、名前を呼ばれていた記憶は、胸に残っていただろうか。
──せめて、どこかで、あなたのことをちゃんと覚えていようと思った。
それが僕にできる、たった一つのことだった。