第二章 乙女心と鈍感過保護⑩ 忠弘の奇策
定刻通りに試合が始まると、後攻である鎌倉学院ナインが一斉にグラウンドへ飛び出していった。忠弘は今日もセンターの守備に入っている。先発の水田と西村、今日の試合は今までと違ってガチガチの投手戦になった。ここまで打撃好調の忠弘も二打席連続で三振になっている。六回まであっという間に進み、試合は両校無得点のまま終盤戦に入っていった。ただ、水田が相模大東海に許した安打が6に対して、鎌倉学院はいまだに無安打。それどころか四死球や失策での出塁すらない。つまり、完全に抑え込まれているのだ。
七回裏からは相原が交代してマウンドに立った。その初球、快音と共に白球は舞い上がり、レフトの宇治とセンターの忠弘が懸命に追いかけたが、無情にも打球はその二人の間を抜けていってしまった。打者は三塁まで進み、続く打者を三振にしたものの、その次の打者の内野ゴロの間に走者は生還し、先制点を与えてしまった。三塁側スタンドからは落胆のため息が漏れた。
「先制されちゃった。」
「どうしよう、もう八回と九回しかチャンスないよ。」
バックスクリーンのスコアボードを見つめながら、翔も志穂も悔しそうに言った。しかし、綾乃はまだ悲観していなかった。ノートを取り出して西村のデータのページを開いた。相模大東海はここまで三試合、すべて五回コールドで勝ち進んでいる。そして、うち二試合は曇り空で気温も涼しかった。
続く打者を内野フライに打ち取った後、八回表も三人で抑えられた鎌倉学院は八回裏をしのぐと、最終回の攻撃へと入っていった。この回の先頭は忠弘からだ。
「お兄ちゃん! ガンバレ!!」
スタンドから応援する綾乃の声が球場へ響き渡った。
「忠弘。」
信和がバッターボックスに向かおうとする忠弘を呼び止めた。
「どうした?」
「いや、お姫様の為に頑張ってこい。」
「なんだよそりゃ。」
背中を叩かれ、初めて自分が緊張してることに気が付いた。高校野球はノックアウト方式のトーナメント戦だ。負ければそれで終わり。この回に点が取れなければ負けてしまうという恐怖、安打が出なければ完全試合のおまけが付く焦り、そういった感情が自分を平静ではいられなくしていたのだ。
「よし!」
忠弘は二回素振りを行うと打席に入った。まずは一本、いかに西村が好投手と言っても、完全試合なんてそうそうできるものでもないはずだ。完全試合が崩れれば、そこに勝機が見えてくるかもしれない。
初級は外角低め一杯の直球。違和感を感じながら見送った後に、忠弘は慌てて、
「た、タイムお願いします。」
そう言って、靴紐をほどいて結びなおした。考える時間が欲しかったのだ。
『さっきの打席よりも球威がない気がする。』
そして、綾乃が分析していたことを思い出した。西村は春の大会もこの大会も一人で投げ切っている。それに、ここまでの三試合はすべてコールドゲーム。忠弘は息を吐きながらマウンドの西村に目線を向けた。
『そうか。そう言うことか。』
忠弘の頭の中に一つの答えがまとまった時、
「バッター。早くしなさい。」
と、審判に声をかけられてしまった。
「すみません。」
忠弘は靴紐をしっかり結び、もう一度だけ素振りをしてから打席に入った。西村が二球目を振りかぶった瞬間、忠弘はバットを寝かせてバントの構えを取った。慌ててファーストとサードが前に飛び出し、西村も投げた後にマウンドを降りようとしたが、
「ボール!」
直前でバットを引いた。球はわずかに外にそれてボール。三球目も同じようにバントに構えたが、やはりバットを引いてボールとなった。四球目と五球目はファールで粘り、六球目がそれてフルカウントとなった。それからも器用にボールをカットしてファールを重ねると、次第に西村の肩が上下してきた。
実に十球目を大きく振りかぶって投げた瞬間、忠弘は確信をもってバットを振りぬいた。それは、確実に芯を捉えて、打球は一塁線を抜けてライトの奥へ転がった。忠弘は一塁を蹴ると二塁へ滑り込んだ。記録は二塁打だった。
「やったやった!」
「兄貴すごいや!」
綾乃たちが立ち上がって歓声を上げる。しかし、喜んだのもつかの間、続く宇治の初球、忠弘は三塁へ向けて走った。盗塁を試みたのだ。慌てた相手キャッチャーはボールをつかみ損ね、投げることができなかった。マウンドの西村は肩で息をしていた。それを見て、
「宇治!」
打席の宇治に声をかけると、
『ね、ば、れ!』
と、口だけ動かして伝えた。宇治は意図が理解できたのだろう、うなずくと次の球を持った。ファールを繰り返して粘り、フルカウントからも三球ファールで球数を投げさせた。九球目が外れ、宇治が四球で出塁すると、九番の水田のところで代打・近田比呂(ちかだひろ)が告げられた。近田は足も速いしバッティングもうまい。荒川が卒業した後はショートを任され、レギュラーになるだろうという選手だ。
ベンチにいた黒岩監督も忠弘の思惑がわかったのであろう。
「近田。ノーアウトだがスクイズはナシだ。最終的に三振でも構わん。しっかり粘ってこい。」
「はい!」
近田にそう指示をして打席に送り出した。近田は初球をバントの構えを見せた。スクイズを警戒し、ファーストとサードそしてマウンドの西村も前に走り出す。が、見極めてバットを引く。二球目は西村が足を上げた瞬間に忠弘がスタートを切った。再び西村達が前に走り出すが、今度は近田がカットして、打球はスタンドに飛び込んだ。マウンドに戻る西村は何度か深呼吸して息を整えると、一回牽制球を挟んで、もう一度深呼吸した。
「あっ!」
次の球を投げた瞬間、思わず忠弘の口から声が漏れた。球はストライクゾーンを反れ、近田に当たったのだ。避けようとして体勢を崩したのか、近田は背中から転がったが、すぐに起き上がって一塁へ走り始めた。死球で塁が埋まった。無死満塁、一番に返って打席には荒川が入った。その初球、真ん中付近に甘く入った直球を逃さずバットを振りぬいた。快音を響かせて打球は右中間を抜けていった。忠弘が生還し同点とすると、宇治と俊足の近田も生還して一気に逆転した。
これで、完全に西村の緊張の糸が切れてしまったようだ。続く、堤井もセンター前にはじき返して四点目が入ると、信和はレフトスタンド球場外へのとどめの本塁打を放った。結局、打者一巡の猛攻で七点を奪い、相原が九回裏を三人で締め、鎌倉学院が準々決勝進出を果たしたのだった。
神奈川県大会 五回戦(ベスト16)
鎌倉学院 000 000 007 7
相模大東海 000 000 100 1
終わってみれば、鎌倉学院の圧勝だった。西村一人に頼らなければならなかった相模大東海に対し、相原と水田で継投ができる鎌倉学院。ここまで涼しかった日が続いたが今日は急に暑くなった。そのために体力も奪われただろう。加えて完全試合への重圧が、西村の調子を崩してしまったのだ。相模大東海も強かったが、総合力の差が出た試合だった。かくして、鎌倉学院は準々決勝へコマを進めたのであった。
続く。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
\(^o^)/
白熱した五回戦でした。
しかし、同じ甲子園予選大会でも、
神奈川県や埼玉県は優勝するまでに最大八試合を戦います。
学校数が少ない地域だと、
最短で四試合で甲子園に出れる県もあります。
記念大会だけにせず、
毎回、学校数の多い地域は、
東京の様に東〇〇、西〇〇って分けてもいいと思うんですよね。
憧れの甲子園の舞台に、
一校でも多く進んでほしいなと思う作者であります。
さて、次回からはいよいよ予選後半に入ります。
ガンバレ鎌学野球部!
次回もどうぞお楽しみに。