第一章 声を失った少女③ 忠弘と杏奈
半年後。夏の暑さが長引く9月の鎌倉市。大澤忠弘は私立鎌倉学院高校に通う2年生の高校生だった。週3日、所属する演劇部に顔を出し、土日を含んだ残りの4日間は市内の生花店でアルバイトをしていた。
今日は秋の高校演劇祭に向けての練習日だったが、部室に雨漏りが見付かったための改修工事で休みになったのだ。悪いことに来週末まで部室が使えないとあって、部活は空き教室を使うことになっていた。
「古い学校だからなぁ。まぁ、仕方ないよ。」
自転車置き場の自分の自転車にカバンを突っ込むと、忠弘はそう言って笑った。鎌倉学院高校は私立高校だが、創立70年の歴史を持つ古い学校だ。何度か改修工事をしているとは言っても全体的に造りは古い。
「文化祭まで時間ないんだけどなぁ。この間の大雨のせいで衣装にも被害出てるし、学校で追加予算出してくれるのかなぁ?」
そう言って頬を膨らませるのは、同じ演劇部で部長の橋本杏奈(はしもとあんな)だ。この雨漏りが一気にひどくなったのは先週の大雨のことだ。秋雨前線の影響と気圧配置がよろしくなかったのか、その日は横殴りの雨になった。授業が終わって部室のある文化部棟に行くと、部室内に小さな滝ができていたのだ。どうやら風雨の影響で天井部に異常が出たらしい。二階建て、六つの部室がある文化部棟の二階部分はほぼ全滅だった。
美術部は部室内にあったコンクール用の絵画が全滅。書道部に至っては、机に出しっぱなしにしていた墨汁のボトルが倒れて床面一帯が真っ黒になっていたと言う。忠弘と杏奈の演劇部も、作りかけの大道具と衣装が濡れ、染みになった衣装の何点かを処分することになった。
「その件なんだけどさ。店長に相談したら、小町通りの商店会で衣装に使えそうな不必要な服があれば寄付してくれるようにお願いしてくれるってさ。」
「ホント!? それはありがたいね。」
杏奈はそう言って表情を明るくした。黒髪のロングヘアをポニーテールにまとめ、やや丸目の輪郭に大きくぱっちりした瞳は、控えめに言ってもかなりの美少女だ。その上、性格も明るく人当たりもいい。演劇で舞台に立っている時には当然目を引くため、学校内だけではなく他校のファンも多い。しかし、本人にその気がないのか、演劇に打ち込んでいるからなのか、これまで何度も杏奈に告白し、玉砕する男達が後を絶たなかった。
そんな杏奈が、忠弘に告白をしてきたのは震災のあと少ししてからだった。
「忠弘、私と付き合ってよ。」
昼休みに部室で一緒に食事をとった後、唐突に杏奈がそう言ってきたのだ。何の前触れもなかった告白に、忠弘は返事もできずに唖然として目を丸くした。鏡で見たら、きっと間の抜けた顔になっていたに違いない。
「おい。せっかく勇気を出して告白したんだから、イエスかノーかくらい言いなさいよ!」
「あ、いや。ごめん、まさかそんな風に言ってもらえるなんて考えてもみなかったから。ありがとう、素直にうれしいよ。」
「じゃあ?」
「うん。おれでよければ付き合ってほしい。ただ・・・。」
そこで言葉を区切って、忠弘は満面の笑みを浮かべた。
「今更って感じもするけどな。」
「もう!」
忠弘と杏奈は小学校のころからの付き合いだ。5年生になって、父親の都合で九州から転校してきた杏奈は、初めのころは急な転校と環境の変化に、なかなか周りと打ち解けることができずにいた。そんな時、林間学校で箱根にキャンプに行くことになり、同じ班の忠弘が積極的に杏奈とみんなが交流できる場面を作り、それからたくさんの友人に囲まれて過ごすことができるようになったのだ。杏奈は忠弘を信頼し、二人はいつも一緒に過ごしていた。
中学では部活こそ違ったものの、3年間同じクラスで過ごし、同じ高校へ進学した。忠弘にしてみれば腐れ縁ともいえるが、杏奈は今の明るい自分がいるのは忠弘のおかげだと思っている。だからこそ、忠弘のことを好きになり、だからこそ、高校入学して間もないあの日、忠弘を演劇部に誘ったのだ。
忠弘は小学校中学校と野球をやっていた。少年野球では鎌倉南ファイターズのエースとして、チーム初の全国大会に進み、中学校では鎌倉南中学を全国大会でベスト4まで導いた。しかし、最後の大会が終わり、鎌倉学院へ進学も決まり野球部の体験入部に出向いた時、練習中に肘の激痛に見舞われ、硬式野球は難しいとドクターストップがかかったのだ。忠弘は自他ともに認める『思い込んだらまっしぐら』と言う性格だ。それまで全力で取り組んできた野球ができなくなり、完全に抜け殻となってしまっていた。
もちろん、すぐに諦めたわけではなかった。両親に相談してスポーツ医学に強い病院で手術も行った。手術は成功して経過は順調だったはずだったが、硬球を握るとどうしても腕が振るえて痛みを感じた。精神的なものとも言えるが、もう前の様に野球をすることはできないと思ったのだ。
それまで、忠弘が一生懸命に野球へ打ち込んできたのを間近で見てきた杏奈にとって、大好きだった野球ができなくなり、無気力に過ごす忠弘を見ているのはつらかった。ある日、杏奈は忠弘の背中を思い切りたたくと、
「あんた、どうせやることないんでしょ? だったら演劇部手伝ってよ。」
そう言って、無理やり演劇部に引き入れたのだ。文化部と言っても、演劇は大道具を扱ったり、舞台上で会場に届くように大きな声を出さなければいけないために体力を使う。初めは無理矢理付き合わされていたが、1年のうちから役を任されると、杏奈と共に演劇部の看板役者として台頭するようになった。体力作りのために陸上部のクラスメートと一緒にランニングに出たり、美術部とコラボして舞台の大道具を作ったり、演劇部全体の底上げに尽力した。
忠弘は杏奈の顔を見ると、そのころのことを思い出して微笑んだ。
「ま、杏奈には感謝してるよ。」
「なによ突然?」
「野球しか知らなかったおれに、新しい世界を見せてくれたもんな。」
そう言って笑う忠弘に、
「そう思ってるんなら、今度なにかおごりなさいよね。」
と、杏奈も返すのだった。そう言われてみれば、ここのところ、雨漏り騒ぎや文化祭の準備が忙しくて、二人で出かけることもなかった気がする。
「杏奈。来週、たまにはどこか遠出しないか?」
「えっ?」
「部活ばっかりで、最近は遊びに行ったりしてなかったからな。」
そう言うと、杏奈はにこにこ笑いながら、
「そうね。考えておくわ。」
自分もたまには出かけたいと思っていた杏奈は、忠弘に考えていたことが通じたのが嬉しかったのか満面の笑みで頷いた。
続く。
どこにでもある高校生男女の恋愛。
ほのぼのとした二人の未来に何が待ち構えているでしょうか。
気に入られましたら、
いいねとブックマークと評価での応援をよろしくお願いいたします。
次回もどうぞお楽しみに。