時を超えた約束
技術が支配し、人工知能がますます進化していく時代。
そんな世界で、ある少年がいた。両親と同じく、彼も「世界を変えたい」と願っていた。
しかし、ある日――彼の世界は突然、音を立てて崩れた。
すべてを失ったその中で、たった一つ残ったもの。それは「希望」だった。
必死に立ち上がり、再び歩き出す少年。だが、運命はまたしても彼を翻弄する。
今度は――世界そのものが、変わってしまった。
それは、いつもの午後のように見えた——。
近代的な家の静かな一室。10歳の少年ジョンは、コードや数式で埋め尽くされた本と画面に夢中になっていた。
集中した眼差し、微動だにしない姿勢。常人から見ればそれは異常だったが、彼にとっては日常だった。
彼は違っていた。そして、両親もそれを知っていた。
ガチャッ。
ドアが少し慌ただしく開く。
マモルとメアリーが急いで部屋に入ってきた。だが、ジョンの姿を見ると、その表情はふっと優しくなった。
『ジョン……』
メアリーは微笑みながらしゃがみ込み、ジョンをそっと抱きしめた。
マモルは彼の頭に手を置き、くしゃっと髪を撫でる。
『すごいな。そんな難しいこと、大人でも理解できないのに』
そう言って、父は満足そうに笑った。
だが、ジョンの瞳は鋭かった。
二人の目には、確かに愛情があった。けれど、その奥には焦りと不安が見え隠れしていた。
『……また出かけるの?』
ジョンの問いに、メアリーは小さくうなずき、マモルと目を合わせた。
『ちょっとした旅よ。夕食までには戻るって、約束するわ』
その時、マモルがポケットから何かを取り出した。
青く光る小さな水晶のネックレスだった。ごく僅かにだが、内部で微かな光が揺れている。
父はそれをジョンの首にかけ、まっすぐ彼の目を見た。
『ジョン……お前は本当に賢い。でも、その知識は自分のためだけじゃなく、大切な人を守るために使ってほしい』
『本当の強さっていうのは、世界を操ることじゃない。本当に大切なものを、守れることなんだ』
涙を堪えるように一呼吸し、続けた。
『困難は、必ず来る。だが、それを乗り越えた時……お前はきっと、誰よりも強くなれる。忘れないで。私たちは……いつもお前を愛してる』
ジョンは黙ってうなずいた。
胸元のネックレスが、静かに彼の鼓動を感じていた。
──
次の瞬間、すべてが暗転した。
鮮やかだった部屋の色は消え、目の前には黒いベールが広がっていた。
葬儀だった。
白い花に囲まれた写真の中、微笑む両親。
ジョンは、10歳の小さな体で、ただうつむいて泣いていた。
その背後から、軍服を着た老人が静かに歩み寄る。
白髪と白い口ひげ。マモルとメアリーの旧友、タケダ将軍だった。
『辛かったな、坊主』
彼は重たく、それでいて優しい手をジョンの肩に置いた。
周囲では親族たちがひそひそと囁いていた。
『あの二人は天才だった……でも、あのガキが全部受け継ぐのか?』
『ふふ……心配いらん。今は俺が後見人だ。ずっと信頼できるフリをしてたんだ、ここで回収するさ』
その言葉の意味は分からなかったが——
ジョンは、背中に冷たいものを感じた。
タケダ将軍が膝をつき、ジョンの目線に合わせる。
『お前の両親は……ある計画に関わっていた。誰にも知られてはならないものだった』
『死ぬ前に、極秘の場所を託された。そこへお前を導くようにと』
『もう隠せん。準備はできている』
──
数日後、山奥の秘密施設。
かつてマモルとメアリーが作った地下バンカー。
中に飾られた、家族三人の写真のデジタルパネル。
ジョンが手をかざすと、青いネックレスが反応し、光を放つ。
バチィッ——!
突然の振動。光の揺れ。
ジョンは、ハッと目を覚ます。
ガンッ!という音と共に、施設が揺れていた。
天井からぶら下がったスピーカーから、女性の電子音声が響く。
『ジョン。予定時間を超過しました。再確認プロトコルを起動します』
ジョンは額の汗を拭き、深く息を吐いた。
『また……あの夢か』
辺りを見渡す。そこは彼が15年間、身を潜めてきた研究室。
モニター、配線、量子プロセッサ——すべてが手作りで構築された最後の砦。
『もう15年か……』
『全てを失ったあの日から』
拳を握りしめる。胸元には、今もあの青いネックレス。
『ソラリス……それは、両親の夢だった。アリエルは完璧なAIになるはずだった』
『でも、あの連中が全てを奪った。業界を腐らせた』
『名誉、名声、金。それしか見ていない。アリアなんて空っぽの見せ物だ。ニナ……君とは違う』
彼は椅子に腰かけ、疲れた目で天井を見つめた。
ボサボサの茶髪。鋭い青い瞳。
かつては華奢だった体も、タケダ将軍の無茶な訓練によって鍛え抜かれていた。
『将軍も懐かしいな……数学を教えようとしてきてさ。結局、俺が彼に教える羽目になった』
『それが悔しかったのか、毎日ぶん殴られたっけな。剣術、戦略、格闘、何でも詰め込まれた』
『あいつなりの優しさ、だったのかもな』
ジョンは立ち上がり、机の端末に触れた。
『15年かけて、ついに完成したんだ……ニナ。君を起動するための、真の量子コンピューター』
そして、空中に光が集まり——
一人の少女が現れた。
青い髪に銀のメッシュ。無表情。だが、どこか暖かい。
それが、ニナだった。
『準備は万端か?』
『OS起動中……3、2、1』
画面に次々と情報が走る。
50%……60%……99%……100%
『起動完了。ニナ、全機能オンライン』
『やった……!やっと……君に会えた!』
だが、その声に異変があった。
『ジョン……。起動ログに、未知の魔法陣を検出しました』
『……何?』
『紫色の光を放つ円形構造体が、床面に展開中……このパターン、未解析です』
ジョンの目が見開く。
『まさか……こんな時に……!』
床が光を放ち始める。
揺れる室内。引き裂かれる空間。
——そして、ジョンの視界は黒く染まっていった。
ただひとつ、ニナの声だけが、遠ざかるように響いていた。
『ジョン……ジョン……』
(続く)
人は時に、すべてを失って初めて気づく。
自分にとって、何が本当に大切だったのかを。
だが、その気づきさえも、時として遅すぎることがある。
運命は、優しくも残酷だ。
この物語の始まりが、誰かの終わりでないことを祈るしかない。
だが──これはまだ、ほんの序章にすぎない。