第二章 乙女心と鈍感過保護⑱ 決着の時
忠弘がマウンド上で構えようとしたその時だった。
「タイム!」
一塁側の相手ベンチから大阪法院の監督が出てきて主審に代打を告げた。
『大阪法院高校。六番ライト、佐藤君に代わりまして、ピンチヒッター、朝倉慶斗くん。背番号6。』
朝倉慶斗(あさくらけいと)。もともとはショートで四番を打っていたはずだ。綾乃が大会前に調べてくれた資料集にも名前があった。大会前に右膝の靱帯を痛めて試合には出ていなかったのだ。最初から朝倉が出場していたら、もしかすると延長にすらならなかったかもしれない。
朝倉は左バッターボックスに立つと、怪我をしている右足で足場の感触を確かめながらバットを構えた。この交代のおかげで、忠弘も少しは息を整えることができた。きっと、最後の試合になるかもしれないので、三年生で主軸を担ってきた朝倉を出したのだろう。忠弘は初球から得意のフォークを投げた。打者の手前できれいに沈んだ。朝倉は一瞬打ちに行ったが、すぐに動きを止めた。
「ボール!」
かなりの選球眼だ。あのタイミングでバットを止められる技術もすごい。二球目は内角低めに直球を投げて見逃しストライク、三球目も同じコースに投げたが、今度はバットに当てられて内野席にファールとなった。追い込んだのは忠弘だったが、ここまで200球を超える投球をしている。本当に追い込まれているのはどっちだろうか。
四球目は外より低めの直球をカットされてファール。五球目もファールにされて、六球目は一度間を取るためにボールを投げた。
「全力一杯。」
胸のお守りに手をやってから忠弘は振りかぶった。そして、渾身の力を込め、熊田のミット目掛けて今日一番の直球をリリースした。自分でもわかる。今日一番の一球だった。
「あっ!」
綾乃が小さく声を上げて立ち上がった。それとほぼ同じくして球場中が大歓声に包まれた。打球は、夏の青空に高く高く舞い上がり、ゆっくりときれいな弧を描いて左翼席中段へ飛び込んでいった。逆転サヨナラ本塁打だった。
夏の甲子園 準々決勝
鎌倉学院(神奈川県代表)000 000 000 000 02 2
大阪法院(大阪府代表) 000 000 000 000 03× 3×
それから、どうやって宿泊先に戻ったのか覚えてはいない。なんとなく試合終了の礼を行って、恒例風物詩になっている甲子園の土をスパイク袋一杯に入れ、バスに乗って戻ってきた。・・・様な気がした。
監督のミーティングの後に解散する予定のため、ユニフォームのまま広間に通されると、忠弘は真っ先にその畳の上に大の字になり、
「も~、死んでもいいかなぁ?」
と声を出した。疲れていたし、悔しかったし、身体中が痛かった。しかし、それよりもスッキリした気分だった。あれだけの全力投球をきれいさっぱり打たれたのだ。負けてみんなには申し訳なかったが、とても晴れやかな気分だった。
「忠弘、すまなかったな。」
黒岩が頭上から本当に申し訳なさそうに話しかけてきた。とうとう代えてやることができなかった。今日の試合を忠弘と心中すると決めたのは黒岩だ。
「へへ。もうお腹いっぱい、大満足ですよ。」
疲れた声でそう答えた時、
「お兄ちゃん!」
信和に案内されて広間に入ってきた綾乃は、お気に入りの水色のワンピースをふわりとさせながら駆け寄ると、そのまま転がっている忠弘に抱き着いた。
「お兄ちゃん。負けちゃったよぉ! うわーん!!」
そのまま大泣きする綾乃の姿を見て、
「負けちまったな。」
「ああ、終わっちゃったな。」
広間に集まった鎌学野球部員たちが、堰が切れたように泣き始め、嗚咽を漏らし始めた。あと三つ、届かなかった全国制覇の夢。そして、三年生は最後の夏が終わった。
「ああ、きれいさっぱり見ごとに負けたな。」
「うわーん!!」
泣き続ける綾乃の髪をなでながら、忠弘も涙を流したのであった。きっと、今日の敗北は忠弘たちの人生での素晴らしい経験になったはずだ。
しかし、それを理解するのはまだまだ先の話になるのだろう。誰しもが悔しくて涙を流していたが、綾乃がずいぶん泣くものだから、忠弘はもう冷静さを取り戻し、ただただ、綾乃の髪をなで続けるのだった。
翌日、夕方の新幹線で帰ることになっていたが、日中は自由行動となり、野球部員たちは大阪まで出て観光をするのだった。黒岩の計らいで、綾乃も野球部員たちといっしょに観光して楽しんだ。帰りの新幹線までいっしょにしてくれたのだ。大阪城を散策し、たこ焼きを食べ、みんなで楽しんだ。大阪城公園では、城をバックにみんなで記念撮影をしようということになった。その時に、秋菜に促されて信和が新品の野球部の帽子を持って綾乃の前にしゃがみ込んだ。
「綾乃ちゃん。君が忠弘を野球部に復帰させてくれて、相手チームの細かい分析もしてくれたおかげで、俺たちは全国ベスト8という素晴らしい成績を残すことができました。これはみんなからの感謝です。石山綾乃さんを、鎌倉学院高校野球部名誉部員に任命します。」
帽子のつばの部分には、みんなから一言ずつお礼の言葉が書いてあった。
「嬉しい!! ありがとうございます!」
綾乃は手渡された帽子をかぶり、みんなに微笑んで見せた。みんなで集合写真を撮り、夕方の新幹線で鎌倉に帰るのだった。帰りの新幹線の中で、スポーツ紙や携帯ニュースを見て知るのだが、忠弘の最後の一球は161キロを記録して、それはこの試合237球目の球だったと言う。
「お兄ちゃん。」
「どした?」
「甲子園に連れてきてくれて、ありがとう。大好き!」
隣の席に座った綾乃は、そう言って腕を組むと、さすがに疲れていたのかそのまますぐに眠りに付いてしまった。忠弘は風邪を引かないようにと、足元のカバンを足で手繰り寄せると、中から器用に片手でカーディガンを取り出してかけてやった。その様子をニコニコ見ていた信和が、
「お兄ちゃんなんだか、お父さんなんだか。」
と、綾乃を起こさないように小声で話しかけてきた。
「うるせーな。おれは保護者のつもりだよ。」
「でも、彼女はどう思ってるかな。」
「あん?」
「もう立派な乙女ってこった。杏奈ちゃんと綾乃ちゃん。どっちが本命なんだ。」
「馬鹿か、綾乃はまだ五年生だぞ。」
「だ~か~ら~。五年生だろうが、もう好き以上の感情を持てるってことだよ。」
信和はそう言うと、綾乃の事を指さして笑っていた。綾乃の感情は、近しい年上の男性に対する憧れとか淡い恋慕とか、そういうもので懐いていると理解している。恋愛の対象になんてなりようはずもない。
「馬鹿言ってないで休んどけよ。」
「へいへい、お兄ちゃん。ただよ・・・。」
通路を挟んで反対側の席に腰を下ろすと、複雑そうな表情で続けた。その奥の窓際席では、腕を組んだ堤井が疲れ切ってすっかり眠っていた。
「もう何年かするとわからんぞ。」
それだけ言って、信和も眠りにつくのだった。やれやれといった視線を向けてから、忠弘も休むために目を閉じた。新大阪を出た新幹線はまだ京都を出たばかりだ。新横浜までは2時間近くある。綾乃のべったりは尋常じゃない。それは忠弘にもわかっている。ただ、杏奈から自分を横取りしようとか、杏奈と自分が一緒にいるときに邪魔したりとか、そういう素振りは今まで見せたことがない。信和の杞憂は杞憂のまま終わるはずだ。この時の忠弘はそう思っていたのだった。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
まさかの大熱戦、
そして見事な敗北でした。
朝倉慶斗選手のモデルは侍ジャパンでも活躍した東北楽天の浅村栄斗選手でした。
予選決勝で見せた
杏奈の心に生まれたあやしい雲行き、
そして信和の懸念。
それが今後どう展開していくのか注目です。
また、引き続き読んでやるぞ!
頑張れよ! と応援いただける際は、
ぜひ、いいねとブックマークと高評価での応援をよろしくお願いいたします。
次回もどうぞお楽しみに!




