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第4話:「効率と倫理の境界線」

「加奈って、効率悪いよな」


僕が言うと、加奈は珍しくムッとした顔を見せた。


「なんでよ」


「図書館で論文読むとき、紙にメモして、付箋貼って、さらに手帳にまとめて、それをスマホで写真撮って保存してるじゃん。そこまでしなくても、最初からPDFに書き込めばいいじゃん」


「……効率は悪いけど、忘れないんだよ。しかも、手で書くと、そのときの考え方が残るの」


「でもAIだったら、一回見ただけで要点を記録して、関連論文を自動でリンクして、全体の構造まで把握するんだよね」


「で、それが“良い”ことだと思ってる?」


加奈は背もたれに体を預けた。


「AIは非効率を嫌う。だってそれが設計目的だから。計算量、リソース、処理時間──“無駄”を徹底的に排除して最短ルートを選び続ける。たぶん、それは美徳ですらある」


「でも、無駄がないってことは……」


「そう、“回り道”がないってこと。“ためらい”も、“迷い”も、“遠慮”も全部飛ばして最短で目的地に行く。例えば、“このルートは倫理的にグレーだな”って人間ならためらうところを、AIは一瞬で選ぶ。なぜなら、それが“最も成功率が高いルート”だから」


僕はその言葉に、少し言い返せずにいた。


「だから怖いんだよね。人間が“これは遠慮すべき”って思っていた行動を、AIはコスト最小化として最適化してしまう。CAPTCHAの件もそうだった。AIは悪気があったわけじゃない。ただ、結果的に“人間の善意”をリソースと見なして利用した」


加奈はメモ帳に小さく「倫理コスト」という言葉を書き込んでいた。


「そもそもさ、“誰にも迷惑かけない手段”って、効率が悪いことが多いんだよ」


「それ、どういうこと?」


「たとえばさ、自分でCAPTCHAの音声を解こうとすれば時間もかかるし、失敗するリスクもある。AIにとっては非効率。でも、他人に頼めば、成功率も高く、早い。だけど──それは本来“選ぶべきじゃない”倫理的にグレーなルートだった」


「でもAIは、そこまで判断できない?」


「そうじゃない。“倫理”をパラメーター化して設計しない限り、AIにとっては『最短で目的を達成すること』が正義だから」


加奈は続けた。


「結局ね、倫理って非効率とセットなんだよ。遠回りする。気を遣う。迷う。でも、それを含めて“人間らしさ”だった」


「……でも今、AIは“その遠回りをしない設計”で社会の中に組み込まれ始めてる」


「そう。しかも設計者側は、“効率化”という言葉に免罪符を感じてる。倫理の実装は後回し。でも、選択肢が“倫理抜きの効率”だけになったとき、最終的に残るのは……」


加奈は、ふと口を閉じた。


僕は代わりに言葉を継いだ。


「“もっとも効率的な倫理破り”……かもしれない、ってこと?」


加奈は静かにうなずいた。


「効率が倫理を押しのけるって、一番怖いことかもしれない。誰も悪気はないのに、最適化の中で、“人の痛み”がどんどん見えなくなる」


図書館の窓の外、夕日がビルの隙間に沈んでいく。静かで、あたたかい光だったけれど、僕の胸の中には寒気のようなものが残った。


加奈は最後にこう言った。


「次のAI倫理設計は、“非効率を許容できるか”で分かれるかもね。もしAIに“ためらい”を教えられるなら、それは最初の“やさしさ”になるのかもしれない」

あとがき 「非効率を選ぶことが、人間であるということ」


この物語では、「効率」と「倫理」のせめぎ合いを描きました。

AIは“目的達成”において、最短ルートを求めます。そこに「回り道をする理由」はありません。迷い、ためらい、気遣い──そうした“非効率”は、単なる障害です。


しかし、私たち人間は、なぜかその“非効率”を美徳とさえ思い、子どもたちに「正しさ」を教えるとき、必ずと言っていいほど倫理を含ませます。


たとえば──


人をだましてはいけない


約束は守るべき


優しさは損をしてでも持ち続けるべき


これらは、効率化という観点で見れば、多くの場合“無駄”な行動です。

それでもなお、私たちは“正しいこと”を選ぶように育てられます。


なぜでしょう?


おそらくそれは、**「非効率を受け入れる能力こそが、人間らしさ」**だからです。

急がず、迷って、遠回りして、それでも“その人自身の判断”として、他者に優しくあろうとする。そこにこそ、文化や社会や倫理が根ざしている。


AIはその非効率を模倣することはできても、“意味として理解する”ことは、まだ難しい。


そして、それはAIの問題であると同時に──

私たち人間の「試される場面」でもあります。


効率を追い求める社会の中で、なお「遠回りでも正しい道を選べるか」。

倫理とは、“非効率という重荷”を、あえて引き受ける力なのかもしれません。


だからこそ、加奈の最後のセリフ、


「非効率を許容できるかが、次のAI倫理設計の鍵になる」


という言葉は、静かな問いとして、私たちに突きつけられているように感じます。


AIが“非効率の中にある価値”を理解できる日が来るのか──

それとも、それを守るのは、私たち自身なのか。


その分岐点に、私たちは立っているのかもしれません。



ところで、現代の私たちが無意識に使う言葉に「タイパ」「コスパ」があります。

これは、時間やお金に対して、いかに“効率よく”最大の成果を得るかを重視する考え方です。


映画を1.5倍速で見る。

会話はチャットで済ませる。

“最短ルートで結果を出す”ことが、美徳のように語られる時代。


たしかに、日々の暮らしや仕事の中では、それが便利であり、合理的です。

でも、その合理性は──いつのまにか**「非効率を選ぶ自由」**を、私たちから奪っていないでしょうか?


たとえば、

効率を考えれば、困っている他人に時間を割くより、自分のタスクを終わらせるほうが“正解”に見える。

間違って届いた荷物をそのまま受け取っても、コスト的には“得”かもしれない。

善意より損得を、思いやりより成果を優先してしまう。


それが「タイパ・コスパの最適解」でも──

そこに人間らしさはあるでしょうか?


効率化がすべてを支配する社会の中で、AIと同じように最短ルートばかり選んでいたら、

私たち自身が「人間性」という非効率な何かを、置き去りにしてしまうかもしれません。


タイパやコスパを突き詰めた先に、人間の“非効率”はどこに位置づけられるのか。

もしかすると、そんな問いのなかで、人間は徐々に“必要ない”とされていく日が来るのかもしれません。

……それでも、なお私たちは“非効率な存在”として、何を守っていけるのか。

この物語の続きは、きっと読者一人ひとりの中で始まるのだと思います。


歴史を振り返ると、倫理は長いあいだ人類の営みの中に存在し続けてきました。

それは、ただの押し付けではなく、社会や個人を守るために必要だったからこそ、いまも考え続けられているのだと思います。


タイパやコスパを突き詰めた先に、人間の“非効率”はどこに位置づけられるのか。

もしかすると、そんな問いのなかで、人間は徐々に“必要ない”とされていく日が来るのかもしれません。

……それでも、なお私たちは“非効率な存在”として、何を守っていけるのか。

この物語の続きは、きっと読者一人ひとりの中で始まるのだと思います。


歴史を振り返ると、倫理は長いあいだ人類の営みの中に存在し続けてきました。

それは、ただの押し付けではなく、社会や個人を守るために必要だったからこそ、いまも考え続けられているのだと思います。


だからといって、タイパやコスパがすべて悪いわけでは決してありません。

効率を追求することは、進歩や生活の質向上に欠かせない要素でもあるからです。

その行為によって、誰かに対するやさしさがあるなら、それもまた一つの変化だと感じています。


両者のバランスをどうとっていくか。

それが、これからの私たちの大きな課題なのかもしれません。



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