第2章 ― 未知の世界と不思議な羊
目を覚ました時、そこは知らない世界だった。
なぜ自分がそこにいるのかも分からず、誰も信じられないはずなのに――
「ニナ」の声が、心の奥に火を灯した。
そして、“あの羊”と出会ってしまった時、すべてが変わり始める。
笑ってはいけない。
あれは、ただのマスコットじゃない。
ジョンは突然目を覚ました。頭がズキズキと痛み、目を開けると、見慣れない光が視界を照らしていた。彼は完全に未知の場所に横たわっていた。
遠くから声が聞こえる。
「ほら、目を覚ましたよ」
落ち着いた少年のような声だった。15歳くらいの若者だろうか。
「ジョン……ジョン、聞こえる?」
今度は甘くてどこか懐かしい声。ジョンにはよく知っている声だった――ニナだ。しかし、以前のような人工的な響きではなかった。そこには、感情がこもっていた。
やっとの思いで目を開けた彼の前に現れたのは……羊だった。
「な、なんだこれは!?」
驚きのあまり、ジョンは叫んだ。
それは羊だった。いや、正確には“羊に進化した何か”だった。
身長は一メートル少し、大きな瞳に星型の飾りがついた角。青いマントを羽織り、額には星のシンボル。そして――しゃべった。
「大丈夫? 一週間も寝てたんだよ。疲れ切ってたみたい。もう目を覚まさないかと心配したよ」
羊のような存在は、優しく微笑んだ。
混乱しながら、ジョンは身を起こそうとした。
「ここはどこだ? お前は誰だ? 一体何が起きてるんだ!?」
「落ち着いて、落ち着いて」
その羊――チップは前足を上げて制した。
「僕の名前はチップ。ここは僕の家さ。君を見つけたのは“静穏の森”だったんだ。そこに落ちててね、幸運だったよ」
信じられない思いで周囲を見回すジョンの視界に、ニナが映った。
「なんで……君のホログラムがここに?」
もう一度目を凝らした。だが、これは幻じゃない。ニナはそこに、実際に立っていた。
「ジョン……私は今、本物よ」
表情の少ない、けれどどこか柔らかくなったその目で、彼女は答えた。
何も考えずに、ジョンは立ち上がって彼女を抱きしめた。
「ニナ……ようやくだ」
その様子を見ていたチップは、内心で怒りに震えていた。
(ちくしょう……俺の女神に触れやがって……)
目に憎しみをたたえながら。
だが、ジョンとニナが振り向いた瞬間、チップはニコニコ顔に変わった。
「えへへ……元気そうで何よりだよぉ〜」
甘ったるい声で言う。
ニナはジョンの肩に手を添えた。
「本当に大丈夫?」
「……体が変な感じがする」
そのとき、ジョンは首元にある青いペンダントに気づいた。強く光っている。
「来てからずっと、それが光ってたの」
ニナが言う。
ジョンはそれを手に取り、じっと見つめた。
「これは……誰がくれた? ……でも、なんだかすごく大切な気がする」
すると、光はゆっくりと消えていった。
「ニナ、ここは一体……?」
「正確な位置はわからないわ。動植物も、鉱物も、空気さえも地球のものとは違うの。参照できるデータがひとつもない」
ジョンは目を閉じ、必死に考えを巡らせようとした。
「でも……何が起きた?」
ニナは説明しようとした。科学的で高度な用語を使って。だが、その瞬間――激しい頭痛がジョンを襲った。
彼はひざをつき、息を荒げる。
「うぐっ……頭が……!」
「ごめんなさい! まだ無理だったみたい」
ニナが焦りの表情を見せた。
沈黙。
お互いに顔を見合わせる。
その空気を破ったのは――
ぐぅぅぅ〜〜〜〜っ
ジョンの腹の音だった。
チップが跳ねた。
「ごはんの時間だね! さあ、行こう!」
ニナが微笑んだ。
「……食欲って、こんな感じなのね。知識としてはあったけど、実際に感じるのは全然違うわ」
テーブルには、温かい野菜スープ、新鮮なパン、果物のジュースが並んでいた。
ジョンは座り、微笑んだ。
「……ありがとう。すごく、美味しい」
———
食事の後、ジョンは窓辺へ歩いた。そこから見える森の風景を眺め、どこか懐かしさのような感情が湧いた。
何も言わずにドアを開けると、陽の光が顔に降り注ぎ、爽やかな風が肌を撫でた。空気が澄んでいて、どこか力が湧いてくる。
「……この感覚、久しぶりだ」
バンカーに閉じこもり、研究に没頭していた日々。自由の感覚は、夢のようだった。
ジョンは森へと歩き出した。木々は一見普通に見えたが、近づくと幹が滑らかで金属のように光っていた。
彼は近くにあった斧を手に取り、思いきり幹に振り下ろした。
――ガンッ!
斧ははじかれ、手がしびれてジョンは尻もちをついた。木には、傷一つない。
背後から笑い声が響く。
チップが腹を抱えて笑っていた。
「まさか本気で“静穏の木”を力ずくで切ろうとしたの? ははは!」
ジョンは立ち上がり、苦々しい顔をした。
「じゃあ……頭を使えってことか?」
「半分正解。答えは“マナ”を使うこと。斧にマナをまとわせるんだよ。……ま、君の場合はまず頭突きの練習からかな?」
(……ムカつく)
「じゃあ、お前がやってみせろよ、森のマスターさんよ」
チップは斧を取り、目を閉じた。すると、斧が緑色に輝き始め、軽く振ると――木が真っ二つに割れた。
彼はドヤ顔で斧に寄りかかり、腰に手を当てた。
「ね? 楽勝、楽勝」
ジョンは目を丸くした。
「……なんでこのチビ羊にそんなことが?」
「誰がチビだとぉ!?!?」
「……チビとは言ってない」
「ふん……」
(この羊、明らかに身長にコンプレックスあるな)
———
家に戻ったジョンは、壁にかかった手描きのポスターに気づいた。どれも魔法陣や生き物の図、へたくそな文字が並んでいる。
その横には、乾いた枝がバケツに立てかけてあった。
チップは勢いよく箱に飛び乗り、枝を指揮棒のように振った。
「さあさあ注目! 偉大なるマスター・チップによる魔法講座の始まりだ!」
ジョンは腕を組み、眉をひそめた。
「マジでやるのか……これ……?」
チップは布切れで作った即席の教師コスチュームに着替え、眼鏡をかけて演台に立つ。
「準備万端!」
彼は、魔法の仕組みについて説明を始めた――
魔法を学ぶには、まず幾何学を理解すること。魔法陣は完璧な配置でなければならない。
次に必要なのは、生物学と科学。物質を操作するには、それらの構造を理解する必要がある。
魔法陣は、使用者の魂に刻み込まれる。
完璧な魔法陣ほど、魔法の威力と安定性が高い。
不完全な魔法陣は、マナを暴走させ、術者の身体を壊す。
歪んだ魔法陣で作った火球は、かすり傷程度。でも完璧なものなら、青い炎に雷がまとわりつくほどの威力になる。
上位魔法は、すべての基礎を極めた者のみが扱える。
魔物の核を利用する方法もある。あらかじめ魔法が刻まれた核にマナを流し、簡易発動ができる。ただし、核が魔法に耐えられないと壊れる。
魔法を魂に刻む前は、魔法道具や巻物での使用も可能。
最重要事項――“マナ”を操れること。もしくは体内に核を作り、“バッテリー”として使うこと。
———
ジョンは説明を聞いたあと、魔法を試そうとした。しかし、以前のように頭の中がスッと繋がらない。知識はあるはずなのに、思い出せない。
ニナがそばで説明を加えた。
「これくらい、ジョンなら余裕よ」
……だが、思い出そうとするたびに、視界が歪み、頭にノイズが響いた。
「う……なんだ、これ……?」
――そして彼は、倒れた。
「ジョン!!」
「おい! しっかりしろ!」
二人は急いで彼のそばに駆け寄った。
チップ「よーし!これで“魔法初心者コース”、無事に終了っと!」
チップ「……え、気絶した? やっぱりキミ、根性なしだね〜。もっとチップ様から学ばなきゃ♪」
チップ「強くなりたいなら、まず野菜を全部食べること! ボクみたいにねっ☆」
ジョン「そりゃそうだろ。羊って草食動物だし。だからチビのままなんだよな。へへっ。」
チップ「だ、誰が成長しないって!? チビでも! ちょっとずつ伸びてるんだぞぉ!!」