第二章 乙女心と鈍感過保護㉑ 誕生日のお出かけ
季節は初春。まだコートが必要な日が多い中、今日は忠弘たち鎌倉学院高校の卒業式だ。忠弘と信和は鎌倉学院大学に進学が決まり、杏奈はそのまま芸能事務所に本就職が決まった。みんな、進学なり就職なり進路が決まり、楽しかった高校生活も今日でいよいよ終わりになった。
杏奈は卒業式も出席することができなかった。撮影に次ぐ撮影で、忠弘との付き合いもたまにメッセージをやり取りするくらいなのは相変わらずで、デートするとか夢のまた夢だ。
別に事務所から交際をやめるように言われたわけではないが、忠弘は自分が一般人であることを自覚して、杏奈に迷惑が掛からないように配慮していた。しかし、杏奈にしてみれば会えないつらさと、連絡もままならない生活にストレスを抱え、今日の卒業式もけっきょく朝一番、みんなが登校する前に校長室で卒業証書だけを受け取り、そのまま都内の撮影現場に移動した。
『みんなと卒業式出れなくてごめん。』
杏奈から届いた短いメッセージが、彼女の寂しさを表しているような気がして心配になった。卒業式後の打ち上げでこまち茶房を貸し切りにしたので、忠弘は信和たちに杏奈のことを相談してみた。今日のメンバーは野球部と演劇部を中心に30人以上が集まっていた。
「杏奈ちゃんは朝早くに一人で卒業式やったみたいだね。」
涼代がレモンティーを飲みながら話しかけてきた。
「みたいだね。卒業式出れなくてごめんって来てた。」
「すっかり売れっ子だから、なんだか遠くに行っちゃった感じがするなぁ。」
「まぁ、卒業したからって関係が終わるわけじゃないんだから、時間があったら遊んでやってよ。」
「大澤くんは?」
「おれは。。。」
言い淀んでから、忠弘は抹茶ラテを口にして、
「万が一、週刊誌に取られて好き勝手書かれたら、杏奈に迷惑かかるからなぁ。」
そう言って苦笑いした。
「でもさ、杏奈が一番会いたいのは大澤君だと思うよ?」
「そうかもしれないけど、おれのせいでせっかく固まってきた人気に水を差すわけにはいかないよ。」
杏奈が出演した映画やドラマは全部チェックしている。素人の忠弘が見てもわかる。やっぱり杏奈は演技が上手だし、それに役者としてはすごく起用だということもわかった。シリアスな女子高生探偵役をやったかと思えば、コメディで鼻をほじるような役もやってのける。杏奈が恋人だからとか、幼馴染だからとかというのを外してみても、才能も役者根性もある女優だと思っている。
「おれは、杏奈のキャリアをつぶす男にはなりたくない。」
それは、忠弘が自分に言い聞かしていることでもある。そばにいてやりたいしたくさん話だってしたいが、今の杏奈は『忠弘の杏奈』ではなく『みんなの杏奈』なのだ。
「杏奈ちゃんのオフの日に、こうやってみんなで集まって卒業式やろうよ。みんなで集まれば週刊誌も怖くないんじゃない?」
そう提案してきたのは、なぜかちゃっかり打ち上げに参加していた綾乃だった。
「それ、いいかも!」
「南塚先生あたりだったら参加してくれるかもしれないしね。」
口々に綾乃の提案に乗っかってくるみんながいた。かくして、『鎌倉学院高校卒業打ち上げ会』は『杏奈卒業式大作戦』の作戦会議に変貌するのであった。
4月。忠弘は鎌倉学院大学に進み、教職課程を専攻しながら、信和とともに野球部の練習に精を出していた。綾乃は六年生になり少し背も伸びた。一昨年、鎌倉に来た頃は身体も小さく、おとなしかった綾乃だったが、忠弘やみんなと過ごすうちにすっかり明るい女の子に成長していた。
忠弘は授業と野球部が忙しいため、福原生花店でのアルバイトも週2日ほどに減っていた。そのために綾乃と会う時間も少なくなっている。週末も基本的には野球部の練習だ。綾乃と過ごす時間も今までに比べれば格段に減っていったが、綾乃は相変わらず忠弘には甘えん坊で、たまに店に顔を出すときはずっと一緒にいることを望んだ。
「お兄ちゃん。7月後半だったら、杏奈ちゃんも時間取れそうだってよ。」
ある日の出勤日、綾乃が嬉しそうに報告してきた。綾乃は杏奈に連絡を取り、みんなで会おうと誘ってくれていたのだ。
「マジで? おれが誘っても忙しいってばっかりだったのに。でかした。」
「うん。」
忠弘が嬉しそうな顔をしたからだろう。綾乃も嬉しそうに笑っていたが、最近、杏奈の話をすると時折見せる寂しそうな表情が増えたような気がして心配になっていた。香織たちに聞いてもそんなことはないと言われているし、綾乃自身に何かあったか聞いてみても何もないと答えられるばかりだった。
「何にもないんならいいんだけどさ。」
「もう。お兄ちゃんは心配し過ぎ、ってか、過保護すぎ!」
本人がそう言うので様子を見ているが、心配なことには変わりがなかった。
「そう言えばさ。来週、綾乃の誕生日じゃん? 何が欲しいか決まったかな。」
「いいよ別に。誕生日なんてただ年齢が一つ増えるだけの事でしょ。」
小学生らしからぬ返答に忠弘は思わず笑ってしまった。
「おばあちゃんみたいなこと言ってら。」
「だってそうじゃん。」
と言って頬を膨らませたが、少し考えた後、
「お兄ちゃん。じゃあ、時間くれるんなら行きたいところがあるんだ。」
と言ってきたので快く了承した。一昨年、綾乃が鎌倉に来た時には誕生日も過ぎていたし、それどころの状態ではなかった。昨年も、綾乃は忠弘の甲子園予選の方が大事だからと誕生日に特別なことはしなかった。と言うよりも、頑なに誕生日を祝われるのを避けているような気すらしていた。和元も香織も、本人がそう言うのならと、綾乃の好きな食事を作ったくらいにとどめたのだ。
両親を失ったことで、もしかすると今までの誕生日はつらい記憶になってしまっているかもしれない。もう、彼女が両親から祝われることはないのだ。だが、忠弘はそれが心に開いてしまった空白の思い出になるのなら、新しい楽しい思い出で埋めてあげたいと思った。
「おうよ。どこでも連れて行ってあげるよ。」
「うん!」
週末に時間を取ることを約束したが、どこに行くのか尋ねてみても、とうとう綾乃は教えてくれなかった。
土曜日になり、この日は綾乃の12歳の誕生日の日だった。忠弘は大学野球部も休み、いっしょに鎌倉の街を歩いていた。綾乃がどうしても行きたいと言っていたのは、小町通りから少し離れたところにあるガラス工房だった。鎌倉はトンボ玉はじめ、ガラス細工の工房が有名だ。
「ここが来たかった場所?」
「そうだよ。」
ここではガラス細工の工芸体験もできるそうで、綾乃は自分で予約まで入れていたみたいだった。小学生のその行動力に感心した忠弘は、なんだか微笑ましく思いながら店の中に入った。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
\(^o^)/
綾乃が希望したガラス工房。
ここで何を作るのでしょうか。
次回もどうぞお楽しみに。