第11章 チップの過去・第一部
雨の夜、マルシカとイルントールを結ぶ街道で、ローガンと父レオンは壊滅した商隊を発見する。
倒れたフェランたちの中には、一匹の狼の子供――アントニーが、濡れた布に包まれた羊の赤子を抱えていた。
その赤子こそが、後に「チップ・グレイソン」と名付けられる存在だった。
時が流れ、アントニーは剣士として鍛えられ、チップは家族の愛(と執拗な着せ替え)に包まれて育つ。
剣とティーカップが共に響く、グレイソン家の奇妙で温かな日々が描かれる――。
「俺の名前はローガン・グレイソン。
グレイソン家の長男であり――そして、あの騒がしくて生意気な商人チップの兄でもある。」
腕を組みながら、彼は懐かしそうに笑った。
「だがな、アイツが今みたいな図々しい羊になる前……
すべては、あの雨の夜から始まったんだ。」
⸻
風が唸りを上げ、稲妻が夜空を裂いていた。
ここはミルジョネの大地。
交易都市マルシカとイルントールを結ぶ街道――王国でもっとも使われる商業路のひとつ。
俺は父、レオン・グレイソンと共に巡回任務に出ていた。
ただの警備のはずだった。
だが……鼻を突く鉄の匂いが、それを否定していた。
「ローガン。」
父が低く呟く。
「気を抜くな。何かがおかしい。」
やがて視界に飛び込んできた光景は――地獄そのものだった。
荷馬車が横倒しになり、車輪が雨の中でぎしぎしと回っている。
そして、あたり一面に転がる無数の死体。
彼らはフェラン族――“獣の末裔”と呼ばれる、知性ある種族たちだ。
人間と同じように文明を築き、社会を持つ。
猫、犬、兎、狼――さまざまなフェランの商人たちが、泥の上で冷たくなっていた。
雨が血を洗い流しても、地面は真っ赤に染まっている。
その中に、抱き合うように倒れた**羊族**の夫婦がいた。
死してなお、何かを守るような姿勢だった。
だが――その「何か」は、もうそこにはいなかった。
「……チュル草の匂いか。」
父が眉をひそめた。
それは禁断の香――魔物を誘う香草だ。
そして、まるでその匂いに応じるかのように、
森の闇からオークとゴブリンが這い出してきた。
血走った赤い目が、雨の中でぎらりと光る。
「ローガン! 左だ!」
俺は槍を構えた。
雨が視界を奪い、金属のぶつかる音が雷鳴に混ざる。
何体も斬り伏せ、泥の中を駆け抜ける。
最後の一匹を貫いた時、
世界から音が消えた。
――そして、俺たちは見つけた。
小さな影。
泥にまみれ、震える**フェラン・ルピン(狼族)の少年。
その腕の中には、濡れた布に包まれた羊族**の赤子がいた。
小さな狼は息を切らしながら、それでも必死にその命を守ろうとしていた。
「た、頼む……助けてくれ……こいつだけは……」
その声は途切れ、少年はその場に崩れ落ちた。
「父さん!」
俺は叫んだ。
レオンはすぐに駆け寄り、少年と赤子を抱き上げた。
「まだ息がある。急げ、屋敷へ戻るぞ!」
雨がさらに強くなる。
稲妻が道を照らし、まるで運命そのものが導いているかのようだった。
あの夜――グレイソン家は二つの命を迎え入れた。
⸻
少年が目を覚ましたのは、マルシカの屋敷だった。
全身に包帯を巻かれ、隣には籠の中で眠る赤子。
弱々しいが、確かに息をしていた。
父が静かに尋ねた。
「少年、何があった?」
狼の少年はしばらく黙り、やがて絞り出すように語り始めた。
「……俺たちはイルントール近くの村から来た商隊でした。
父さんたちと……あの赤子の両親は、ミスリルの原石を見つけたんです。
それを売りに行くために、偽装した商隊を組みました。」
「けど……誰かが裏切った。
道の途中でチュル草の匂いがして……すぐに魔物が襲ってきた。
雨、叫び声、血……。
あの子の両親は最後まで戦った。
俺に赤子を託して――『走れ、家族を守れ』って。」
沈黙が流れた。
父レオンは目を閉じ、深く息をつく。
そして少年の肩に手を置いた。
「よくやったな、少年。
お前の勇気が、この子を救った。
今日から、この子は我らグレイソンの一員だ。」
少年は目を見開いた。
籠の中の赤子が小さく鳴き、布を握りしめる。
レオンは微笑み、静かに言った。
「この子の名は――チップ・グレイソンだ。」
⸻
それから時が流れた。
あの夜の雨は記憶の奥に消え、屋敷には新しい日常が生まれていた。
あの時の狼の少年――アントニー・グレイソンは、立派な青年へと成長した。
俺の指導の下で剣術を学び、鋭い感覚と強い意志を持つ戦士となった。
「もう一度だ、アントニー! 足を広く、重心を低く!」
「はいっ、兄上!」
刃と刃がぶつかり合う音が、石畳の中庭に響く。
汗が飛び、息が荒れる。
それでもアントニーは笑っていた。
何度倒れても、立ち上がる。
それが彼の強さだった。
――その頃、屋敷の反対側では。
「や、やめてぇ! そのピンクのドレスは嫌だぁ!」
悲鳴に近い声が響く。
犯人はもちろん、我が家の女性陣だ。
チップ・グレイソン――雪のように白い毛並みと青い瞳を持つ小さな羊族の少年。
彼は今、母イリアと三人の姉――ライラ、サリア、ミーナの手によって、次々と着せ替えられていた。
「チップちゃん、じっとして! リボンがズレちゃう!」(サリア)
「きゃー! 見て! ふわふわで可愛い〜♡」(ミーナ)
「……二人とも、少しは落ち着きなさい。」(ライラ)
「ふふふ……似合ってるわよ、チップ。」(イリア)
次々と着替えさせられ、飾りつけられ、
最後には“おままごとティータイム”に参加させられる。
「お嬢様ライラ、殿下チップにお花のお茶をどうぞ?」
「ええ、でもこぼさないでね? このドレスはフィオーレ製なんだから。」
「はぁぁぁ……俺、何の罰を受けてるんだ……」
窓の外から、その光景を眺める俺とアントニー。
二人して苦笑した。
「……これ、毎日ですか?」
「毎日だ。」
「よく生き延びてますね、あの子。」
「奇跡だな。」
アントニーが肩を震わせながら笑った。
「モンスターより手強いのは……イリア様かもしれませんね。」
「母と三人の姉。最強のコンビネーションだ。」
「チップ! 笑って〜! ママが絵を描くから!」
「やめてぇぇぇ!!」
悲鳴と笑い声が屋敷中に響き渡った。
――ここがグレイソン家。
剣とティーカップが共存する、奇妙で温かい家。
そして、あの小さな羊はまだ知らなかった。
この穏やかな日々こそが、
彼の“心”を作り上げる土台になることを――。
チップ「ちょ、ちょっと待てぇぇぇ!!なんでその話、みんなの前で言うんだよ!?///」
ライラ「ふふっ、だって本当の話でしょ?ピンクのドレス、まだ屋敷の倉庫にあるわよ?」
サリア「“おままごとセット”も取ってあるよ〜♪」
ミーナ「次にマルシカでイベントがあったら、また着てもらおっか♡」
イリア「まぁまぁ、チップ。あの時のあなた、本当に天使みたいだったのよ?」
チップ「や、やめてぇぇぇ!!母さんまでぇぇぇ!!」
アントニー「ははっ、似合ってたぞ、弟よ!」
ローガン「うむ、あのリボンの結び方は完璧だったな。」
レオン「……ふっ、写真を残しておけばよかったな。」
チップ「やめろぉぉぉぉ!!一家総出で恥を掘り返すなぁぁ!!!」
ナレーション:――こうして、羊のトラウマはさらに深まっていくのであった。




