第二章 乙女心と鈍感過保護⑥ 背中を押されて
そうこうしているうちに、試合は追加点も加えたジャビッツが7対2で快勝した。興奮冷めやらぬ中、二人はせっかくここまで遊びに来たからと山下公園を歩いた。クレープを買って公園のベンチに腰を掛ける。木陰になっているため、海から吹いてくる風が心地よかった。
「お兄ちゃんは、もう野球やらないの?」
「どうして?」
「野球やってる人にとって、高校野球って特別なことなんでしょ? お兄ちゃんは三年生なんだし、もう最後のチャンスじゃん。」
クレープを食べながら、綾乃は今日話したかった本題を切り出した。忠弘も、自分のクレープを食べながら、しばらく無言の時間が流れていった。横目に忠弘を見てみると、何か考えているような顔をしていたので、綾乃は考えがまとまるように待っていた。
しばらくして、クレープを食べ終わった忠弘は、包み紙をクシャっと握りつぶすと、
「おれだって、信和たちと野球がやりたい。」
そう切り出した。
「もう一度グラウンドに立って、ずっとやりたかった高校野球の舞台で戦ってみたい。」
それなら、やってみればいいのではないかと話そうとしたが、
「でもさ。おれには野球だけじゃない仲間が出来ちゃったんだ。綾乃も知っての通り、怪我で野球ができなくなって、ただ呆けていたところを演劇部に誘ってくれたのは杏奈なんだ。杏奈は無名だった鎌学演劇部のテコ入れをして、高校演劇ではそこそこレベルの高い部にしてくれたんだ。今、杏奈は女優として歩き出しちゃったし、素人の高校演劇に出るわけにもいかなくなっている。それでも、たまに顔を出してはみんなに指導したりしてくれているけどさ。杏奈が作ってきた演劇部を、もう自分勝手に捨てられないよ。」
それが忠弘の本心だった。杏奈に恩を感じていた。それに、演劇はやっていてとても面白かった。今後、自分が杏奈のように役者になっていこうとまでは思っていなかったが、脚本を考え、演出を決めていって、みんなで『動く芸術品』を作っていくのは楽しかったのだ。
「へぇ。そう言うことか。」
振り返ると、信和や相原たち野球部のメンバー数名と、杏奈をはじめ、演劇部の涼代や理恵が集まっていた。忠弘が驚いていると、
「綾乃ちゃんに集合かけられたんだよね。だから青井たちにも声をかけたんだ。」
杏奈がそう言って笑った。そして、忠弘の隣に立つと、思い切り背中を叩いた。
「うげっ!」
「なにをジメジメしてんだよ。あんたから野球取ったらお人好ししか残らないでしょ。それに、あんただって良くわかってるはず。高校野球は7月が予選、8月が甲子園。高校演劇の県予選は9月。問題ないでしょうが!」
杏奈がそう言うと、
「ねぇ、大澤くん。野球、やんなよ。演劇部の方は人もいるし、杏奈も指導はしてくれるし、忠弘君が主役をするのなら大変かもだけど、今度の脚本はそうじゃないでしょ? 大丈夫、大澤くん戻ってくるまで、みんなで踏ん張るし、一年生にもいい稽古になると思うんだ。」
涼代がそう言ってくれると、理恵も頷きながら、
「それにさ。ちょっと考えたんだよね。鎌学野球部が甲子園出たら、大人になってから自慢できるじゃん。」
そんな風に言うのだった。
「あのな、おまえら。演劇だってもう少しで全国いけるくらいのレベルになってきてるだろうが。」
昨年の関東大会は三位入賞。一位と二位が全国大会へ進めるから、あと一歩だったのは間違いない。南塚先生から聞いた限りでは、二位とは本当に僅差で、審査員メンバーによっては結果は変わっていたかもしれないくらいだったそうだ。
「それにな。信和、今さらおれが野球部に戻って、他の部員が納得するわけないだろう。こっちは二年のブランクがあるんだ。相原や水田ほど投げられるとは限らないんだぞ。」
「そうなんだけどさ。忠弘がずっとトレーニングやってたのは橋本からも聞いてるし、演劇部ための体力作りだって言ってはいたけど、陸上部の連中と長距離走ってたじゃん? 玉木からもお前が陸上部だったらなって聞いてるぜ。」
玉木と言うのは、陸上部の部長で長距離選手でもある玉木健司(たまきけんじ)のことだ。たまたま鎌倉南中学で一緒だったため、忠弘とは顔なじみで仲も良い。玉木が校外に10㎞走に出る時には、忠弘もお願いして付いていった。演劇は声を出すので筋トレも必要だが、長い時間声を出し続けながら動きを合わせるために体力も必要である。
「それに忠弘。お前の妹ちゃんはけっこう策士だぜ? こんだけ根回しされちゃったら逃げ場はないな。」
「水田、お前なぁ。」
「そうそう、忠弘が寂しそうに野球部の練習を見てる姿が、橋本には耐えらんなかったってさ。彼女にも妹にも愛されちゃってるねぇ。」
「相原までなぁ。」
綾乃は妹ではないのだが、存在としては同じようなものになっているので、今さら訂正はしていなかった忠弘だ。しかし、綾乃が自分の知らないところで杏奈に協力を願い出て、杏奈が周囲に声をかけてくれた。ただ、それは綾乃が頼んだからだけではない。杏奈も綾乃も、忠弘が野球をやりたいのならやってほしいと願っていたし、涼代や理恵は鎌学が甲子園に行くのはいいことだと考えた。信和たちは忠弘がいれば甲子園が近付くと思っている。それぞれの思いだったが、同じ目的にかなっていたのだ。
忠弘は大きくため息を吐いた。水田の言うとおり、綾乃は策士だ。外堀を埋めてから本丸を突いてきた。それも、色々な同盟軍を引き連れてだ。
「・・・三イニングだ。」
しばらく考えた後、忠弘は信和に向かってそう言った。
「二年もブランクがあるんだ。一試合丸々投げることができるほど、おれの体力はないと思ってる。今からじゃそこは補えない。だから投げるのは三イニングまでだ。それから、野球部の練習の合間に演劇部の様子も見たい、それも許可してくれよ。」
なぜだかみんなが歓声を上げて喜ぶので、忠弘はもう一度ため息を吐くのであった。こうして、綾乃の作戦によって集まった同志たちが、忠弘を再びグラウンドへ復帰させるのだった。
続く。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
\(^o^)/
綾乃の作戦とみんなに背中を押され、
ようやく忠弘は野球部復帰を決意します。
次回は、
野球部復帰した忠弘がメンバーに受け入れてもらうための戦いです。
どうぞお楽しみに!




