序 章 令和関東大震災③ 力尽きた先に
少し前、古民家から老婆を救助してすぐ、再び強い揺れがあったために小隊メンバーは古民家から離れた。間もなく古民家は完全に倒壊してしまった。間一髪のところで救助できてよかった。荒森は無線で救助を呼び、10分としないうちにすぐ近くの救急隊が駆け付け、老婆は担架で運ばれていった。腰を抜かしていたようだが怪我がないのは幸いだった。
老婆の件が一段落すると、佐倉に促されて忠弘の捜索をすることになった。さっきの揺れの後に姿が見えないのだ。
「こちら荒森。小隊長、取れますか? どうぞ。」
しかし返事はなかった。すぐに頭に最悪のことが過ってしまう。
「まさか、さっきの揺れで倒壊に巻き込まれたんじゃないだろうな。」
「少し前に、辺りを見てくるとはおっしゃってたんですが、暗がりだったのでどこまで行ったかは確認できませんでした。」
佐倉の言葉に、荒森は周囲を見ながら、
「小隊長のことですから、周辺の民家から生存者の気配を感じたんじゃないでしょうか。」
そう言った。大和は、
「とにかく、そこまで遠くには行っていないでしょう。」
そう言って周囲の捜索を命じた。揺れで倒壊したのはこの古民家とはす向かいの民家で、両隣と向かいの家は、窓が割れたり、壁に亀裂が入っていたが、倒壊するほどの損傷はなかった。はす向かいの民家を中心に、4人は手分けして捜索に当たった。
佐倉は、狩谷を連れてはす向かいの民家の敷地に入っていた。何か手掛かりはないかと周囲を見渡したものの、ライトに照らされる倒壊した家屋のがれきの他には、これと言ったものは見当たらなかった。
「小隊長! 大澤小隊長!! いたら返事をしてください!!」
狩谷が声をかけるが、返事はない。遠くで聞こえる緊急車両のサイレンや、通りの車の音が聞こえることもあってか、狩谷には返事が聞こえなかった。
「佐倉副士長。返事がないです。まさか、この倒壊に巻き込まれて・・・。」
そう言って狩谷は顔を青ざめた。佐倉はそんな狩谷の頭を叩き、
「バカ言ってんじゃない!」
そう言って倒壊した家屋の中に目をやった。その時、かすかに、本当にかすかにだが、一定のリズムで音が聞こえたような気がした。佐倉はがれきを周回し裏手に回った。すると、小さかったが確かに音が聞こえた。砕けた窓ガラスの破片で怪我をしないように注意しながら、目を閉じて耳に全神経を集中させた。
『コン、コン。』
『コン、コン、コン、コン、コン。』
『コン、コン。』
そのリズムが繰り返されるのを確認した瞬間、佐倉は大きく瞳を見開いて、これでもかと言うくらいの大きな声で叫んだ。
「252! 252!! 生存者あり!!」
忠弘が指示した2回、5回、2回のリズムは、東京消防庁の消防無線における通話コードだ。252は、救助を必要とする者がいることを意味していて、つまり生存者がいるということである。
狩谷が無線を使って大和や荒森を呼び出した。佐倉は瓦礫をかき分けて、家屋の中に二人がいることを確認した。ライトの点滅に気が付けたのだ。さらに近隣の救助隊に応援要請を取り、大掛かりな救助作業が始まった。
忠弘は佐倉の声を聴き、自分達の存在を見付けてもらえたことに安堵した。しかし、まだこれで終わりではない。瓦礫を取り除き、この中から出してもらって初めて助かったと言える。正直、もう腕の力も左足の痛みも限界だった。
「小隊長! もう少しです。頑張って!!」
狭い道路な上に、瓦礫が散乱しているせいで重機は入ってこられない。照明が用意され、周囲は真昼のように明るくなったが、手作業のために救助作業は夜通し行われた。忠弘の腕は限界で震えが始まってしまっている。何ヵ所かジャッキを入れて支えたため、幾分かはマシにはなったが、それに勝る質量が、着実に体力を削っていった。
「おじさん・・・。」
再び、奈津美が不安そうに忠弘に声をかける。暗闇に加えて1月の夜の寒さだ。部屋着の奈津美の体温も気になる。低体温症にでもなったら大変だ。ジャッキを設置した際に、保温用のアルミシートを渡してもらった。だが、それだけでは足りない。早く奈津美が出られるだけの隙間を作ってもらわなければ。
「任せとけ。まだまだ余裕だからさ。野球は九回ツーアウトからが本番だってな。」
強がってはいるものの、もはや気力だけで支えているようなものだった。仲間達の激励の声を聞くたびに、忠弘はギリギリのところで意識を保っていた。
そして、東の空がうっすらと明るくなってきたころ、人力とてこの原理を利用して、忠弘の周囲に少しだけ空間ができた。何とか奈津美だけは助け出せそうな空間だ。忠広の腕の感覚はもうとっくにない、床に垂直に立てて、肩全体で家財を支えている、忠弘の全身がてこの原理で持っているようなものだった。
「今だ。引き出すぞ!!」
大和の掛け声で、荒森と佐倉が腕を伸ばして奈津美の身体を掴んでゆっくりと引き出していく。ここで慌てて引き出すと、奈津美がケガをしたり倒壊が進む危険もある。災害救助は迅速にやらなければならないが、その作業はとても繊細なものになるのだ。
「今、助けるからね。安心してね。」
佐倉が声をかけながら、ゆっくりと奈津美の腰元に手を伸ばし、スカートの腰の部分に手をかけて自分の方へ引き寄せていく。荒森も同じように、奈津美の肩に手をかけて、佐倉と呼吸を合わせて身体を引き寄せる。
そして、安全を確保しながら奈津美はとうとう瓦礫の外へ救出された。
「奈津美!」
「お母さん!!」
奈津美は狩谷に支えられて、自宅へ戻ってきた母親の胸に飛び込んだ。
「ああ、よかった! ありがとうございます。ありがとうございます!」
涙を流して喜ぶ母親に抱かれながら、奈津美は今までいた瓦礫の方を見た。そこには、まだ忠弘の姿はなく、幼い奈津美でも瓦礫の中から救助されていないということがわかった。
「おじさん・・・。」
心配そうに声を出す奈津美に、
「大丈夫。小隊長は必ず助けるよ。」
狩谷はそう言うと現場に戻った。まだ瓦礫の撤去は進んでおらず、人力では限界のある大きさの家財がのしかかったままだった。外から見るからこそわかる。この物量を忠弘はたった一人で何時間も支えているのだ。火事場の馬鹿力、そんな言葉が頭に浮かんだが、忠弘が計算し尽した体勢を取り、人並外れた精神力だけで支えているのがわかった。
そして、それは今ここにいるメンバーだけではどうしようも打開できない事態であることも物語っていたのだ。
「小隊長!!」
奈津美の救助のためにいったん外に出た佐倉が声をかける。荒森と大和は少しでも忠弘の負担を少なくしようと、さらにジャッキで家財を持ち上げようとしていた。佐倉は声をかけ続けたが、忠弘の返事の声がか細くなっていくのを感じて唇を噛んだ。
「しっかりしてください!!」
「こ、子供は?」
佐倉は一度、奈津美たちを振り返った。奈津美は心配そうにこちらを見守っているが、しっかり自分の足で立っている。大きな怪我はなさそうだ。
「大丈夫です。擦り傷くらいで済んでいます。」
そう報告すると、忠弘が息を吐くように小さな声で返事を返した。その声が、何か最期の一息のような気がしてしまい、佐倉は涙声になって忠弘の名前を叫んだ。
「そうか、それならよかった・・・。」
「大澤さん!! 大澤さん!! いやだ! 大澤さん!!」
すーっと意識が遠のいていく。瓦礫の狭間から、佐倉の泣き顔や、心配そうに集まった大和達の顔を見ることができた。全員無事だったみたいだ。これだけの災害の中、若い部下たちはよく動いてくれた。自分達は火災や災害時のために毎日厳しい訓練を繰り返し、被災者と仲間、そして自分自身を守るために身体を鍛えぬいていく。その一つの成果が出ていたのだ。
「みんな。よくやってくれた。ありがとう・・・。」
もはや足の痛みは感じなかった。腕の疲れも気にならなかった。全力で要救助者を助けることができた。大切な未来のある子供の命を守ることができたのだ。今の状況を鑑みても、長年この道で戦ってきた忠弘だからこそわかる。もう、限界だ。それでも忠弘は満足していた。
『・・・・・・。』
自分を呼ぶようなと優しい声が聞こえた。懐かしい人の声だった。そうだ、ずっと昔に自分の事を好きでいてくれた人がいた。その子は優しい子だった。自分を家族のように慕ってくれていた。そんなこともあったなと、なぜ今さらそんなことを思い出したのだろうと疑問に思うこともなく、忠弘は自分の視界が真っ白になっていくのがわかった。やがて喧騒も何も聞こえなくなり、あれだけ重くのしかかっていた家財や瓦礫の重さも感じなくなっていき、すべての感覚が消えていった。
本編へ続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
次回からは『第一章 声を失った少女』に入っていきます。物語は東日本震災の少し後から始まります。被災し、両親を失った少女と、その子を助けようと奔走する高校生の小さな恋の物語です。
また、引き続き読んでやるぞ!
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次回もどうぞお楽しみに!