第二章 乙女心と鈍感過保護⑤ 初めての野球観戦
杏奈に相談したその日の夜。綾乃は自宅に戻ってからリビングでどうしたらいいのか悩んでいた。忠弘がどうして野球から遠ざかろうとしているのかはわからない。怪我が理由だとは言われているが、どうしてもそれだけではないような気がしている。それは綾乃の直感だった。
「綾乃ちゃんさ。もしよかったらんだけど、忠弘誘ってこれに行って来たらどうかな。」
綾乃が忠弘のことで悩んでいるのを察した和元が、ごそごそとカバンから差し出してきたのは二枚のチケットだった。
「忠弘を誘っていこうかと思ったんだけど、ちょうどその日に商店会の会合が出来ちゃってね。」
そのチケットは、今週末のみなとみらいスタジアムで行われる東京ジャビッツ対横浜ベイズの観戦チケットだった。綾乃は野球のことには詳しくない。その二チームがプロ野球の球団だということくらいはわかっているが、そもそもどのチームの観戦でもいいものかどうか。ただ、野球好きならどのチームの試合も見たいものかもしれない。
「なにが会合よ。そういう名前の飲み会でしょ?」
香織がそう言って笑っていたが、考えてみればこれは渡りに船かもしれない。実際に野球を見ながら、忠弘の本音を引き出してみようと考えた。
「ありがとう、和元おじさん!」
まだ、和元や香織のことを『お父さん』『お母さん』とは呼べずにいた。なんとなくその言葉を口にしてしまうと、亡くなった両親のことを思い出してしまいそうだったからだ。二人もそれはよく理解してくれているので、無理に呼ばなくていいと言ってくれている。
綾乃は自室に戻ると、さっそく忠弘にメッセージを送った。
『今週の土曜日、みなとみらいスタジアムに野球見に行かない?』
しばらくすると既読マークが付き、すぐに返信が入った。
『予定はないけど、どうしたの??』
『和元おじさんがチケットくれたの。』
『わかった! 開けとくね。チケットの写メ送ってくれる?』
写メが何で必要なのかわからなかったが、綾乃は言われるがままチケットを撮影すると、メッセージに添付した。
『了解、あとで時間とか送るね。』
とにかくきっかけは作れた。あとは忠弘と一緒に野球を見ながら話をしてみるだけだ。きっと野球をやりたいと考えているはず。だったら、やってほしいと思っていた。それは自分のエゴなのかもしれないが、忠弘がやりたいと思うことをやってほしかった。そのきっかけに自分がなれれば、今までの忠弘に少しでも報いることができるのかもしれない。
綾乃はそんなことを考えながら週末までの時間を過ごすのだった。
そして土曜日。今日はデーゲームだ。みなとみらいスタジアムはドームではないため天候が心配だったが、今日は夏日になるかもしれないということで、空は雲一つない快晴だった。
午前中のうちに忠弘が綾乃を迎えに来てくれた。なんだかリュックがパンパンだったが、それがなんなのか考える間もなく、
「誘ってくれてありがとな。さっそく行こうか。」
満面の笑顔で言われ、二人は香織に見送られ一緒に駅へ移動した。みなとみらいスタジアムは鎌倉駅から大船駅で乗り換えて、JR根岸線の関内駅からすぐの所にある。
「ここに来るのも久し振りだなぁ。」
聞けば、忠弘がここへ来るのは小学校以来だと言う。野球観戦はしたいが、なかなか時間が取れなかったそうだ。また、土日は集客率もいいのでチケットが取りづらいという欠点もあった。チケットに指定されたゲートを通り、売店で飲み物や軽食を購入して座席に移動した。すでに7割くらいの観客が入っていて、外野席では両チームの応援団が盛り上がりを見せていた。
忠弘と綾乃は三塁側の内野指定席に座った。三塁ベースと左翼手の守備位置の中間位で、球場全体が見渡せる。座席に着くと、さっそく忠弘はリュックの中から何かを取り出した。
「綾乃。はい、これ着てくれる?」
忠弘はそう言って、東京ジャビッツのユニフォームシャツとキャップ、そしてオレンジ色のタオルを手渡してきた。プロ野球では、ホームグラウンドのチームは一塁側と右翼席にファンが固まる。反対に、三塁側と左翼席はビジターチームのファンが固まる。球場を真っ二つにしてファンが分かれて応援するのだ。
「わざわざ用意したの?」
「ふふ、綾乃は知らないだろうけど、おれって根っからのジャビッツファンなんだよね。店長は大阪タイガースファンだから、いつも野球に関してはケンカばっかりだけど。」
そう言ってユニフォームシャツとキャップを身に付けた忠弘は、そのまんま野球少年だった。
「外野席じゃないから、ここでは応援歌までは歌わないけど、手拍子とかで応援はするんだよ。」
「うん。見よう見まねでやってみる。」
13時近くになり、始球式が行われた。今日は男性アイドルグループのメンバーで売り出し中の川田涼平がマウンドに立ち、見事にノーバウンドで投球を行った。黄色い歓声が上がる中、忠弘は電光掲示板に表示された両チームのスターティングラインナップを見ている。
13時を少し回ったところで、いよいよ試合が開始された。綾乃にとっては初めての野球観戦である。スタンドからでも球場全体が見渡せるため、試合の流れは良くわかったが、いかんせん綾乃は野球に関しての知識が全くない。もう少し予習してからくるものだったと後悔し始めた四回裏ベイズの銀城がタイムリーを打って1点を先制した。
「ああ、取られちゃった。」
忠弘が悔しそうに膝を叩く。後続は打ち取ったものの先制点を与えてしまった直後の五回表ジャビッツの攻撃。四球とセンター前ヒットで一死一二塁のチャンスで、一番に入っていた坂元がツーストライクと追い込まれた後に快音を響かせた。
「行け! 入れ!!」
忠弘が思わず大きな声を上げる。観客たちが見守る中、白球はバックスクリーン右の右翼席に飛び込んだ。綾乃もびっくりするほどの大歓声が上がった。
「綾乃、タオル回して!」
そう言う忠弘はすでにぶんぶんタオルを振り回していた。
「「VIVA! ジャービッツ! 輝ける男たちよ~♪」」
三塁側と左翼席から得点をたたえる歌が沸き起こった。後で知ったが、得点時には毎回その歌をみんなで歌うそうだ。何が何だかわからないまま、綾乃はタオルを回した。初めての体験だが、見ず知らずの人が集まって、同じ目的をもってひいきチームを応援するのは新鮮で面白かった。試合が再開されたため、綾乃はずっと疑問に思っていたことを口にした。
「ねぇ、お兄ちゃん。」
「なに?」
「あの打つ人って、左には走って行ったりしないの?」
「なぬ??」
打者が打ったときは、当然右方向にある一塁へ走り出すのだが、野球のルールを知らない綾乃にとっては、同じ方向にばかり走るのが不思議に感じたのだ。
「そっかぁ。そうだよな、そこからだよな。」
理解できた忠弘は、そこから試合を見ながら基礎的なルールを教えてくれた。攻撃と守備を交互に行って、点を取りあう。投げて打って走って取ってを繰り返すスポーツであり、一試合は九回戦行うことも初めて知った。初めて知る野球のルールに驚くとともに、自分のために一生懸命説明してくれる熱心な忠弘の姿に見惚れてしまった。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
野球を知らない人がいきなり球場で見ると、
ルールがわからずいろいろな疑問が出るのでしょうね。
次回もどうぞお楽しみに。
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