第三章 未来に向けて③ 不審な目の正体
翌朝、忠弘のたどたどしい運転で帰路に着くと、あまりの緊張にぐったり疲れ切ってしまった。明日も予定はなかったのでそのまま福原家に泊まることになったが、
「うぇえ、気持ち悪い。酔った。」
と、リビングのソファに横になって綾乃の介抱を受けていた。
「自分の運転で車酔いできるなんて、ずいぶん器用ね。」
氷水を渡しながら香織が笑った。
「そうなの?」
「本来、運転してる人って運転に集中するし緊張するから、普通は車酔いなんてならないんだけどね。」
この後の話だが、忠弘はけっこうな期間を自分の運転で車酔いするという特殊スキルに悩まされていくのであった。
旅行後、入学式を終えた綾乃は約束通り勉強にも部活にも力を入れた。まさしく『全力一杯』と言う行動で、一学期の中間テストでいきなり学年一位になった時には、
「私はやると決めたらやる女なのだ。」
と、成績表を見せながらふんぞり返っていた。部活では軟式テニス部に所属し、志穂と一緒になって練習に明け暮れていた。元々運動神経のいい二人は、一年生の中でも飛びぬけて上達が早く、顧問や先輩たちを驚かせた。
そのテニス部のコートは校庭に隣接していて、こちらでは野球部に入部した翔が元気よく飛び回っていた。相変わらず暇があれば忠弘に野球の相談をするため、綾乃がデートに行けないと焼きもちを焼くくらいだ。そんな時は、志穂がフォローして遊びに出てくれた。
そんな時、一つの事件が起きる。夏休み前の部活の帰り道、綾乃はテニス部の自主練で居残り練習をしていたためにすっかり遅くなってしまった。もう18時を越えている。
幸い夏に近付いて空はまだ明るかったが、制服で歩いている人はもういなかった。早く帰って宿題をしなくてはと考えて歩いていると、綾乃は誰かに付けられている気がして何度か立ち止まっては後ろを振り返った。
夕方以降、観光客はまばらになるが地域住民が通るために人通りは少なくない。この通りは近隣の住民が帰宅する時にも使用しているが、こんなに視線を感じたことはなかった。
綾乃は携帯を取り出して忠弘に電話をかけた。この時間なら、大学も終わって帰るころだと思ったからだ。幸い、忠弘はワンコールで電話口に出てくれた。
『もしもし?』
「お兄ちゃん。私だけど。」
『どうした。もう部活終わったのか?』
「うん。あ、あのね。ごめんなんだけど、今から会うことなんてできる?」
綾乃の声に何か異常を感じたのか、
『今どこにいる? 何かあったのか?』
と、聞いてきてくれた。綾乃は誰かに付けられているような気がすることと、小町通りに入って歩いていること、鎌倉駅に出ることを伝えた。自宅を特定されないためにはそれがいい。綾乃は若いのに良くわかっていた。足早に鎌倉駅に出ると、駅前のロータリーの明るいところで忠弘を待った。周囲には会社帰りのサラリーマンやOL、学生などが多く、その人の多さに安堵した。
通行の邪魔にならない位置に移動して周囲を見渡したが、気のせいだったのか今は視線を感じない。忠弘はこっちに向かってくれているはずだが、到着するまでの10分程度の時間がとてつもなく長く感じた。だが、ここは人通りもあるし、なんとなく安心することができた。
「君、一人?」
安心しかけたのもつかの間、綾乃は突然声をかけられ声も出せずに振り返った。そこには30歳くらいのTシャツで長髪の男が笑顔で立っていた。その姿を見て綾乃の背筋に悪寒が走った。笑顔と言ってもとても気味の悪い違和感を感じたからだ。
「あ、あの。私、人を待ってますので。」
「でも、わざわざ小町通りを通り過ぎて駅に出たんだよね。家は小町通りのお花屋さんでしょ? こんな時間に誰と会うのかな。」
今度こそ震えてきたのがわかる。この男は小町通りからずっと付けていたのだ。それも、自分の家が福原生花店だと特定されている。そして、この時に違和感の意味が分かった。この男、笑っているが、それは口元だけで目が笑っていないのだ。どこか虚ろのような、生気のない目に口元だけの笑顔、綾乃の心が凍り付くのも無理はなかった。
「こんな時間に一人じゃ危ないよ。一緒にいてあげるからどこか行こうよ。」
そう言って近付いてきたので、思わず後退った。いつもは活発な綾乃も、この時ばかりは恐怖で声が出なかった。そんな姿を見て男は行けると思ったのかどんどん距離を詰めてきた。
「い、いや。」
「いいから行こうよ。」
有無を言わさず腕を掴まれて引っ張られた。その強い力にさらに恐怖心でいっぱいになる。
「いや、やめてください。」
不審者に出会ったら大声で助けを呼べと言う。小学校から散々言われてきたことだ。でも、実際には恐怖で身体は震え、声を出そうにも思うように出すことができない。悲鳴ひとつあげられれば周囲も気が付くのかもしれないが、あまりの怖さにそれすらできなかった。そうこうしているうちにも、綾乃は引っ張られ、駅前から離れていってしまう。
途中、男は大胆にも交番の前を通った。警察に声をかけようと思ったが、交番も夜のためか扉は閉まり、中の警察官も書類仕事をしているのか気が付く様子はなかった。この先は駐車場になるが、通りからは完全に死角になるために人が来ることは少ない。このままでは危険だと必死に抵抗を試みた。
「暴れるんじゃねぇよ!」
突然耳元で大きな声を出され、恐怖のあまり涙が出てきてしまった。男は綾乃が大人しくなったのを見てもう大丈夫だと思ったのか、腕を腰に回して抱えるようにして路地裏に入っていった。
(このままじゃ。誰か、助けて!)
その時、
「おい。いい加減にしろよ!」
声が聞こえると同時に大きな衝撃を感じ、地面に転がりそうになった。その瞬間、フワッと身体が軽くなる感じがして、気が付くと抱きかかえられていた。
「お兄ちゃん!」
「お待たせ。遅くなってごめんな。」
忠弘は綾乃を降ろすと、自分の後ろに回してかばってくれた。
「この野郎、何しやがる!」
「あ? おれの大事な妹に何してくれてんだてめぇ。」
「その子はおれと遊ぶんだよぉ!」
男はポケットから折り畳みのナイフを取り出して突き出してきた。だが、忠弘は冷静に相手を睨みつけた。ナイフを持つ手が覚束ない。この男はケンカ慣れしていない。それなら対処もできる。
「強制わいせつに誘拐未遂、銃刀法違反に殺人未遂だな。」
忠弘はそう言いながら両手を何度かグーパーすると、ファイティングポーズを取って重心を低く構えた。
「綾乃、逃げろ!」
「でも。」
「いいから行け!!」
忠弘に突き飛ばされて、その勢いのまま綾乃は坂道を下って人通りの多いところに出た。助けを呼ばなければ、相手は武器を持っているのに忠弘は丸腰だ。まだ恐怖で身体が震えている。もっと早く走りたいのにうまく身体が言うことを聞かない。周りにはフラフラと歩いているように見えるのか、何人かが何事かなと振り返るも、綾乃に声をかける人はいなかった。
綾乃は何とかさっきの交番まで戻り、壊すのではないかと言う勢いで扉を叩いた。ようやく気が付いた警察官が驚いて飛び出してきた。
「どうしましたか? 大丈夫ですか!?」
綾乃は呼吸を整えて、短かったがはっきりと伝えた。
「お兄ちゃんが、ナイフを持った人に、そこの駐車場です。」
「なんだって!?」
警察官は無線で応援要請をかけると、ここにいるように綾乃に言い残して駐車場へ走っていった。その後ろ姿を見ながらへなへなと腰を抜かして交番の扉にもたれかかるようにして座り込んだ。そうして、ようやく一人のOLが駆け寄ってきて、
「なにがあったの。大丈夫?」
と、背中に手を回して支えながら声をかけてくれた。綾乃は差し出されたそのOLの腕にしがみ付き、まだガタガタと震えが止まらない自分の身体を必死に落ち着かせようとした。
続く。
ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
\(^o^)/
今回のような事件は、創作だけではなく現実に起こりうることです。
お住まいの街でも、探してみるとけっこう死角があって、
普段から気を付けないといけないことが見えてきたりします。
作者は、変質者側として間違われないように、
女性と帰る方向が一緒になってしまっている時は、
距離を取ったり、別の道を帰ったりするように心がけております。
ああ、イケメンに生まれたかった。
引き続き読んでやるぞ!
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次回もどうぞお楽しみに!




