花咲く庭に菫の涙
テーマ「締め切り」でのアンソロジーへの参加作品です。
後日、WEBイベントでも発表します。幾つかの作品が、全くもって無料で読めます。
優良な作家さん達の有料作品もあるので、是非イベントにもお越し下さい。
参加イベントの名前と期間を記載しておきます。
・参加イベント
「本を作るための、締切を作る為の、イベント。第三段」
イベント開催日
2025年09月01日 00:00 〜 09月01日 23:50
枯葉が朽ちる春先。
日の出前の暗がりを、茶の髪と灰青の瞳を持った少年は、腰に剣を下げ、肩に荷を担ぎ、腐葉土を踏みしめていた。片手に、アルコール式のランタンが燈っている。
風が南から吹き付けてくる。梢の先では新しい芽吹きがそよぎ、足元の低木や、腐葉土の中から伸びようとしている草が僅かに揺れた。
明け方でも、だいぶ温かくなった。
そんな風に気を緩めていると、細い声が聞こえてきた。少年は足を止め、辺りを見回す。一方を見定め、声のほうに進んだ。
聞き取れない言葉で、誰かが何か喚いている。声質からして幼い子供だ。
木立の間から、地面にその姿を見つけて、思わず木立の陰に身を隠した。
それは魔導着を纏った小さな人影だった。右腕と左足を罠に捕らえられており、逃れようと足搔いている。瞳の中央が赤く光っていた。髪の毛は長く、土で汚れているが、亜麻色か金色の髪をしているようだった。
凶眼を持っている以外は、特に危険はないだろう。
少年は、女の子だと思われる子供に歩み寄った。
「大丈夫か?」と、穏やかに声をかける。
子供は警戒した表情を浮かべて、少年を見た。
その視線と一緒に、赤い光を纏う風の一閃が飛んできた。反射的に頭を伏せる。その一閃は頭の上を掠めて消えた。
「怖がらないで。話がしたいんだ。その……言葉、話せる?」
穏やかな調子のまま問いかけると、子供は考えるような表情をして、瞳から赤色を消した。
「お前、誰だ?」と、少年にも通じる言葉で聞いてきた。
「名前は、クミン。今年で十五。えっと……まず、罠を外さないと」
そう少年が言うと、女の子は訝るような顔をした。
「お前が仕掛けたんじゃないのか?」
「違うよ」
そう短いやり取りをして、クミンは武骨な剣を抜き放つ。女の子の腕を捕らえている罠を、てこの原理でこじ開けた。
「すぐに腕を離して」と、力をかけたまま言うと、女の子はトラバサミに食われていた腕を、引きずるように逃がした。
少年が剣を退かせる。罠はバネの力でバチンと閉まった。
足の罠も、同じ方法で解除する。
解除した時に気付いたが、罠に蹄鉄の形の文様が刻まれていた。封魔術が掛けられている。
この女の子は、それでも凶眼の力を使えるくらいの術師なのだ。
傷のついた彼女の手腕は紫色に腫れていた。長い間、罠に捕まっていたのだろう。滲み出ている血液も黒っぽく変色してしまっている。
クミンは荷を下ろして薬を取り出した。怪我人の傷に薬を塗り、清潔な状態の包帯を巻く。
「君の名前は?」と、手当の間に声をかけた。
「何とでも呼べ」と、幼い少女は投げやりに言う。
「何とでも……」と復唱し、クミンは斜め上を見る。それから「ヘンルーダ。よろしく」と声をかけて、左手で握手をした。
無言が気まずいので、クミンは余計な事を喋った。
「この森の先に、広い花畑があるだろ? その花畑にある『妖精の涙』を集めなきゃならないんだ」
ヘンルーダと名付けられた女の子は、黙っている。
クミンは言葉を続けた。
「出来たら、その花畑まで一緒に来てほしい。君を家に送るのは、その後になる」
七歳くらいの女の子は、更に訝る顔をする。
相当警戒心が強いんだろうな。
クミンはそう考えながら、担いでいた荷を片方の肩にかけると、荷のベルトにランタンを括りつけてから、女の子に背を向けた。
「肩の上に腕をかけて、背中に掴まって」
そう声をかけたが、女の子は動かない。
傷が痛いのかもしれない。
クミンは、女の子の左腕を自分の肩にかけると、右脚を脇に抱え、どうにか背負った。
「腕が痛まなくなったら、自力で掴まって……」
掴まってくれよ、と言う前に、女の子は両の腕をクミンの肩にかけた。
クミンは安定させた姿勢で女の子を背負うと、息を弾ませながら森の中を進んだ。
チューリップの咲き誇る村の中で、風車が小麦を挽いている。
その村の、ある家の中では、どう見ても小麦ではない粉達が挽き潰されている。
その家の主は、大きなレンズの眼鏡をかけた、十五歳くらいの赤毛の魔女である。
挽き潰した物と、鮮度が重要な物を大雑把に台の上で分け、大鍋の中に一つずつ材料を入れて行く。
じっくりと大鍋を熱し、昔から伝わる「煮込み時間を測る呪文」を口づさむ。泡立つ鍋の中身は、順調に煮溶かされた。
「便利な世に成っちゃったけど」と、赤毛の魔女はぼやく。「魔女の勘って言うのは大事よね」
「その勘によると?」と、黒髪を三つ編みにした女の子が、作業台の端で本を見ながら聞いてくる。
「ギリギリになる事は間違いない」と、魔女は述べた。
「発酵には二十四時間」と、黒髪の女の子は確かめる。
「その通り」と、魔女は返して、「だからこそ、ギリギリになる」と繰り返す。
「それなら安心だわ」と、相方は返し、肩から崩れてきた長い三つ編みを、背のほうに退けた。
花畑が近い事は匂いで分かった。豊富な水分と夜明けの日差しの中で、土と草の蒸される香りが漂っている。
一面に広がった百合畑と、その花弁で輝く小さな水滴を見て、クミンは希望に表情を緩めた。
「すごい数だ。これなら」と、思わず呟く。
地面に屈みこんで、女の子の脚を支えていた腕から力を抜く。
「ヘンルーダ。しばらく待っててくれ」
そう声をかけ、クミンは荷の中から硝子瓶を取り出すと、コルク栓を開けた。花弁から水滴を転がして、瓶の中に滴らせて行く。
ヘンルーダは暫く地面に座っていたが、ひょいと立ち上がった。
「その瓶の中に、雫を集めれば良いのか?」と、聞いてくる。
「ああ。手伝ってほしい所だけど……」
その足じゃ無理だろう? と、冗談を飛ばそうとしたのに、ちらっと見ると、女の子は両の足で立っている。
ぎょっとしてる内に、女の子は左手の人差し指を上向け、其処に赤い光を集中した。
その光が一気に拡散した瞬間、花畑中の「妖精の涙」が、クミンの持っていた瓶の中に集まった。集まり過ぎて、幾つかの雫が彼の手を濡らした。
「おっと」と言って、クミンはコルク栓を閉めようとした。
しかし、溢れてしまう分が勿体ない。
「ヘンルーダ。こっちに来れる?」と声をかけて、少女のほうをゆっくり振り向く。
ヘンルーダは、ちょこちょことクミンの目の前まで歩いてきた。その時、幾つか百合を踏み潰した。
「怪我した腕を出して」
そう呼び掛けると、ヘンルーダは右腕を差し出した。
クミンは注意して瓶を傾け、コルクが通る辺りまでの水滴を、差し出された腕に滴らせた。
「傷の治癒に良い効果がある」と、クミンが言う間にも、女の子は変化を感じ取った。
自分から右腕を目の前に持ってきて、腕の包帯に「妖精の涙」が染み込むのを見つめていた。
クミンはヘンルーダを連れたまま、魔法薬師クリストフの隠れ家に向かった。
先に家に帰そうと思ったが、家が何処にあるのか教えてくれないのだ。仕方なく、クミンは用事が全部終わるまで、彼女を同行させる事にした。
クミンにとってはよく見知った岩壁の前で、蔦のカーテンを避ける。二回程、違う所を開けてしまったが、三回目で玄関を突き止めた。
「誰かと思ったよ」と、老年の魔法薬師は言う。「例の物は手に入ったのかい?」
「ええ。この通りに」と言って、クミンは硝子の瓶を見せる。
「このくらいか」と、魔法薬師は眉をひそめた。「これっぽちだと、お望みの量は渡せないな」
「どのくらいなら、交換してもらえますか?」と、クミンは詰め寄る。
「そうだねぇ」と、前置きを述べ、赤黒く見える液体が底で澱んでいるフラスコを差し出してきた。「このくらいかな」
「先生は、最低でも、試験管に一杯は必要だと……」と、クミンは訴える。
「事情は分かるけど、うちも商売だから。それに、これでも試験管に一杯分はあるんだよ」
そう言って、魔法薬師は細い試験管を取り出し、移し替えて見せた。確かに、赤黒い液体は、試験管を中程以上まで満たす量はあった。
ある国の元女王様が、病に臥せっていました。
お年を召して病に罹ってから、国の管理を引退しましたが、国民達は、元女王様が一日でも長く生きてくれる事を願っていました。
その女王様の統治した時代は、富が豊かで、実りも良く、気候も安定し、他国との争いも無かったからです。
かつての女王様は、国民にとって平和の証だったのです。
本来なら「もう、ご高齢でいらっしゃいますから」と言って医者も治療を辞する所を、何日間も苦心して、老体を安定させようとしています。
「魔術師に頼んだ物は届いたか?」と、ご子息である現国王殿下がおっしゃいます。
「いえ。期限一杯までお待ち頂きたいとの事です」と、控えている家臣が答えます。
「母の命が持つ期限、一杯か?」と、国王様は静かに言います。
「いいえ。その前には」と、家臣は言い募ります。「医者の見立てでは、持って半年。調薬の期限は三日間です。間に合わないはずがございません」
王様は、心の中で渦巻く心配を抑えて、「そうだな」と答え、息を吐くのでした。
村から出発してから、丸一日後。
クミンは、眼鏡と赤毛の魔女の家に戻ってきた。
「何とか手に入りました」と言って、コルク栓をした試験管を見せると、魔女は目をしかめた。
「何これ?」
感謝のない言葉に、クミンはきょとんした。
「何って……龍の血ですよ」
「おおーい」と、魔女は嘆く。「真っ赤な龍の血が存在するわけないでしょ!」
「ええ?!」と、クミンは大声を出して驚いたが、その後は絶句した。
「偽物つかまされたね」と、三つ編みの女の子も言う。「どうすんの?」
「私の首が宙を舞う」と、赤毛の魔女は笑い声を出し、「それと、ソニアとリシャの命が持たない」と、本気で困ってる声を出す。
「ソニア殿下は、もうそんなに?」と、クミンは国民としての心配を見せる。
「医者は持って半年って言ってるけど、内臓がもうボロボロなんだ。ええい。クリストフの奴めー!」と、魔女はくるくるの赤毛を掻きむしり、魔法薬師を思い浮かべて怒り出した。
そこまでのやり取りを聞いていたヘンルーダが、腰かけさせられていた椅子から立ち上がった。
「龍の血が必要なのか?」
「ああ。だけど……」と言って、クミンは自分の愚かさに両目を覆う。
「貸してやるよ」
そう言ったヘンルーダの右腕が、分厚い鱗と長い爪を備えた物に変わる。彼女は服の中から龍の牙で作られた刃を取り出し、鱗を物ともせず、皮膚を切り裂いた。
紫色の鮮血が溢れ出した。
数日後、車椅子に乗って城の庭を散歩するソニア殿下の姿がありました。
「もう、こんなに生きたと言うのに」と、ソニア殿下は青空を見つめて零します。「まだ、明日の空を気に出来るなんて……」
その顔色は美しい薔薇色で、病の影は遠退いたようです。
町や村では、ソニア殿下の回復を祝って、お祭りが行われました。
赤毛の魔女の友人リシャは、鏡を覗いている。
「龍の血って、すごいのね」と、言いながら、頬を押す。「私の顔が全然青くない」
「万事は収まったけど、問題があるんだ」と、魔女は然程問題なさげに述べる。「龍族に借りが出来てしまった。それを支払わなきゃならない」
「どうやって支払うの?」
「うちに同居人が一人増える」と、赤毛の女の子は人差し指を顎に当て、「千年くらい同居するかもしれない」と言う。
「あんたがそう言う事言うと、実現しそう」と、リシャは楽しそうに返した。「長生きしなきゃね」
ヘンルーダが、チョークをラムネのようにポリポリと齧っている。
「それは食べ物じゃないよ」と、クミンが声をかける。
「美味しいんだ」と、ヘンルーダは答える。
「人間風を学ぶんじゃなかったの?」と、クミンが問い質すと、「人間は美味しい物を食べないのか?」と、ヘンルーダは聞き返す。
クミンはヘンルーダの持っていたチョークの箱を取り上げた。
「そもそも、食べ物じゃない物は食べないの」
「それなら何を食べれば良いんだ?」
ヘンルーダの人間社会学習は、そんなレベルから始まったのであった。