第三章 未来に向けて㉑ 追いかけるべき目標
忠弘の足の骨折はだいぶ重傷で、長いリハビリが必要になると告げられた。また、しばらくは松葉杖での生活になるのは当然だが、完治しても今のように最前線で働くのは難しいかもしれないという診断だった。
後に『令和関東大震災』と命名される今回の震災だったが、死者、行方不明者は2000人を超え、負傷者は数万人を数えた。しかし、地震の規模と被災地域を考えれば、被害は少なかったといえる。それも、防災に力を入れなければ日本は生き残れないと提唱したある研究者がいて、その研究者が開発した数々の防災資材や救助資材は、安価で取り扱いもしやすいということでここ数年で爆発的に普及したのだそうだ。それも、忠弘の頭に流れてきた新しい記憶だ。
「国際防災対策機構国際統括本部一級主任研究員、石山綾乃。これが今の肩書きか。スゴいもんだな。」
「ちなみにInternational Disaster prevention Countermeasures Organizationの頭文字取ってIDCOって言われてるよ。」
「はは、一生言える気がしないよ。」
綾乃が現場指揮に区切りを付けて、忠弘いる病院に来たのは被災から10日後のことだった。今の所の経過は順調で、薬が効いているのか痛みもほとんどなかった。ただ、病室から見える板橋の町並みは、震災による被害が見渡せるので、その景色を見るたびに心を痛めた。その度に、かつて東日本大震災後に綾乃が施設から見ていた景色を想像すると、改めて当時の綾乃が心に受けたダメージが大きかったことがわかった。
綾乃は在学中に防災に関する数々の論文と防災資機材を開発し、あらゆる手段を用いて普及させていった。綾乃の提唱に賛同した各国の資産家や起業家たちが協力して出資したのだという。忠弘を救い出した『ハイパーラテックスαⅡ』も綾乃が開発したもので、伸縮性のある素材を隙間に射出し、エアーで膨らませて空間を作り、生き埋めになった人を救い出す代物だ。熱や衝撃に強く、伸縮率が高く隙間にも入り込みやすく、ご丁寧に丈夫な素材は放置しても数ヶ月で土に還るエコ仕様だ。
「だいたい、お兄ちゃんが2029年1月ってとこまでしかヒントくれないから大変だったんだよ? どうせなら、日付まで教えてくれたらよかったのに。」
「はは。すまない。」
「ホント肝心なところで抜けてるんだから。」
そう言って怒った顔をした綾乃だったが、すぐに神妙な顔つきになって聞いてきた。
「ねぇ、少しはお兄ちゃんの希望を叶えられたかな。」
「どういうことだ?」
自分の希望とはなんぞやと、忠弘はきょとんとしていた。綾乃は予想通り忘れていた忠弘に唇を尖らせた。
「お兄ちゃん言ってたじゃん? その地震で都内は壊滅状態になる。だから、備えて欲しいって。」
「あ、言ったけど。綾乃が助かるようにだな。」
「でも、お兄ちゃんならみんなが助かる方法を考えたでしょ?」
「そうかも、しれないな。」
そうだ。綾乃は自分だけがよければいいと考える人ではない。ツラいことは一人でも抱え、楽しいことはみんなで分かち合う。綾乃はそう考える人だ。
「でも、どれだけ頑張っても、犠牲者をゼロにすることはできなかった。お兄ちゃんはこの葛藤と闘いながらお仕事していたんだね。すごいよ。」
みんなを助けたい。だからこそ、震災が起きることを知って、14歳の少女は関東全域の人を助けるために必死になって勉強し、見事な『減災』を達成したのだ。だが、綾乃の目標はあくまでも犠牲者を出さないことだ。綾乃も忠弘もわかっている。それは理想できれいごとで、自然災害の前に人間の力なんてわずかなものでしかない。だが、お互いに『大切なかけがえのない人』を失った経験があるからこそ、犠牲者をゼロにするという無謀ともいえる目標を追い続けるのだ。
「綾乃。」
「なぁに?」
「都心であの規模の地震だったら、本来なら2万人を超える犠牲者が出るだろうという想定があるんだ。それがあの人数で済んでいるのは綾乃が頑張ったからだと思うよ。一人一人は目に見えないかもしれないけど、綾乃は多くの命を救ったんだ。それは間違いない。胸を張っていい。」
「ありがとう。お兄ちゃんもね。」
お互いを労い合う二人。立場は違うが、それぞれのステージでベストを尽くす。そして、それが輪となって広がっていけば、家族や恋人を思うように、隣人を思いやれるようになっていければ、きっと、次の災害も乗り越えていけるはずだ。忠弘は心からそう願うのだった。
ギプスで固定されて吊るされた忠弘の左足を見て、綾乃はそっとそのギプスに手を触れた。その左手には、赤いルビーの指輪が輝きを放っていた。
「ところで、足の怪我はどうなの?」
「日常生活に支障が無いくらいには回復するみたいだけど、現場復帰は難しいかもな。」
「もっと早く駆け付けられてたら・・・。ごめんなさい。」
「何を言ってる。本来だったらあそこで死んでたんだ。おれの命を助けたのは綾乃だよ。生きてりゃまたいろいろできるさ。感謝してるよ。」
もともとは、綾乃を助けられなかった贖罪の気持ちから決めた道だ。これからどうするかはまだ決めていなかった。消防でも最前線以外にも仕事はたくさんある。それに、せっかく教員免許があるのだから今から教師を目指してもいい。ただ、年齢的に難しいのかもしれないが。
「お兄ちゃん。」
「ん?」
「・・・辞めないよね?」
そうだ。綾乃がいくつになろうと、どんな立場になろうと、忠弘は彼女にとっていつまでも誰かを助けるために一生懸命になれるヒーローなのだろう。それなら、愛する綾乃が望むなら、それを叶えてあげたい。彼女の笑顔と幸せのために。それなら、結論は決まった。
「んー。足潰した時に辞めようと思ってたんだけどな。昨日、あの時に助けた女の子が親御さんと一緒にわざわざあいさつに来てくれてさ。絶対消防官になるっていうんだよ。だから待っていてくださいって。きらっきらした瞳で言ってくれてさ。」
無事だった奈津美は、両親に連れられお見舞いに来てくれたのだ。そして、自分の命を助けてくれた忠弘みたいになりたいと考えたらしい。それは、小さな綾乃が何かに一生懸命になっている時のようにまぶしく輝いていた。あの子の未来を守ることができたことが何より嬉しかった。誇りだった。
「それからな、お世話になってる上司が来てくれてさ。この足じゃ現場は無理かも知れないって伝えたら、それなら指導教官として残ってくれないかって打診があってな。」
「じゃあ!」
「いずれ来る次の災害のために、一人前の消防士を一人でも多く育てるのもいいか。と思ったわけだ。」
「ふふ、教職課程で学んだことが活かせそうだね。じゃあ、これは返しておくね。」
そう言って忠弘に手に握らせたのは、過去に戻った時に綾乃に手渡した鶴岡八幡宮のお守りだ。
「持っててくれたんだ。」
「いろいろ大変だったからね。挫けそうなときはそれを握り締めて頑張りました。」
綾乃が楽しそうに笑った。いくつになったとしてもきれいでかわいい笑顔だ。この笑顔に再び会えたことが、忠弘には嬉しくて仕方がなかった。
続く。
ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
\(^o^)/
IDCOみたいな組織が世界にはあるのでしょうが、
まだまだ世界各国が真剣に考えて、とはいかないようです。
戦争に向かう科学力を結集し、
地震や津波、台風などに備える力にして、
各国が協力していければ、
きっと災害で失われる命は減らせるはずです。
そんな時代が来ることを願います。
さて、物語はもう少し延長戦です。
次回もどうぞお楽しみに。




