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第一章 声を失った少女⑤ 震災のその時

 その日の夕方。今日は金曜日のため、忠弘は毎度のごとく夕飯をご馳走になり、そのまま泊まる予定でいた。お風呂から上がると、リビングではテレビを見ながら和元が缶ビールを片手にプロ野球を見ていた。


「あれ、綾乃ちゃんは?」

「ああ。あの子は寝るの早いからな。9時にはもう寝ちゃうんだよ。って、おいおい!」


 チャンスをつぶしたのだろう。画面を見ながら和元が悔しがった。


「忠弘君。ちょっといいかしら。」


 洗い物を終えた香織が忠弘を手招きした。シャワーで濡れた髪を拭きながらダイニングテーブルに腰かけると、香織が用意してくれた麦茶をすすった。


「綾乃ちゃんのことを話しておくわね。」


 そう言うと、香織は綾乃がどういう経緯でここへ来たのか話をしてくれた。今年の3月11日に発生した東日本大震災。綾乃はその時に被災し、両親を失ったのだと言う。綾乃の父親である春樹は和元の大学時代の親しい友人なのだそうだ。


 近しい親戚も被災し、引き取れるような状態の家庭がなかったらしい。綾乃は一時期施設に入っていたが、その事実を和元が聞き、自分達に引き取らせてほしいと方々駆けまわったのだ。


「そう言えば、ちょくちょく店長が東北に行ってたのはその手続きだったんだ。」

「そうなのよ。決まるまでは軽々しく話せることじゃなかったから、いきなりみたいになってごめんね。」

「別に気にしてないですよ。そっか、あの子はご両親を亡くしちゃったんだね。」


 もう一度、忠弘は麦茶をすすってため息を吐いた。自分の両親は健在で、3つ年上の兄は大学2年生で元気にしているし兄弟仲もいい。自分が今、突然家族を失ったらどうなってしまうのだろうと考えてみたが、とてもじゃないが想像しきれるものではなかった。


「地震の日は熱を出してお休みしてたみたいなんだけど。家にいた時に被災して、綾乃ちゃんは何とか逃げ出せたみたいなんだけど、ご両親は家に取り残されてしまってね。二人が見付かったのは震災から2週間も過ぎてからだったそうよ。」

「綾乃ちゃんはよく無事でしたね。」

「詳しくは聞けていないのだけれど、綾乃ちゃんを助けるために力を貸してくれたおじいさんがいてね。なんでも、若い女性と二人でビール工場まで逃げてきたところを助けたんだけど、女性の方は流されてしまったみたいで助からなかったんだって。学校の方は先生が生徒さんを高台に避難させたから無事な子が多かったそうだけど、綾乃ちゃんみたいに家族を失った子は多いみたいよ。」

「そっか・・・。」


 あの日のことはよく覚えている。もうすぐ授業が終わり、部活の内容をどうしようか考えていた時だった。カバンにしまってあるはずのみんなの携帯が一斉に鳴動したのだ。



 3月11日の鎌倉学院高校。忠弘はもうすぐ終わる授業のチャイムを待っていた。そろそろ学年末の部室の片付けをして、新年度生の部員を集めるために何をしようか考えなくてはならない。


 杏奈は寸劇をやりたいと言っていた。その台本を忠弘に書くように指示していて、その構成を考えなければならなかった。恋愛、アクション、サスペンス。中学生上がりの新入生が食いつきやすいのは何だろうと考えるのは楽しかった。


「うん。やっぱり推理物にして、参加者にも推理させる・・・。」


 なんとなく口に出たその言葉を遮るかのように、聞きなれない電子音が教室中に響いたのだ。一つ二つではない。そこら中から同じ電子音が鳴り響いたのだ。突然の出来事に狼狽するクラスメートたち、同じ音が一斉になり始めたことで、忠弘は何か奇怪なストーリーの中に紛れ込んでしまったような錯覚を覚えた。


「お、おい! 地震警報だ!」


 忠弘はクラスメートの誰かの一言に現実に引き戻された。慌てて携帯を取り出してみると、あと数秒で震度5強が到達する表示が出ていた。


 その時になって、教室のスピーカーから地震警報の音が響き始めた。


「み、みんな。机の下に・・・。」


 担任である南塚徹(みなみづかとおる)がそう言いかけた時、表示よりも若干早く揺れが始まったかと思うと、足元を誰かに押し上げられたような振動を感じ、忠弘は椅子から放り出されてしまった。強かに身体を打ち付けると、まだ揺れが残る中、どうにかこうにか身体を起こすことができた。そして、何がどうなったかわからないままいると、隣の席の高畑彩(たかはたあや)がしがみ付いてくるのを感じた。彩はテニス部女子の快活な女の子だが、小さく悲鳴を上げてしがみ付いてくる姿は普通のか弱い女の子に見えた。


 その後、かなり長い時間揺れていたような気がした。しばらくして揺れが収まってくると、


「よし。外に避難するんだ。」


 南塚の誘導でそれぞれが外へ避難を始めた。教室内は散々な物で、掲示物がはがれたり、机や椅子も散乱し、元の位置にあるものはなかった。そこかしこで筆記具やノートが転がり、生徒たちはおぼつかない足取りで机の下から出てきた。避難訓練の時に机の下に隠れる訓練をするが、それが大事なことであるというのが良くわかった。


「高畑さん。大丈夫?」


 忠弘はいまだにしがみ付いている彩の肩に手をかけ、落ち着いて声をかけてみた。肩に触れた手に揺れが伝わってきたのは地震ではなく、彩が震えているためだった。


「ごめん。あたし、地震って小さい時から苦手で。」

「大丈夫だよ。立てる? とりあえず外に出よう。」


 彩を支えるようにして立ち上がらせると、他のクラスメートと一緒に校庭を目指すために動き出した。廊下も階段も、避難しようとする生徒や教師たちでごった返していた。本来、こうならないように幾度となくやっていたはずの避難訓練だが、実際の地震ではなかなかうまく機能しないようだ。


「南塚先生。東外階段使っちゃダメですか?」


 忠弘はそう言って非常口を指差した。忠弘達の1年D組は東寄りに位置している。D組とE組は東側の外階段を使う方が避難は早いはずだ。


「ああ。しかし、外階段は崩れる可能性があるんじゃないか?」


 南塚は混乱しているのかそんなことを口走っていた。もともと、避難訓練の時にはD組とE組は東外階段を使うことになっている。


「杏奈! 東階段は無事か?」


 ちょうどタイミングよく、E組の教室から出てきた杏奈に声をかけた。杏奈は突然声をかけられたにもかかわらず、忠弘のいわんやとしていることを理解したのだろう。非常口を開けて外を確認すると、


「大丈夫そうだよ!」


 と、答えてくれた。こうして、忠弘たちD組と杏奈たちのE組は東外階段を利用して無事に外へ出ることができたのだ。面白いもので、教師よりも生徒たちの方がよっぽど落ち着いて行動ができていた。


「先生たちパニくってるね。」


 なんだか杏奈は楽しそうだ。その時、先ほどほどではなかったが、再び強い地震が地面を揺らした。


「きゃっ!」


 近くにいた彩が、杏奈と忠弘にしがみ付いてきた。


「高畑さん、大丈夫?」

「ごめんなさい。地震が苦手で・・・。」

「平気だよ。」


 杏奈は彩の背中をさすりながら、一緒になって座るように腰を下ろした。忠弘は二人の肩に手を置いて立ったまま、周囲を見渡していた。家屋が倒壊するようなことはないようだが、校庭から見える限り、周辺の家の人達も外へ避難している人が多いようだ。


「橋本さんはすごいね。怖くないの?」

「へへ。」


 ニコニコしている杏奈の頭上から、


「こいつは遊園地行っても絶叫物しか乗らないような奴だからな。地震くらいじゃビクともしないよ。」


 と、忠弘が話した。驚く彩を尻目に、


「そう言うあんたこそ、ずいぶん落ち着いてるじゃない。」


 そう言い返した。


「はは。なんだろうな、昔から地震、雷、火事、親父って言うだろ? でも、火事以外はあんまり実害がピンと来なくて大丈夫なんだよね。」

「でも、大澤君、派手に椅子から転がり落ちてたけど怪我はないの?」

「ん?」


 そう言えば、彩に言われて改めて肘やら腰やらが痛いのに気が付いた。


「うん。多少は打ったみたいだ。痛いや。」


 そう言う忠弘に、杏奈と彩は笑った。しかし、笑い始めた杏奈がすぐに顔色を変えた。


「忠弘、血が出てるじゃない!」


 あんなに言われて頭を擦ると、左の側頭部から血が出ていて、髪をべったりと汚していた。


「あ、ホントだ。」

「バカね!」


 杏奈は慌ててハンカチを取り出すと、忠弘の頭に当てて先生を呼んだ。彩が立ち上がり、気付いていない南塚を呼びに行き、一緒になって戻ってきてくれた。


「大澤、怪我したって??」

「ちょっと血が出てるみたいですね。」


 忠弘の怪我の具合を見ると、南塚は思いのほか大きな出血にたいそう慌て、


「お、お、大澤。いいいいいか、落ち着くんだぞ?」


 何度も噛みながらそう言ってきた。そっちがよっぽど落ち着いた方がいいと思って忠弘は笑っていたが、南塚は転がるように看護教諭を呼びに行った。



続く。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

\(^o^)/


東日本大震災は本当に広範囲での被害が印象的でした。

関東だけでなく西日本や九州でも震度計測がありましたね。


怖い思いをしたのを思い出します。


次回もどうぞお楽しみに!

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