序 章 令和関東大震災② 暗がりの中で
ぐっと痛みを堪えていると、身体の防衛反応なのだろうか、次第に痛みに慣れてくるようになった。額に脂汗がにじむのがわかったが、忠弘は不安そうに自分を見上げる少女を見てにっこりと笑って見せた。
「足は大丈夫かい?」
その問いかけに、少女は小さくうなずいた。
「よし。心配するな、近くにおじさんの仲間達がいるから、すぐに助けてやるからな。」
「・・・はい。」
小さな声だったが、確かに少女は声を発してくれた。さっきは声も出せなかったことを考えると、少しは落ち着いてきたのだろう。
「いい子だ。おじさんは消防士の大澤忠弘って言うんだが。お嬢ちゃん、君の名前を教えてもらってもいいかな。」
「奈津美。諸橋奈津美(もろはしなつみ)です。」
「奈津美ちゃんだな。よし、それじゃ、一緒に出られるまで頑張ろうな。」
奈津美が頷くのを見て、忠弘は大きく深呼吸をした。声を出して救助を求めたいが、踏ん張っているため、大きな声が出せない。家財は相変わらず重くのしかかり、左足の激痛もそのままだ。かばったついでにライトを手放したため、落ちた反動でスイッチが切れたらしい。漆黒の闇の中、二人の息遣いだけが周囲に広がっていた。
忠弘は気を紛らわせるために奈津美に声をかけた。奈津美は小学3年生の一人っ子で、両親は共働きでまだ帰ってきていないようだ。無事かどうか今確かめることはできない。元気付けながら話をしていくと、どうやらここには奈津美しかいなかったようだ。
それからも幾度となく余震が二人を襲った。その度に激痛が走ったが、忠弘は歯を食いしばって耐え続けた。
不幸中の幸いだったのは、余震でわずかに家財が動き、なんとか怪我をした左足を抜くことができたことだ。これでクラッシュ症候群は免れそうだ。
古民家とははす向かいだ。いなくなった自分を仲間達が探し出すまでそんなに長い時間はかからないはずだ。ただ、先ほどの揺れで、誰も古民家の下敷きになっていなければの話だが。
「おじさん。大丈夫?」
忠弘のすぐ下で奈津美の不安そうな声が聞こえた。体勢的には、四つん這いになった忠弘の下に奈津美が仰向けに寝ている状況だ。しかし、陽が沈んだおかげで目が慣れてきても、奈津美が自分の下にかろうじていることがわかる程度の明るさでしかなかった。
「大丈夫、必ず助けるよ。お父さんもお母さんも心配しているだろうから、早くここから出て会いに行こうね。」
とは言っても、支えている両腕ももう限界に近い。それに、次第に意識も朦朧としてきた。左足の状態が見れないからわからないが、骨折だけでなく出血もしているのかもしれない。だとしたら、貧血を起こして気を失う可能性もある。そうなれば奈津美ともども家財の下敷きだ。忠弘は深く呼吸し、体内に酸素が行き渡るように心がけた。まさしく全集中の呼吸というものだ。
『こちら荒森。小隊長、取れますか? どうぞ。』
無線機から荒森の呼びかけが聞こえたが、どうやらタンスを支えた時に身体から外れてしまったらしい。足元で何度も呼びかけを聞くことになった。奈津美に手が届くかお願いしてみたが、どうやら届かないようだ。
事態は最悪だ。自分の無事を知らせる手段が今のところ見当たらなかった。どうすればこの最悪な状況を打破することができるか、忠弘は目を閉じて思考を巡らせた。
「おじさん・・・。」
その時、奈津美の声が聞こえたような気がした。その瞬間、一気に気が遠くなっていく。心地よさすら感じるように意識が途切れていくのを感じた。
「ま、まだまだっ!」
忠弘は唇を嚙み締めて痛みで意識を保った。支える両腕に力を入れ直し、しっかりと身体の姿勢を保った。
「・・・長!」
その時になって、ようやく仲間達の声が聞こえてきた気がした。
「奈津美ちゃん。声は出せるか?」
そう声をかけたが、暗闇と狭さの恐怖なのか、奈津美は大きな声を出すことができなかった。忠弘は手探りで何かないか探すように指示した。すると、先ほど落としたライトを拾うことができたようだ。
「よし。大丈夫、奈津美ちゃん、明かりを付けられるかい?」
そう言って、ライトを点灯するように促した。そして、無事に明かりが付くと、ボタンを二度推すように指示した。そうすることで、ライトは一定のリズムで点滅を繰り返すようになる。不安そうな奈津美の表情が暗闇と明かりとの中を交互した。点滅の中浮かび上がる奈津美は今にも泣き出しそうだ。
点滅は『・・・ ――― ・・・』のリズムを繰り返す。そう、モールス信号で言うところの『SOS』だった。
「小隊長! 大澤小隊長!! いたら返事をしてください!!」
すぐ近くで声がしている。あれは狩谷の声だ。耳をすませば、その近くに荒森達もいるようだった。しかし、この明かりに気が付いていないということは、角度が悪いか、見える位置にいないかのどちらかだ。
「助けて!」
奈津美が頑張って声を出すが、恐怖で震えているのか大きな声が出ない。点滅の明かりの中、奈津美が涙を流しているのがわかる。
「ご、ごめんなさ、い。怖くて、声が・・・。」
しゃくりあげるように泣き出す奈津美を見て、忠弘はもう一度にっこりとほほ笑んだ。
「奈津美ちゃん。奈津美ちゃん。おじさんを見てごらん。大丈夫、泣かなくていい。君はよくやってくれている。大丈夫だ。必ず助ける。今から言うことをよく聞いて。」
努めて明るく、何でもない様子を装って声をかけた。今にも押しつぶされてしまうかもしれない恐怖の中、それでも懸命に声を出そうとしている奈津美は強い子だ。忠弘は、この子を助けたいという気持ちを一層強くした。
「どうやらライトの明かりが外のみんなには見えていないようなんだ。」
それを聞いた瞬間、さらに奈津美の表情が曇った。
「心配しなくていい。プランBがあるんだ。」
そう言って、忠弘は周囲を見渡した。点滅の明かりの中、金属製の棚があるのに気が付いた。どうやら雑誌やテレビのリモコンを置くのに使っていたらしい。忠弘は顎でそれを指示した。
「その棚をライトで叩くんだ。壊れちゃって構わないから、2回、5回、2回。一度、深呼吸したら、もう一度、2回、5回、2回と叩くんだ。君ならできる! 思い切っていこう!」
奈津美は涙を拭って、そして鼻をすすった。その時には、さっきよりもやる気に満ちた顔付きになっていた。
「よし。君は強い子だ。君ならできる。さぁ!」
忠弘に促され、奈津美はライトを棚に打ち付けた。2回、5回、2回。深呼吸をしてもう一度。それを何度も繰り返した。
続く。。。
読んでいただいてありがとうございます!
2回5回2回の意味とは何でしょう。
奈津美を助けるべく、忠弘は必死に頑張りますが、
時間と共に体力は奪われていきます。
次回もどうぞお楽しみに。