第9章 「マルシカ」
城壁の向こうに広がるのは、未知と陰謀の渦。
煌びやかな商業都市──だが、その裏には牙を剥く者たちが潜んでいる。
すべてが商談であり、すべてが駆け引き。
そして出会いは、新たな因縁を生み出す……
太陽が高く昇った頃、一行は丘を下り、その麓でついに目にした。
それは──マルシカの街。
厚い石造りの城壁が街を囲み、旅人を威圧するほど高くそびえ立っている。遠くには見張り塔、はためく色鮮やかな旗。巨大な門の前には、商人や旅人、荷馬車が長い列を作り、検査を待っていた。
ジョンは目を見開いた。
「……これ、街というより要塞だろ」
チップは胸を張り、もこもこの腹をドンと叩いた。
「フフン! ようこそ、この地域で一番の商業都市へ! ボクがいなければ、まだ森の中で迷子になってたはずだぞ!」
「お前、木材を売るためについて来ただけだろ」ジョンが即座に突っ込む。
「しーっ!」チップは慌てて周りを見渡し、小声で言った。
「英雄ってのはな、いつだって秘密の動機があるもんなんだよ」
その横でニナの瞳が青く輝く。
「種族反応を検知。人間、亜人、ドワーフ……未知の魔力反応も多数。興味深い」
槍に寄りかかっていたサミは、黙って街を見つめていたが、ぼそりと一言。
「気をつけろ。森よりも街の方が危険な場合もある」
その一言で、和やかだった空気が一瞬にして重くなる。
やがて列が進み、彼らの番がやってきた。
⸻
門前で、太った老兵が手を上げて言った。
「お前たちは何者だ? 街で何をする?」
チップが一歩前に出て、堂々と胸を張る。
「ボクは商人ギルド所属の商人だ!」
彼は誇らしげに、一つ星の商人証を掲げた。
老兵は目を細め、後ろの三人に視線を移す。
「で? そこの三人は?」
「護衛だ!」チップは自信満々に答える。
「一つ星の商人が……護衛を三人も?」老兵は眉をひそめた。
「妙じゃないか?」
チップは額に汗を浮かべた。
「み、妙って……なんでさ?」
老兵は顔を近づけ、口元を歪める。
「護衛を雇う金があるなら、なぜまだ一つ星なんだ? ……だがな、小遣い程度払ってくれるなら、その話も信じてやろうじゃないか」
チップの顔が真っ赤に染まる。
「くっ……これじゃ、全財産が飛ぶ……!」
渋々袋に手を伸ばしたその時──
後ろから、一歩。
サミ。
疲れ切った眼差しの放浪者は、一言も発さずに歩み出ると、マントの奥から一枚のエンブレムを取り出した。
竜を象った紋章の下に、四つの光る宝石。
──冒険者ギルド、プラチナランク。
老兵の顔色が一瞬で変わり、膝をつく。
「ひっ……! し、失礼いたしました! プラチナ様と知らず、無礼を……!」
チップは袋を抱えたまま、固まった。
「な、なんで今度は跪くんだよ!?」
老兵は冷や汗を垂らしながら続ける。
「プラチナランクの冒険者様に入城料など不要です! 光栄の極み! この街に現れる魔獣の中には、軍ですら歯が立たぬ者もいます……だが、プラチナ様なら都市ひとつを滅ぼす魔物さえ討伐できるでしょう。それほどの方を怒らせれば、国ひとつ危うくなる……」
サミは何も言わず、静かにエンブレムを仕舞った。
沈黙の中、ジョンがぼそり。
「今日の教訓:国を半壊できる奴と旅をしろ」
チップは袋を鞄に押し込み、ぶすっと顔を歪める。
「……社会的チートだろ、こんなの」
⸻
城門を抜けた瞬間、ジョンは思わず息を呑んだ。
街は──眩いほどの活気に溢れていた。
色とりどりの屋台が並び、広い石畳の通りを人々が行き交う。商人たちの声が響き渡る。
「安いぞ安いぞ! 二つで一銀!」
「新鮮だよー! イルントールの丘直送!」
その喧騒の中でも秩序があり、建物ごとに品目が分かれているようだ。白いレンガ造りに金の装飾を施した建物が立ち並び、華やかな旗が風に舞っている。
ジョンはその光景に圧倒されながらつぶやいた。
「……で、どこから始める?」
チップが胸を張る。
「まずは商人ギルドだ! 納品してくる!」
「その後は冒険者ギルドだな」サミが続ける。
「討伐の報告、素材の売却……それにジョンとニナの登録も必要だ。俺の証がなければ、そもそも街に入れていなかったからな」
「はいはい……」ジョンは肩をすくめた。
街を抜けてたどり着いたのは、ひときわ目立つ巨大な建物。白い壁と黄金の彫刻に彩られ、その堂々たる入口はまるで宮殿だった。
「……金の象徴ってやつか」ジョンがぼやいた。
入口で衛兵が二人、槍を構えて立っていた。
「目的は?」
チップは即座に一つ星の商人証を掲げる。
「ギルドの依頼145672番だ!」
衛兵の一人が証を受け取り、奥へ消える。数分後、戻ってきた。
「確認済み。東門から入れ」
ジョンは首を傾げた。
「……なんでこんな面倒な手続きなんだ?」
チップは小馬鹿にしたように説明する。
「ここはな、誰でも取引できるわけじゃない。ギルドは銀行でもあるんだ。支払いは一番いいが、何でも買ってくれるわけじゃない。依頼が出た品だけ。しかも──失敗すれば信用失墜、二度と取引してもらえない。でも成功すれば、報酬も信用もステータスも跳ね上がる。融資だって受けられる。商業を支配する仕組みさ」
やがて受付に到着すると、一人の女性が姿を現した。
金髪に整った顔立ち、すらりとした体。
チップの態度が一変。目をとろんとさせ、甘えるような声で。
「ジョアナぁ♡ ボクの最愛の受付嬢! 今日も世界一かわいいよ!」
ジョアナは微笑んで言った。
「あら、チップちゃん。今日も私のかわいいお羊ちゃん♡。今回はお友達も一緒なのね? ……じゃあ、いつもの部屋に置いてくれる?」
チップはスキップするように部屋へ入り、魔法の鞄をひっくり返して素材を山のように積み上げた。
ジョアナはざっと数え、微笑む。
「ふふ……今回は59点ね。査定してくるから、待合室で待ってて」
頷いて廊下へ出たその時──
影が道を塞いだ。
灰色の毛並みを持つ狼人。
赤と白の肩掛けに金の装飾。堂々とした体格に、鋭い目と挑発的な笑み。
「おや……小さなおやつじゃないか。……いや、商人様だったな」
チップの毛が逆立つ。目が細まり、声が低くなる。
「フン……首輪付きの犬が、よく吠えるじゃないか」
二人の視線がぶつかり合う。
空気が張り詰め、一触即発。
チップ「ぐぬぬ……あの狼野郎、ボクを“おやつ”呼ばわりするなんて!」
ジョン「いや、見た目は確かにスナック感あるけどな」
チップ「はぁ!? 誰が一口サイズだって!? ボクはれっきとした大商人なんだぞ!」
ジョン「一つ星のね」
チップ「うるさいっ! 次は五つ星になって、あの犬っころを見返してやるんだから!」
ニナ「……犬と羊。食物連鎖的には妥当」
チップ「ちょ、ニナまで!?」
ジョン「……なあ。でもさ、受付嬢に“お羊ちゃん♡”って呼ばれた時は文句言わなかったよな?」
チップ「そ、それは……状況が違うのっ!」
ジョン「どう違うんだよ」
チップ「えーっと……商売上の戦略的アプローチ? ま、まあそういうこと!」
チップ「と、とにかく! 次回は──」
ジョン「“おやつ”」
チップ「ブッちぎれるぞコラァ!! 次回、『狼と羊』だぁ!!」




