第三章 未来に向けて④ 甘えん坊
結果から言うと、そのあとは大騒ぎになった。応援要請を受けてパトカー五台と、そのあとに救急車が来たり、事情聴取を受けたり、和元と香織が血相を変えて迎えに来たりと、慌ただしく時間が過ぎていった。今は鎌倉中央病院に来ている。心療内科でカウンセリングを受けた後、和元や香織と忠弘の待つ病室へ出向いた時には、夜も22時を回っていた。
「お兄ちゃん。」
案内された病室に入ると、忠弘の両親と兄の幸政、そしてベットの上で左手と頭に包帯を巻いた忠弘が笑顔で出迎えてくれた。
「よぉ、大丈夫だったか?」
そのいつも通りの笑顔と明るさに、瞬間的に視界がぼやけてきた。もしかしたら重大な怪我をしたのかもしれない。死んでしまうかもしれない。それも自分が助けを求めたせいで。そんなことをずっと考えていた綾乃は、ベッドに駆け寄りすがるように抱き着いた。
「お兄ちゃんっ!」
忠弘の包帯姿を見て綾乃はとうとう泣き出してしまった。綾乃が心配していたのがわかるからこそ、忠弘はいつものように彼女の髪を優しく撫でてやった。昔からずっとやっていることだ。綾乃はこうしてあげれば心を落ち着かせることができる。忠弘だけができる特効薬だ。
「ごめんなさい。ごめんなさいっ!」
事情聴取を受けている時に救急車が到着し、怪我人が発生していると警察官の無線から聞こえてきた時に、綾乃の心は大きく揺さぶられた。
しかし、綾乃自身も男に掴まれたり抱えられたりしたことで、カウンセリングが必要だと警察官に言われ、声が出せなかった頃に世話になったからと鎌倉中央病院の心療内科受診を希望したのだった。
診察中に忠弘のことを看護師などに聞いてみたが、処置中だからまだわからないと言われ続け、もう気が気ではなかったのだ。
「綾乃が謝ることじゃないだろ。おまえは何にも悪くない。それよりも、乱暴なことはされなかったか。」
「うん。腕を掴まれて、あとは抱え上げられただけ。」
「よかった。綾乃に何かあったらと思ったら気が狂いそうだったよ。」
今日ばかりは、忠弘も本当に心配したのであろう。綾乃をそっと抱き寄せ、また髪を優しく撫でてくれた。そうしてくれたことが、綾乃を落ち着かせる何よりの薬になった。
「怪我、大丈夫?」
心配そうにのぞき込んでくる綾乃に、忠弘はバツが悪そうに苦笑いした。
「あはは。大丈夫だよ。実はな。」
綾乃を逃がした後、忠弘は男が切りかかってきたためにその腕を取って投げ飛ばした。ケンカなんてしたことなかったが、忠弘はずっと野球を通じて身体を鍛えてきているし、何度もピッチャー返しの打球をさばいてきている。そのために動体視力は抜群にいい。ケンカ慣れしていない男の動きは遅く見えて予測がしやすく、ナイフを突き出してきた右腕を掴んで背負い投げで投げ飛ばしたのだ。
柔道経験者だったら怪我をしないように腕を引いたりして受け身を取りやすくしてやれるのだろうが、力任せに投げたために、男は当然受け身も取れずにアスファルトに叩きつけられて悶絶していた。まだ近くにナイフが転がっていたので、それを蹴飛ばして遠くにやろうとして、蹴ったはいいが勢い余って転倒。その時に、運悪く駐車場の車輪止めブロックに接触し、頭を切ったと言う訳だった。
ちなみに、忠弘がナイフを蹴飛ばして転がったとほとんど同時に、綾乃が呼んだ警察官が駆け付けてくれて、男はその場で現行犯逮捕された。すぐに救急車が手配され、一応頭に怪我をしたということで、止血やらCTスキャンやらで時間がかかってしまったようだ。左手の包帯は、転がった時に手をついて擦り傷を作ったらしい。
「物々しい格好になっているけど、検査で異常もなかったし、念のため今夜は入院ってだけで何ともないよ。この怪我は焦ったおれが転んでできただけだから心配するな。あー、これさえなければかっこよく終わったんだけどなぁ。」
「もう、バカ。」
苦笑いしかできない忠弘の胸に綾乃は顔を埋めた。そうしておきながら、今日は忠弘と一緒にいたいと強く願う気持ちが強くなった。武器を持った暴漢にも怯まずに立ち向かってくれた忠弘の勇気。そんなヒーローともいえる忠弘にくっついていたかったのだ。
「香織さん。私、今夜はここに泊まってお兄ちゃんの看病する。」
「あらあら。」
「ねー、いいでしょ。お兄ちゃん。」
心配そうに見上げてくる綾乃の表情に、忠弘は頭をかいた。
「綾乃は明日も学校だろう? 今日は帰って休まなきゃダメだよ。」
「やだ。明日は学校休むもん!」
「あのなぁ。勉強も部活も頑張るって約束はどこ行っちまったんだ。」
「だって、心配で眠れないよ。」
怖い思いをしたのは綾乃のはずだったが、彼女の中では変質者に襲われそうになった恐怖よりも、忠弘が怪我をしてしまったことの方がよっぽど怖かったようだ。
「はぁ、仕方ねぇなぁ。お父さん、今夜は叔父さん家に泊まるから退院の手続きお願いしていい?」
「ははは。相変わらず綾乃ちゃんには甘いなぁ。」
「仕方ないだろ。こいつは頑固なんだよ。一度言い出したら聞かないんだから。その代わり、明日はちゃんと学校行けよな。」
「うんっ!」
けっきょく、親類の家で様子を見るということで医師からの了承も得たので、そのまま退院して福原家に移動した。綾乃は一緒に寝ると聞かず、用意してある忠弘の部屋に布団を用意して寝ることになった。
「さ、もう日付も変わってるし寝るぞ。」
「うん。」
寝巻に着替えた綾乃は、電気を消すと当然のように忠弘のベットに潜り込んだ。そして、有無を言わさず腕を回して抱き着いてきた。その腕に力が込められる。もう絶対に離さないという強い意志のようなものを感じた。
「おい。何のために布団敷いたと思ってるんだよ。」
「お兄ちゃん。」
「・・・どうした?」
綾乃が小声になったので、忠弘が様子をうかがっていると、忠弘の胸元でうずくまりながら話しかけてきた。
「今日、連れて行かれそうになって本当に怖かった。」
「そうだな。ホントに無事でよかったよ。」
「でもね。交番に行った時に、もしもお兄ちゃんに何かあったらって、刺されて死んじゃったらどうしようって思ったら、乱暴されそうになったことよりもずっと怖かったの。」
もしも忠弘が死んでしまったら、そう考えただけで胸が苦しくなる。そう考えただけで、想像なのに涙が出てくる。怖かった。大事な人を亡くすことがどれだけつらいか経験した綾乃にとって、忠弘がもしもいなくなったらなどということは、考えるだけでも苦しかったのだ。
「ばーか。」
忠弘はそっと綾乃を抱きしめた。
「もう、おまえの前から大事な人がいなくなることなんかないよ。綾乃もその周りの人も、まとめておれが守ってやる。心配するな。」
「うん。」
「だから、子供は早く寝ろ。」
「うん。子供じゃないけどね。」
「うるせー。」
「ねぇ、お兄ちゃん・・・。」
布団の中から顔をのぞかせた綾乃は、うるうるした目で忠弘を見詰めると、そっと目を閉じた。そして、
「ふぎゅっ!」
綾乃の中では当然キスをする流れに持っていったと思ったが、忠弘はまたしても綾乃の頬を掴み、変顔にさせるのだった。
「ほひいひゃん。ひたひ。(お兄ちゃん。痛い。)」
「マセガキめ。早く寝ろ。」
そう言って、手を離すと綾乃に背を向けて寝てしまった。ただ、どうやら同じ布団で寝ることだけは許可してくれるらしい。綾乃は後ろから忠弘に抱き着き、そのまま背中に顔を押し付けた。忠弘も疲れていたのだろう。すぐに寝息が聞こえてきた。
「お兄ちゃん。助けてくれてありがとう。大好きだよ。」
そう言って、綾乃は忠弘の背中に顔を寄せ、安心して眠りに付くのだった。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
\(^o^)/
綾乃が無事で本当に良かったですね。
忠弘は綾乃を守ると約束していました。
有言実行、勇気ある行動でしたね。
ここまで読んで、
面白かったぞ。続きも読んでやるぞ。
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