第三章 未来に向けて⑭ 慟哭の夜
火葬場に到着する頃には、しとしとと降り始めていた雨が強くなってきた。厳かに棺が運ばれて焼き場前の待機場に通されると、スタッフによって焼き場のシャッターが上げられる。この中に棺を押し込んだら、後は焼かれて骨になるだけだ。スタッフが棺を動かそうとした瞬間、香織がフラフラと棺に歩み寄ろうとした。
「だめよぉ。焼くなんてかわいそうよ。綾乃ちゃん、目を開けて。お願いよ。」
香織が泣きじゃくるのを和元が支える。その姿を見て、忠弘は香織と和元の肩に触れた後、一番前まで歩み出て、供えられた綾乃の遺影を見つめた。思わず香織たちが動きを止める。
(綾乃。)
忠弘の脳裏に、綾乃の笑顔が思い出される。なにもかもに絶望し、笑顔も見せず、声も出せなかった鎌倉に来たばかりのころの幼い綾乃。
『お兄ちゃん、いつも一緒にいてくれてありがとう!』
言葉を出せなかった綾乃が、あの日、勇気を出して出向いた由比ヶ浜の海岸で、ようやく笑顔で言葉を発してくれた。泣きながら笑顔で伝えてきた言葉は、今でも忠弘の心の中に甦ってくる。
(綾乃・・・。)
まっすぐに自分を好きでいてくれた綾乃、それを、言葉で直接、そして照れながら何度も真っすぐに伝えてくれた。
『大澤忠弘さん。私と、ずっと一緒にいてください。』
『お兄ちゃんが側にいない世界なんて想像できない。胸を張って堂々と言える。私はお兄ちゃんを愛しています。』
あの、きれいでかわいい笑顔を向けてくれた綾乃。無邪気で、優しくて頭もいい綾乃。大好きだった。
「綾乃・・・君を愛してる。」
そして、背筋を伸ばして綾乃の棺の前に立つと、一人目を閉じ静かに手を合わせた。その気丈な振る舞いに、参列した人々が続いて手を合わせる。シャッターが下ろされ、本当の別れの時間が過ぎていった。
福原生花店。忠弘は綾乃の遺骨の前から動こうとはしなかった。葬儀は終わり、杏奈たちとどうやって別れたのかも、どうやって帰ってきたのかも覚えていない。ただ、確かなのはどしゃ降りになった雨の音と、綾乃がいないことだ。
「忠弘君、身体に障るからもう休みなさい。」
ずっと動かない忠弘を心配して香織が声をかけた。しかし、忠弘は動こうとしない。
「すみません。もう少しここにいます。一人にしたら綾乃がかわいそうだから。今夜は一緒にいます。」
「忠弘君。」
「香織さんこそ休んでください。おれは、大丈夫ですから。」
忠弘の言葉に、和元が香織のもとに歩み寄り、首を振ると寝室に行くように促した。誰もいなくなった静寂のリビングで綾乃と二人。目の前には綾乃の笑顔の遺影と遺骨のみ。線香の煙がまっすぐ舞い上がっては、やがて空気に混ざって消えていった。
火葬場のスタッフにお願いし、遺骨の中には忠弘の渡したルビーの指輪が入れられた。14歳と若い遺骨を対応したからだろう。指輪を手渡したときの女性スタッフの手は震えていた。
日付が変わったころ、ふと忠弘は綾乃の部屋に移動した。誰もいない部屋には、帰ることない持ち主を待つネズミーマウスのぬいぐるみが、ただ静かにベットに座っていた。綾乃の机には、恋人岬で撮影した二人の写真が飾られている。あの時に書いた恋人宣言書は、ご丁寧に額縁に入れて壁に掛けてあった。それがつい昨日のことのように思い出されてくる。綾乃と付き合ってからは、その写真のデータを携帯の待受画面にしていた。
机には教科書やノートが並べられていたが、そこに綾乃の日記が置かれているのに気が付いた。手に取って何枚かめくってみると、どうやら毎日ではなさそうだ。気が向いた時に書いていたのだろう。見ようかどうか悩んだが、綾乃が本当に幸せだったのか知りたくて読み始めてしまった。
『お兄ちゃんのおかげで私はこんなにも元気になった。感謝してもしきれない。お兄ちゃんはいつも私が笑顔になれることを考えてくれる。それがすごくうれしい。優しいお兄ちゃん、大好き。』
『今日、お兄ちゃんは杏奈ちゃんとデート。いいなぁ、あんな彼氏がいる杏奈ちゃんがうらやましい。お兄ちゃんと遊びたいけど、杏奈ちゃんに申し訳ないからガマンガマン。』
『今日も青井さんというお兄ちゃんの友達が店に来た。一緒に野球をやらないかって誘ってたけど、お兄ちゃんはずっと断り続けてる。でも、私はお兄ちゃんが毎日休まずにすごいトレーニングしているのを知っている。バットも何百回も振ってた。真剣なお兄ちゃんの顔にドキドキしちゃった。やっぱりお兄ちゃんはカッコいい!』
『お兄ちゃんが野球をやるって決めてくれた。甲子園? に行ってほしい。全力で応援するぞ!』
『お兄ちゃんに「甲子園に連れてって」って言ったら、旅行がてら行こうと言われた。そーじゃないんだなぁ。鎌学野球部に行ってほしいんだってば(笑)』
『お兄ちゃん達が甲子園出場を決めた! 快挙だよ。お兄ちゃんの投げる姿がカッコよすぎてツラい(笑)』
『甲子園はベスト8で負けちゃった。でも一人で投げ抜いたお兄ちゃんはスゴい! エライ! カッコいい!』
『演劇でも全国大会出場だって! お兄ちゃん万能すぎ!』
『お兄ちゃんが杏奈ちゃんと別れちゃったみたい。私のせいかな。私がベタベタしすぎた? 二人に申し訳ない。』
『お兄ちゃんが別れたから自分にチャンスがあるとか思ってしまう自分が許せない。今はお兄ちゃんを元気付けなきゃ。』
『お兄ちゃんにキスしちゃったよ! うわぁ、恥ずかしい。でも嬉しい!!』
『お兄ちゃん、ついに許してくれた。今夜からは恋人同士だ。うれしい! お兄ちゃん大好き!』
『誕生日だからってなんだかスゴいところで食事しちゃった。お兄ちゃんがくれた誕生石の指輪、もう一生の宝物! お兄ちゃんが大好き過ぎてツラいぞ(笑) お兄ちゃんは私を、みんなを助けてくれたヒーロー! 誰がなんと言っても世界で一番愛してる。』
気が付くと、ノートに一粒、また一粒と涙が落ちていった。綾乃がどれだけ自分に向けて愛を向けてくれたか、その想いの深さが胸に突き刺さった。
「うぅ。綾乃・・・。綾乃ぉ。」
そして、最後まで頼れる優しいお兄ちゃんを勤め上げた忠弘は、綾乃が死んで初めて涙を流した。雨音に包まれる中、綾乃の部屋に忠弘の嗚咽が響き、それは、いつまでも止むことはなかった。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
小さな子供を守って亡くなった綾乃。
それは、かつて忠弘が自分にしてくれたことを考えたからかもしれません。
次回、葬儀後の忠弘たちです。
どうぞお楽しみに。