第三章 未来に向けて⑫ 災禍
季節は進み秋になり、次第に冬の気配が感じられるようになった11月中旬のある日、今日は忠弘と鎌倉駅で待ち合わせをしていた。学校が終わって一度家で着替え、待ち合わせてカラオケにでも行こうと約束していた。明日は南中が開校記念日で休みのため、ゆっくり遊ぼうということになったのだ。
忠弘からはさっき大学から家に帰ったという連絡があったばかりだ。少し早く来すぎてしまったが、綾乃は忠弘との待ち合わせの時間はいつも早めに行くようにしていた。忠弘を待っている時間も、とても心地よく楽しい時間だからだ。今日はどんな話をしよう、どこに行って遊ぼう、カラオケでは何を歌おうか。そんなことを考えて待つ時間が好きだったのだ。
「お兄ちゃん、早く来ないかなぁ。」
忠弘の家の方を見た時だった。駅前のロータリーに向かって青信号を渡っていた親子が視界に入った。そして、突然男の子が繋いでいた手を放し駆け出した。また、その少し離れた場所を、脇見をしているのか、一台の車が信号を無視して交差点に侵入してきた。
綾乃は考えるよりも先に駆け出した。車はまだ自分が信号を見落としたことに気が付いていない。減速する事もなく横断歩道に迫った。綾乃は持っていた肩掛けかばんを投げ捨て、横断歩道に飛び出すと渾身の力で地面を蹴って男の子を突き飛ばした。その瞬間、強い衝撃を受けて綾乃の身体は宙に舞った。
忠弘は大学から帰ると、筆記具や資料の入ったカバンを机に放り投げ、出かける準備を整えて家を出た。腕時計を見ると17時前だった。待ち合わせの時間は17時半のため、時間にはまだ余裕があったが、思っていたよりも遅くなってしまった。教授に出したレポートのことでいくつか指摘を受けてしまったのだ。
「綾乃のことだから、また早めに来てんだろうな。」
これまでのデートの待ち合わせも、綾乃は30分以上早く待ち合わせ場所に来ている。付き合いだしてからしばらくは家に迎えに行っていたが、綾乃が待ち合わせしたほうがデートらしくていいというのでわざわざ外で待ち合わせるようになったのだ。何度か早めに来なくてもいいことを伝えたが、待っている時間が楽しいんだとニコニコと話していた。女心はわからないと苦笑いしていたが、あまりに楽しそうにしているので付き合うことにしていた。
駅前に出ると、なんだか人だかりができていて、ロータリーには救急車も停まっていた。そして、交差点を過ぎた横断歩道の先には一台の乗用車が縁石に乗り上げて止まっていた。それだけでも事故が発生したのがはっきりわかる。綾乃はあの人だかりの中にいるのだろう。
『駅前に着いたけど、事故みたいだね。どこにいる?』
メッセージを送ったが、一向に既読にならない。その時になって、なんだか胸騒ぎがし始め、心の中がざわざわと不安な気持ちに支配されていった。電話をかけるが応答はない。大丈夫、この人だかりで着信に気が付いていないだけだろうと自分に言い聞かせ、人だかりに近付いて綾乃の姿を探した。
「搬送します。道を空けてください!」
救急隊員がストレッチャーの高さを上げて動き始めた。その時、人込みの合間からストレッチャーに乗せられた、ブラウンを基調としたワンピースを着た女性らしき人が見えた。救急隊員に囲まれているために顔が見えない。そして、近くまで来たとき、乗せられている女性の左手に赤い指輪が見えた。
「あ、綾乃!!」
忠弘は人込みをかき分けてストレッチャーに駆け寄った。そこには、目を閉じてピクリとも動かない綾乃が横たわっていた。
「おいおい嘘だろ!」
綾乃に触れようとして救急隊員に押さえつけられる。
「一刻を争います! 離れてください!!」
「身内なんです!」
必死に身内であることを伝えると、救急隊員は救急車に同乗するように促した。案内されるまま救急車に押し込まれ、目の前の綾乃を見つめた。
「綾乃! 綾乃!! しっかりしろ!」
忠弘の呼びかけには全く反応しない。その時、救急隊員の一人が声を上げた。
「心停止! AEDを準備!!」
他の救急隊員がAEDを取り出し、その間、別の救急隊員が胸骨圧迫を開始した。パッドが張られ、AEDが心電図を解析する。そして、AEDの指示に従って電気ショックが流れる。一瞬、綾乃の身体がショックで跳ね上がる。そして、すぐに心肺蘇生が再開された。
しかし、綾乃の心臓が再び脈を打つことはなかった。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
男の子をかばって事故に遭った綾乃。
二人を引き裂く無慈悲な時間。
次回をお楽しみに。。。




