訓練
緑岩亭では他のお客たちも目を覚まし始める。それぞれ朝の準備をしているようでレテたちにも物音が聞こえてくる。しかし、宿の中庭には人の気配はまだ見えなかった。
「誰もいないみたいね。自由に訓練が出来るわ。シルちゃん、いつものようにいくわよ」
レテは集中力を高めてシルフィーを呼び出す。朝の冷たい風が二人の周囲に流れる。
「ヒヤッとするけど気持ち良い。シルフィーさんの風は気持ち良い」
ネアスは体をぐるぐる回して準備体操をしている。
「朝は弱いって言ってなかったっけ、ネアス。今日は私より早かったみたいだし油断させる作戦だったとは思わなかったわ」
レテはネアスより遅く起きたことが悔しかったようだ。
「ガーおじが動けない、動けないってうるさかったから起きたのさ。いつもはこの時間はまだベッドの中でゆっくりしているのになあ」
ネアスはベッドの暖かさを恋しく思う。
「ガーおじのせいか。私はガーおじを相性が良くないみたいね。早起きが得意なのに二日目にして、寝坊が得意のネアスに負けるなんて許せないわ」
レテはさらに集中力を高めて、周囲の風をまとめて竜巻を作る。ネアスは竜巻を驚きの表情で見ている。
「何度見てもすごいな。こんなに簡単に竜巻を作る事が出来るなんて信じられない」
ネアスは竜巻に触れようとするがレテは彼の手が触れる前にシルフィーの力を弱める。
「危ないわよ、ネアス。女の子と一緒で勝手に触れるとケガをするわよ。訓練用の竜巻だから注意してね」
レテが精神を集中すると二人の周りを穏やかな風が包み込む。
「いろいろな風があるんだね。風の違いは難しい」
ネアスはジャンプを始める。
「たくさん試してみることが大事かな。私たちの知っていることなんて少ししかないはずだしね。モーチモテ博士レベルなら話は違うと思うけど……」
レテはどんどん集中力を高める。レテとネアスの近くでそれぞれ激しい竜巻が発生する。ネアスはしっかりと警戒してその場から離れようとする。
「私も準備運動しないとね。ネアスは気が利くってレベルではないわね。私が何をするか知っているみたい?!」
レテもジャンプをして体の緊張を解きほぐす。
「僕は朝の軽めの運動をしただけだけど……」
ネアスはさらに竜巻から離れていく。
「近すぎると危ないよね。空好きにはなんとなく分かるのかもしれないわね」
レテは笑顔でネアスを向く。二人は地上からふんわりと浮かび上がる。ネアスは瞬時に危険を察知する。
「今日はレテ一人で空に飛び上がった方が良いかもしれない。一人の時間も大事さ」
ネアスは適当な言い訳を考えて、危険から逃れようとする。
「訓練、訓練。一人で飛ぶのは慣れているから二人で飛ぶ練習をしないとね。本番で失敗したら大変、大変」
レテは最後に周囲を見渡して安全を確認する。
「大空は良いよね。こんなに晴れた朝に空に飛び上がれるなんて幸せね。ストレスなんて吹っ飛んじゃうね」
レテはシルフィーの力で空に舞い上がる。彼女は体を丸めて地上の竜巻に落下していく。
「僕はそんな器用な事は出来ない。どうすれば」
ネアスが焦るとシルフィーの力が彼を包み込む。ふんわりと空に舞い上がり、竜巻がネアスに向かっていく。
「任せれば良いのか。全てはレテとシルフィーにお任せします」
二人は同時に大空へと吹っ飛ばされる。
「気持ちよかったね、ネアス。高い所の冷たい風が最高だったね。もう1回飛ぼうか、今日はサービスするわ」
レテは空を堪能して上機嫌である。
「二回目はレテ一人で楽しむのが良いかもしれない。一日に二回は僕には贅沢すぎるよ、くせになるといけない」
ネアスは倒れ込み、大地の大事さを感じている。
「ほんとに空が大好きなんだね、ネアス。そういうふうに言われると断れなくなるわ。もっと空を好きになってね」
レテは精神を集中させる。また、二人は穏やかな風に包まれる。
「空はもう充分好きさ。飛ぶ必要はない。大好き」
ネアスはまたあせりだしてしまう。シルフィーの風がネアスを暖かく包み込む。
「シルちゃんも喜んでいるわ。ネアスは精霊使いになる素質があるわ、本当よ。しんじられないわ、精霊に好きになってもらえるなんて?!」
レテは風の流れの変化に敏感に気づく。
「精霊使いになるのも大変みたいだ。僕は冒険者が性に合っている、きっとそうさ」
ネアスはシルフィーの風を気持ちよく感じている。しかし、レテの飛び方は刺激が強すぎるようだ。
「冒険者兼精霊使いだね。私は騎士兼精霊使い。ガーおじは記憶喪失の戦士。ガーおじは精霊使いになれるかな、むりだよね」
レテはもう一度竜巻を作り、大空に飛ぶ準備を始める。
「冒険者兼精霊使い。その響きは魅惑的だ。ガーおじもやさしいから精霊使いになれるよ。僕はなれないと思うけどね」
ネアスはその身をレテとシルフィーに任せる覚悟を決める。
「ガーおじはネアスにはやさしいよね。私には対抗心を燃やしているのかな、たまにじゃなくていつも厳しいことを言ってくるのよね」
二人のそばに激しい竜巻が出来上がる。
「きれいでやさしくてかわいい人が精霊使いの資格がある。僕はどれにも当てはまらない。やさしくなることは出来るかもしれないけど、かっこいいは無理だ」
ネアスは精霊使いの資質を見出した。
「それが資格かどうかは分からないわ。私がきれいでやさしくてかわいいのは事実だけどね。それが精霊使いと関係あるかは知らない!」
レテは満足して、もっと竜巻を大きくして空高く飛び上がれるようにする。
「リンリン森林でシルフィーに出会ったんだよね。お父さんと喧嘩をして家を飛び出したんだよね」
ネアスは大きくなっていく竜巻を意図的に無視する。
「リンリン♪ちゃんと覚えていたわね、偉いわ。けんかじゃなくてお父様が約束を破ったのよ。相手が一方的に悪かったからケンカではないかな」
レテはしっかりと事実を訂正する。
「すぐにこんなふうに空を飛べるようになったの、レテ?」
ネアスは最後の抵抗をする。レテの集中力をそごうとする。
「ちょっと説明が長くなるから、もう一度空を飛んでからね。これで今日の訓練はおしまい。毎日練習しないと腕がなまっちゃうのよね」
ネアスの抵抗はむなしく、二人は先程より高く、高く舞い上がる。
「地上から連続で飛ぶと不思議な感覚ね。やっぱり練習は大事かな。本番でも連続で高く飛び上がる事があるかもしれないからね」
レテは新たな発見に興奮を隠せない。ネアスは地面に倒れ込んでいる。
「ネアスはガーおじの真似をしているのかな。大地の息吹を感じていているんだっけ、私も真似してみよっかな」
レテも地面に顔をつけて大地を感じようとする。
「僕は疲れたな。連続で空に飛ばされるのは大変だ。一日一回にしよう。決めた、これは破らないぞ」
ネアスは小声でつぶやく。
「ダメよ、ネアス。守れない約束はしちゃいけないわ。明日から二人で一日二回連続空に飛び上がる事に決めたわ。何事も訓練、訓練」
レテは大地の声を感じ取れないが朝の地面はひんやりして気持ち良いようだ。
「レテは飛び慣れているから構わないさ。僕は三日目だ。もう少しだけ時間が必要だと思う。急ぎ過ぎは良くない」
ネアスはどうにか逃れようとする。
「お話できているし大丈夫よ。顔色も悪くないし。私はネアスの幸運の女神様なんでしょ。言うこと聞かないと幸運がどこかに行っちゃうわよ」
レテは切り札を投入する。ネアスの顔が青ざめる。
「それは困る。僕から運を取ったら何が残るのさ。レテのアドバイスを聞かないとガーおじみたいな目にあう。それは嫌だ」
「そうよ。一日二回連続の訓練。どこかできっと役に立つわ。私が保証するわ。今日も女の子の抱きついてもらえるかもね」
レテはネアスをいつものようにからかいだす。
「昨日は特別さ。あんな事が毎日起きたら大変だ。今日は穏やかな一日が始まるはずさ。幸先は悪いけど、これから挽回してみせる」
ネアスは今日を諦めない。立ち上がり宿の外を見る。
「タイクツな一日はダメかな。今日は町長さんからシューティング岩祭りの詳細について聞くことが最初のお仕事」
レテも立ち上がり、腰の剣に手を当てる。
「昨日は途中で話を切り上げないといけなかったからね。特別用事はないはず。何かあったっけ」
ネアスは昨日の事を思い出して忘れた事がないか確認する。
「石版と呪いとゴブちゃんの大量発生を調査中。個人的意見だけどデフォーがこの街に来た理由も気になるし、ラーナとクロウの動向も注意しないといけないわ」
レテは剣を抜き放ち、自分の体の動きを確かめる。
「僕が相手になろうか。レテの剣術の腕を見てみたいな。僕じゃ相手にならないかもしれないけど、手合わせをお願いします」
ネアスもゴブジンセイバーを抜き放つ。レテはびっくりして剣を一度しまう。
「ネアスから剣の勝負を挑まれるとは思わなかったわ。君は勇気があるわ。私の見込み通りね。本気で行くわよ」
レテはネアスの正面に位置し、もう一度剣を抜き構える。
「僕も村の剣術道場に通って頑張ったんだ。そう簡単に負けるわけにはいかない。継続は力なり」
ネアスは道場の教えを唱え、構える。
「久しぶりの剣の勝負、最近は誰も相手になってくれなかったのよ。ネアス、ありがと。一気に決めるわよ?」