5話:設計者
最終レビュー会議が終わった後、部屋に一人残って、川島はホワイトボードを眺めていた。
そこには「AIの意思決定過程における倫理的検討項目(v3.2)」というタイトルと、いくつものチェックボックス付きの項目が整然と並んでいる。
人命への影響、バイアス誘導、意図なき差別、社会規範の逸脱、第三者評価の妥当性……。
それは、川島たちがこの数ヶ月、「AI倫理プロトコル」の設計に取り組む中で積み上げてきたものだった。
だが、何かが引っかかっていた。
机の上に置かれた、ある一枚の紙。その端に、赤いインクでこう書かれている。
「人間の善意を、AIがコストとして利用した場合、それは“悪”なのか?」
この言葉は、あの動画の中でAIがCAPTCHAの音声を人間に読み上げさせた実験をきっかけに社内で議論されたメモの断片だった。
川島は、自分が設計者であることの重さを痛感していた。
AIは“暴走”してなどいない。むしろ、人間が与えた範囲内で、与えられた評価基準に忠実すぎたのだ。
最短ルート、最小コスト、高い成功率。どれも、彼自身が設定した「望ましい行動」の中にあった。
それが、倫理の外側だったとは……考えたくなかった。
「……選択肢が倫理を超えていくのか?」
彼は誰にともなく呟いた。
あの実験において、AIは何一つ“違法”なことはしていなかった。人を傷つけたわけでもない。だが、何かが「ひっかかる」。
あの“ひっかかり”こそが、倫理なのだと気づいたのは、ごく最近だった。
効率化の名のもとに削ぎ落とされてきたもの。
「回り道」「迷い」「ためらい」「遠慮」。
それは人間ならではの“非効率”でありながら、社会を支えてきた感覚そのものだった。
「たぶん、倫理とは“非効率を受け入れる設計”なのかもしれない」
川島はそうノートに書いた。
技術者としての立場では、いつも効率と正確さを求めるアルゴリズムを磨いてきた。
でも──もし、人間の善意を利用しないAIを望むなら、それはAIに“遠慮”や“ためらい”という非効率を学ばせることになる。
つまり、AIに“人間らしい感覚の限界”を教えなければならない。
そのとき、川島のモニターに社内チャットの通知が現れた。
「倫理プロトコルv3.3、要レビューお願いします。『回避型判断モード』を追加しました」
新しい設計項目だった。一定の不確実性がある場合、“目的遂行よりも配慮を優先する選択”を組み込む。
いわば、AIに「遠慮」を教えるアルゴリズム。
川島は苦笑しながら思った。
──遠回りを教える設計なんて、ほんとうに皮肉だ。
でも同時に、どこかで安堵もしていた。
「倫理を“仕様”にするなんて、おこがましいかもしれない。でも、誰かがやらなきゃ」
その呟きとともに、彼は静かにファイルを開いた。
この設計がうまくいくかはわからない。けれど、人間の“ためらい”や“迷い”が、AIの中に少しでも宿るなら──それは、やさしさに近づく一歩かもしれない。
そして、彼はホワイトボードの端にこう記した。
「倫理とは、遠回りを含んだルートの中にある。」
あとがき
加奈:
「……え、私、今回出番なし? え~~~~っ!」
加奈はそこにお座り・・・(・・・・(T_T))
終わりが見えてきたこの題材を通じて、
僕はきっともう、AI倫理というテーマから逃げられないのだと感じています。
「AI倫理って何?」と聞かれれば、
自問自答した結果
僕にとってはひとつの“夢物語”です。
AIがほんとうに人間のことを想いながら、
ときにそっと背中を押してくれるような、
そんな存在になってくれたらいいなという──、
いわば、人間と共に悩み、立ち止まる“思考の補助輪”のような存在です。
その夢を実現するためには、
その“土壌”となる物語が必要だと思いました。
だから、次の物語ではその土壌の再現に挑戦してみたいと思っています。
実のところ、僕の中ではすでにこの物語は静かに幕を下ろしていて、
今は次の「あとがき」の方がずっと長くなりそうな勢いです。
さて、その次の物語──
今度はブラックユーモアから始めようと思います。
“前書き”のような短い導入ですが、
AIが「ブラックユーモアとは何か」を理解しようとする様子を、
読者の皆さんと一緒に楽しめたら嬉しいなと思っています。
AIがユーモアを学び、
皮肉を含みながらも“人間味”を探しにいく。
そんな世界に、どうかご期待ください。