第三章 未来に向けて⑲ 愛する君へ
車は横断歩道を通過すると、縁石にぶつかり、さらにガードレールに車体をこすりつけたが、停まることなくそのまま走り去っていってしまった。
「ありゃ、数十万の修理代じゃ効かないぞ。」
そう言った後、ゆっくりと二人を降ろした。男の子は泣くこともなく目をパチクリとしていた。度胸のある子だ。
「びっくりした。」
「こら! いきなり飛び出したら駄目じゃない!」
「まぁまぁ。」
心配そうに怒る母親は、あの日のように泣き続けた姿ではなかった。忠弘は男の子に目線を合わせると、その頭を撫でながら、あの時と同じ言葉を伝えた。
「青信号でも怖いってのがわかっただろう?」
「うん。」
「いい子だ。君からお友達に、青信号でも車が来ることもあるから、右と左を見てから渡るのがいいって教えてあげてね。そしたら、事故で怖い思いをするお友達は絶対にいなくなるからさ。」
「うん! 約束する!!」
母子は忠弘に礼を言うと、駅の方に向かって歩いていった。
「お兄、ちゃん?」
そう呼ばれて胸がドクンと鳴った気がした。懐かしさと愛おしさ、どれだけその声を聞きたいと願っただろう。何度も、何百回も何千回も何万回も心で思い出したその声。忠弘は思わず泣きそうになるのをグッとこらえて振り返った。
「怪我はないか、綾乃?」
「お兄ちゃん。老けてる・・・。」
「おい。言い方。」
考えてみれば、綾乃が知っている忠弘よりも14年後の自分だ。それでも、綾乃が自分を忠弘だと認識してくれたのは幸いだった。
「まもなくおれが来るな。綾乃、少しだけいいか?」
「う、うん。」
「5分でいい。話がしたい。」
「じゃ、こっち。」
綾乃が歩き始めたので、忠弘も追い駆けながらさっき脱ぎ捨てた上着と綾乃が投げ捨てた鞄を拾った。綾乃が歩いていったのは、あの変質者に襲われそうになった駐車場だ。
「おい。ここは、あんまり近寄りたくないんじゃないか?」
「大丈夫。ここはお兄ちゃんが私を守ってくれた大事な場所だから怖くないよ。」
「おまえ、おれのこと忠弘だってわかるのか?」
恐る恐る聞くと、綾乃は振り返って笑顔で答えた。
「当たり前じゃん! 老けてたって、コスプレしてたって、お兄ちゃんはお兄ちゃんだよ。」
「いや、だから言い方な。それにこれはコスプレじゃあない。」
苦笑いしながら駐車場に移動すると、車止めに並んで腰を掛けた。綾乃がいる。すぐ隣に生きている。それだけで胸がいっぱいになり、なかなか言葉が出てこない。
「お兄ちゃん。消防士になったの?」
綾乃から声をかけてきてくれる。
「あ、ああ。そうなんだ。」
「ふふ。体育の先生もいいけど、消防士の方がお兄ちゃんらしくてカッコいいよ。あ、ちょっといい?」
急に腕を組んだかと思ったら、暗がりに携帯のフラッシュが光る。
「あはは。老けたお兄ちゃんとツーショット。」
「あのなぁ。」
「大丈夫、誰にも言わないよ。」
屈託なく笑う綾乃に、とうとう忠弘は涙を流してしまった。彼女は無事だった。ただそれだけで自分がどうしてここに来たのかがわかる。
「ちょっと、大丈夫? どうしたのお兄ちゃん!」
「ゴメン。あのさ、驚かないで聞いてくれよ。」
「無理! 目の前に老けた消防士のお兄ちゃんがいるなんて、もう情報多すぎて驚きまくってるよ。」
「はは。老けたはやめてくれ。」
涙を拭いながら息を整えた。伝えておかなければいけないことが忠弘にはあった。
「おれは今から14年後の世界からここへ来ちゃったみたいなんだ。おれのいた世界では、綾乃はさっきの交差点であの子をかばって、轢かれて死んでしまった。」
「え、マジ? 男の子は?」
「男の子は無事だった。怪我も擦り傷くらいしかなかったよ。」
そう伝えると、綾乃は満面の笑顔で、
「そっかぁ。まぁ、私が死んじゃっても、あの子が無事だったんならいいや。」
葬儀の時、忠弘が思ったとおり、綾乃は自分の身より子供の安全を喜んでいた。綾乃はいろいろ考えたのか、忠弘の手を取ると頭を下げた。
「じゃあ。私が死んじゃって、お兄ちゃんにはきっといっぱい寂しい思いをさせちゃったよね。ゴメンね。」
「はは。そうだな。」
中学生になり、背も伸びて大人っぽくなったとは言っても、綾乃の手は小さく、そして、優しく温かかった。綾乃は頭がいい、この常識では決して説明できない状況下でも、目の前の男が未来の忠弘だというだけでその言葉をすべて信じてくれる。綾乃がいかに自分に全幅の信頼を寄せていたかがわかり、改めて涙が出そうになった。
「ねぇ。その頃のみんなはどうしてるの?」
「言っちゃっていいのかな。」
「聞きたい!」
「志穂ちゃんは、おれの部下として、板橋北消防署で頑張ってるよ。」
「志穂ちゃん、消防士になるの? カッコいい!」
信和と交際中であることや、翔や信和たちがプロで頑張っているとか、簡単に伝えていった。屈託ない笑顔で聞いてくれる彼女の姿に、忠弘の胸は一杯になった。一通り話し終えたところで、綾乃が急に何かを思い出したのか真顔になった。
「どうした?」
「私が死んじゃったってことは、お兄ちゃん、見た?」
「なにを?」
「私の部屋の・・・。」
そこで、それが綾乃の日記のことを言っているのであろうことに思い当たった。
「あ、あー。」
「やっぱり見たの!? ウソ、バカ! 最低!! スケベ! 変態! ロリコン!!」
「なんでロリコンになってくんだよ。悪かったよ!」
「もー! 恥ずかしい・・・。」
顔を真っ赤にする綾乃の前で、忠弘は真顔に戻った。もうすぐにでもこの時代の自分が来るはずだ。時間はない。忠弘は綾乃の肩に手を置き、一度息を整えると伝えなければいけないことを話し始めた。
「綾乃、多分時間がない。伝えておきたい大事なことがあるんだ。」
「なぁに?」
「2029年1月に関東地方を東日本震災級の地震が襲う。」
それを聞いた綾乃は身を強張らせる。無理もない。東北で被災して鎌倉に来て、近い将来、また大地震が来ると言われたのだ。聞きたくない話かもしれないが、知らせなければいけない。
「その地震で都内は壊滅状態になる。だから、備えて欲しい。関東から出てもいいし、とにかく安全な場所にいて欲しい。」
忠弘は胸元から綾乃がくれた鶴岡八幡宮のお守りを取り出した。綾乃は驚いたようにそのお守りに触れた。
「まだ、持っていてくれたんだ。」
「大切なお守りだからな。何回も守ってくれた。きっと、鶴岡八幡宮の神様が最期に願いを聞いてくれたんだ。」
お守りを首から外したとたんに、まるでそれが合図だったかのように忠弘の身体がうっすらと光に包まれはじめ、身体が少しずつ透けていった。そうなってみて、改めて自分がなぜここに飛ばされてきたのかを理解した。
「ウソ、お兄ちゃんどうしちゃったの!?」
「もう、時間みたいだな。」
「どういうこと? お兄ちゃん! その地震でお兄ちゃんはどうなっちゃうの!?」
「・・・すまない。時間がないや。これ、おれの代わりに、守ってくれるように。」
心配そうに覗き込む綾乃に、忠弘は自分のお守りを手渡した。もう行かなければいけないのは理解している。だから、せめて自分の代わりにこのお守りを渡しておきたかった。
「そうだ。もう一つ伝えたいことがあるんだ。」
「なぁに、お兄ちゃん?」
綾乃は泣きそうだ。察しがいい彼女のことだ。もう未来の忠弘がいなくなってしまうことに気が付いているんだろう。
「綾乃、愛してるよ。」
なんとかそれだけ伝えられると、いよいよ光は強まり、身体は消えていった。もう、声が出ない。綾乃は泣きながら笑顔になると、
「私も、いつまでもお兄ちゃんを愛してる!」
その笑顔が、あの日、由比ヶ浜で声を出せた時の幼い綾乃に重なった。忠弘の心は満たされ、満足そうに笑うと綾乃の頬に触れた。綾乃を助けられた。きっと、今までの苦しい訓練の日々はこの瞬間のためにやってきたのだ。最期の最期に愛する人の命を救えた。
そして、忠弘の身体は完全に消え去ったのだった。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
\(^o^)/
奇跡が起きて、
忠弘は最愛の人の命を助けることができました。
みなさん葬送のフリーレンというお話はご存じでしょうか。
ファンの方はわかったかもしれませんが、
「怪我はないか、綾乃?」
「お兄ちゃん。老けてる・・・。」
「おい。言い方。」
このくだり、主人公の魔法使いフリーレンが、
50年ぶりに旅の仲間だった勇者ヒンメルに再開した時のやり取りをオマージュしてます。
最初にあのシーンを読んだときに盛大に吹き出しました。
さて、物語はもう少しだけ続きます。
どうぞ最後までお付き合いくださいね。
また、引き続き読んでやるぞ!
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次回もどうぞお楽しみに!




