第六章 最初の戦い
本当の試練は、準備が整った時には訪れない。
それは、予告もなく混沌が牙を剥いた瞬間に始まる。
理屈は怒りの前に崩れ去り――
時に、不可能を越えるには、「信じる」しか道はない。
その三対の赤い目が、暗い森を切り裂くようにじわじわと近づいてきた。それはまるで燃えさかる炭火のように、生々しく輝いていた。影の中から徐々に姿を現してきたのは、最初は丸まった背中の輪郭、次に分厚い甲羅と重たい足音だった。赤い瞳はまるで純粋な憎悪で鍛えられたかのように、鋭く光っていた。
やがて、それらは密林から完全に現れた。
三体の巨大な生物――その姿はまるでアルマジロのようだったが、成獣の狼ほどの大きさを誇っていた。歯は長く湾曲し、顎から突き出す牙はまるで短剣のよう。分厚い甲羅は月明かりをわずかに反射し、原始的な金属のように不透明でありながら、見るからに堅固だった。それは、自然が戦争と破壊のために作り出したかのようだった。
「はあ……ただのデカいアルマジロじゃん……」
ジョンが気を緩めながら呟いた。「大人しければ助かるけどな……」
チップの方を見て確認しようとしたが、その姿は耳が垂れ、足が震えていた。
「どうした?」ジョンが真顔で尋ねた。
チップの肩は明らかに震えていた。
「ア、アレは……フリンクスだよ……。丸まって突進してくるんだ……。獲物が気絶したら、牙と鋭い爪でズタズタに裂く……。しかも最悪なのは……風魔法を使うこと……。発動すると異常なスピードになって……あの甲羅じゃ、防御を貫くのはほぼ不可能だよ……」
「少なくともチビはよく分かってるな」とサミが腕を組んで言った。「助かるよ。」
ニナは一歩前に出て手助けしようとしたが、カンッと音がして、サミの槍が目の前に立ちはだかった。
「手を出すな。下手に動けば、あいつらを殺すことになる……お前もな。」
ニナは立ち止まった。深呼吸した。胸に感じるこの妙な違和感……それに名前は付けられなかった。でも、理性が言っている通りに従った。衝動を飲み込み、分析に集中した。視線が角度、距離、粉塵の変化を捉えた。
「感情ではなく、理性で動く時……物事はずっと楽になる」
サミは石の上に座り、槍を肩にかけたまま、一切動かずに観察していた。
ジョンは目の前の獣たちに意識を集中した。その横でチップはもう震えていなかった。眉をしかめ、口を噛みしめて怒りを隠さない。
「おい……今度はキレてるのか? さっきまでガクガクだったろ」
チップは胸を張って叫んだ。
「誰が怖がってるって? オレ様は偉大なるチップ様だぞ! チビって誰のことかなっ!?」
ジョンは目を細めた。どうやらサミの「チビ」発言が耳に届いていたらしい。だが、それが彼のやる気を引き出しているなら……今は好都合だった。
前方のフリンクが急に身体を丸め始めた。背後の二体が魔法を発動し、緑色の魔法陣が空中に浮かび上がった。
「魔法陣……」とジョンが呟いた。「俺が使ったのと同じやつ……」
二本の風のビームが、前のフリンクの背中を撃ち抜き、まるで投石機のように突進させた。
その速度は凄まじく、ジョンとチップの間を通り過ぎた時、どちらも反応する間すらなかった。
直撃していたら……間違いなく即死だった。
「大丈夫か?」ジョンが声をかけた。
「う、うん……そっちは?」
「なんとか……。昨日使った魔法と、ほぼ一緒だったな」
「まあ、似てるだけさ」とチップが答えた。「でも、あんたはまだ分かってない。魂に刻んだ魔法は、もう詠唱もいらない。反射的に出せるんだよ」
「そういうことか……。なら、動くぞ!」
二人は迷わず突撃した。相手に再度魔法を使わせる前に――
チップは魂に刻まれた「加速」と「強化」の魔法を起動し、身体を強化。
ジョンは己の肉体だけを信じ、一直線に突っ込んだ。
フリンクが爪で迎撃しようとしたが、風魔法なしの動きは鈍かった。
ジョンは素早くかわし、背後へ回り込み、背中に一撃を叩き込む。
ガキンッ!――剣が跳ね返され、衝撃が腕に響く。
(硬い……まるで鉄板だ)
一方、チップは地面の石を踏み台にして、棒高跳びのように跳び上がり、空中で棍棒に持ち替えた。
「喰らえーっ!」
マナを注ぎ込んだ棍棒をフリンクの頭に叩きつけた。
*ズドン!*という鈍い音。
フリンクはその場に崩れ落ち、動かなくなった。
ジョンはまだもう一体と交戦中だった。斬撃は滑るばかりで、傷一つ与えられない。
動きを見極め、隙を突いて――剣を口へと突き刺した。致命的一撃。
「よっしゃあ!」
「やったな!」
だがサミは片眉を上げ、皮肉げに言った。
「うっひひ……何か忘れてないか?」
森の奥から、土煙がこちらへと迫っていた。
ジョンとチップは本能的に横へ跳び退き、その場に何かが突っ込んできた。
「ようやく……テスト開始だ」
その新たなフリンクは、見た目は変わらない。しかし、明らかに動きが滑らかで、音がない。甲羅には爪痕と古傷。
「さっきの二体は……子供だった」とサミが呟く。「こいつは……親だ」
「同じ大きさに見えても、能力は別物だ」
「お前ら、さっきのですら傷一つ付けられなかっただろ? こいつがどんな怪物たちと戦ってきたか、想像してみろよ……」
フリンクの目が怒りで光り、唸り声が低く森に響く。
「やべぇ……これはマズいぞ!」
「言うなよっ!」
二人は一気に突っ込んだ。
フリンクは怒りに任せて後ろへ跳ね、背中を木に打ちつけて、その反動を使って丸まった。
それを見たジョンとチップは、左右に跳んで回避。
だが、フリンクは途中で転がるのを止め、魔法を発動。
足と胴に風の魔力が集中し、身体全体に風のマントが纏われた。
ジョンが気づく。「あいつ……最初からそれが狙いか……!」
突進してきた時の速度は普通に見えた。だが――
「伏せろッ!」サミの声が響いた。
ジョンは反射的にしゃがむ。
直後、目にも止まらぬ速さで拳が通り過ぎた。
風を切る音。空気ごと切り裂かれる。
「くそっ……これが風のマントか!」
チップもすかさず後方へ跳び、攻撃を回避。
ジョンは確信する。「あれは……攻撃と同時に、風の噴射で加速してる……!
フリンクの成体は、倒れた子供たちを見て体を震わせた。赤い目が怒りに燃え、低いうなり声が森に響き渡る。
「くそっ……これはマズいぞ!」ジョンが歯を食いしばった。
「言うなよっ!」チップはすでに棍棒を構えていた。
二人は一瞬の迷いもなく突撃した。
フリンクは接近に気づくと数歩後退し、体をひねって太い木に背中をぶつけた。その反動を利用し、自らの身体をバネのように丸める。
一瞬で前方に傾き、そのまま木を使って回転し始めた――が、速度はまだ本気ではなかった。
ジョンとチップはその動きを見抜き、左右に飛んで回避。
しかし、フリンクは途中で動きを止め、まるで予測していたかのように魔力を集中させた。
足と胴体に風が渦巻き、全身を包むように風のマントが形成される。それは、まるで見えない刃のようにうねっていた。
「くそっ……最初からフェイントだったのか」ジョンが顔をしかめた。
「やば……これは本当にヤバい……」チップの目が見開かれる。
再びフリンクが突進してきた時、動きは一見普通に見えた――速いが、まだ対応できるレベル。
ジョンは一瞬、対応できると思った……その時。
「伏せろッ!」
背後からサミの怒声が飛んだ。
ジョンは反射的に身をかがめた。
余裕で避けられると思っていた――だが、直後、頭上を何かが音もなく通過した。
風が裂ける音。空気が切り裂かれる。
フリンクは止まらず、続いてチップに跳びかかった。
チップも反応し、後方に飛んで何とか回避。
その瞬間、ジョンは全てを理解した。
「……小さな風の噴射か」
攻撃のたびに、風のマントが短い突風を放ち、速度を異常に高めていた。
加えて、あの厚い甲羅――外からの攻撃を風で逸らし、魔法ですら届かない。
「チップ!」ジョンが叫ぶ。
「同時に、死角を狙うぞ!」
チップは側面に回り、風を纏った棍棒で頭を狙って振り下ろす。
――トンッ!
まるで岩に当たったかのような音。まったく効いていない。
戦いは激化した。
フリンクは獰猛に攻撃し、ジョンとチップは防戦に追われる。だが、決定打が入らない。
その時、ジョンの脳裏にある記憶が蘇った。
訓練場。
将軍タケダが、皮肉な目で彼を見ながら言った。
「このリンゴを、前にある紙を破らずに突き刺してみろ」
何度やっても失敗し、将軍は笑って茶化すばかりだった。
「無理だって!」とジョンは叫んだ。
ある日、将軍は無言で見本を見せた。
深く息を吸い、集中し、両手で剣を構えて突き出す――
刃は紙の前で止まり、リンゴの中心だけが見事に貫かれていた。
その光景が、ジョンの脳裏に焼き付いていた。
「……これしかない」
深呼吸。
思考を鎮め、感覚に集中する。
フリンクが突っ込んでくる――
ジョンは剣の先端に全てのオーラを集中し、正確無比な突きを放った。
それを見ていたサミが、片眉を上げる。
剣はフリンクの額を正確に捉え――
パキンッ!
乾いた音と共に、剣は砕け散った。
ジョンが反応する間もなく、フリンクが体当たりをかます。
強烈な衝撃がジョンを木に叩きつけ、肺の空気が一気に抜けた。
視界が揺れ、倒れた体の上に影が覆いかぶさる。
そこには、殺気に満ちたフリンクの目があった――
こいつは、本気で……オレを喰いにきてる。
チップ「うおおおおおおっ!! 死ぬかと思ったぁ!!」
ジョン「……俺も。あと数センチでミンチだったぞ…」
チップ「あんなの無理だって! 風で滑るし、固いし……あんなのをボクに倒せって鬼畜すぎる!」
ジョン「……固いのは分かる。でも“チビだから無理”は関係ないよな?」
チップ「な、なにぃ!? この暴言! ボクは『オヒツジ騎士団名誉分団』に報告するからな!」
ニナ「うふふ… 無事でよかったです」
チップ「うぅ…ニナたんの笑顔…すべてのトラウマが癒された…」
ジョン「そういや、戦闘中ずっと震えてただろ。“もうダメだぁ~!”って」
チップ「うぐっ……あ、あれは作戦の一部だったんだよっ!」
ジョン「作戦名『死んだふりして助け待ち』、ってとこか?」
チップ「や、やめろおお!! 背が低いからってイジるなあああ!!」
サミ「いや、事実だろ。お前は低い」
チップ「……ハッ!? な、なんだろう…足の震えが……ピタリと止まった!?」
次回予告…『怒り(いかり)』
ジョン「……嫌な予感しかしないな」
チップ「これ以上って……冗談キツイってばよ!!」
ニナ「分析完了。カオス指数、上昇中です」
サミ「フッ……ますます面白くなってきたな」