第一章 声を失った少女⑬ 台本のない物語
それからしばらく時間が過ぎた。メモパッドのおかげで周囲とコミュニケーションが取れるようになったからか、志穂以外にも友達を連れてくることも多くなった。忠弘の杞憂は最初だけだったようだ。子供はきっかけがあれば勝手に仲良くなっていくものだ。自分もそうだったことを思いだしたが、なんだかそう思うと歳を取った気分になってしまった。
それからほどなくして、鎌倉学院高校の秋の名物・文化祭の日が訪れた。部室の雨漏りやら部員のケガやら病気やらで、ろくに練習もできなかった忠弘と杏奈が最終的にした決断は思い切ったものだった。
文化祭まで1週間を切った先週のある日、台本の台詞すら頭に入っていない部員たちを見て、杏奈がため息をついた。
「これじゃ間に合わないよ。」
忠弘は腕を組んで、久しぶりに集まった全部員を見回した。鎌倉学院演劇部員は全部で十名、三年生一人に二年生五人、一年生が四人。音響や照明に最低でも三、四人必要なことを考えると、舞台に立つのはせいぜい多くても六人。
演劇の時間は60分。これは公式大会での時間になる。60分といっても、その分の台本をすべて覚え、動きを身に着けるには途方もない時間が必要になる。とりあえず3か月以上前に文化祭で使う台本は決まり、読み合わせも行ってきた。しかし、何と言っても動きを合わせた通し稽古が圧倒的にできていない。これが大会だったら60秒以上前後するだけで失格になってしまう。
ただ、幸い今日は大会ではなく文化祭での発表だ。多少の前後はペナルティになることはない。忠弘はこの数日間ずっと考えてきた奇策を申し出た。
「杏奈。」
「なに?」
「どうせこのままじゃ、グダグダな演劇にしかならないと思うんだ。」
「わかってる。」
「だったらさ。いっそのこと、思い切りグダグダにしてみないか?」
そう言って笑った忠弘の表情は、杏奈が知る限り何かよからぬことを考えている時の生温い微笑みだったのだ。
文化祭は土日の2日間に渡って行われる。演劇部は普段は全体朝礼などに使われる大ホールを利用して、午前、午後に一回ずつ。合計四回公演する予定になっている。初日一回目の公演まであと15分に迫った舞台裏、袖口から客席を除くと、大体6,7割の入りになっていた。例年の入りは半分もいかないから、今回は集まったほうだろう。
「ほんとに大丈夫かしら。前代未聞よ?」
「ま、何とかするしかないねぇ。」
スーツ姿の忠弘はそう言ってほほ笑んだ。客席の前側中央に、綾乃と福原夫妻の姿が見えたので、忠弘は顔だけ出して手を振った。綾乃が気が付き手を振り返してくれる。顔の前に持ってきたメモパッドには、
『がんばって!』
と書かれていた。ガッツポーズで返事をすると、舞台裏に戻って部員たちで円陣を組んだ。杏奈が部長として声をかける。
「いよいよ本番です。今までにない新しい試みだけど、もうはっちゃけてやるしかないんで、みんなよろしく!」
「「はい!」」
「最前列でタイムキーパーが時間を表示するから、それを参考にしてみんなでまとめていきましょう。大会じゃないから、多少の前後は気にしなくていいからね。」
「「はい!」」
杏奈が全員に声をかけ、右手を差し出した。鎌倉学院演劇部伝統の、講演前の掛け声だ。
「鎌学いくぞ!」
「「冷静、謙虚、度胸! 鎌学演劇部ファイト!!」」
掛け声を合図とするように、構内に放送がかかった。
『ご来場の皆様。本日は、鎌倉学院高校演劇部公演にお越しいただき、誠にありがとうございます。今回の公演タイトルは「台本のない物語 ~二度と出会えない人々~」でございます。公演時間は約60分を予定しております。どうぞ、最後までごゆっくりとお楽しみください。』
放送が終わると、音響室でスタンバイしていた音響係が、開演のブザーを鳴らしてどん帳を上げるスイッチを入れた。同時にタイムキーパーがストップウォッチをスタートさせ、照明係が舞台中央にスポットを合わせた。
制服のままの杏奈がそのスポットライトの中に立ち、ゆっくりと顔を上げた。
「一期一会。そう、人生はその繰り返しで組み立てられていく。今日の物語も同じ、台本のない物語、二度と出会えない人々との不思議な時間を、私と一緒に過ごしてください。」
舞台袖から見る杏奈は、いつになく堂々と演技を始めていた。忠弘はこの舞台袖から見る杏奈の姿が大好きだった。飛び切りの美少女でもあるが、舞台に立った時はプロ顔負けの女優っぷりを発揮する。これまでも、シリアスな役、おふざけの役、杏奈はなんだって演じてきた。
杏奈に向かって、最初の一人が歩み寄っていった。忠弘はいつ出ようかタイミングをうかがっていた。なんせ、今日の舞台には決まりがない。そう、『台本のない物語』というのは、なにもタイトルを意味しているだけではない。今日の舞台には本当に台本がないのだ。オールアドリブで演劇を成立させようという無茶苦茶な作戦だった。
あの日に忠弘が提案したのは、練習不足のまま台本を推し進めて醜態をさらすくらいだったら、演者が舞台で自ら考え、自由に演技を行うフリーストーリーをやろうというものだった。荒唐無稽な話だったが、うろ覚えのセリフを噛んだり、動きが止まる不自然さやリスクを考えたら、そのほうがかえって自然に演じれるかもしれないと考えたのだ。
試しに10分程度の練習をやってみたが、案外いけそうな感触はあった。顧問の南塚もOKを出したので、今回は思い切って採用したのだ。公式大会は台本を事前に提出しなければいけないのでそうはいかないが、文化祭のような自主公演は自由にできる。
一番ノリノリだったのは裏方の連中だ。なんせ台本が無いもんだから自由に演出ができる。突然、照明が点滅し、雷の音と雨音が流れた。舞台に出ている杏奈たちが、何事かと顔を見合わせていた。出るならここだ。
「すみませーん!! どなたかいらっしゃいますか??」
忠弘は舞台袖から飛び出すと、杏奈たちに声をかけた。
「はい。どちら様でしょうか?」
「警視庁特命係の杉上左京と申します。捜査で来ていたのですが、あいにく突然の雨に降られてしまいまして、よろしければ、しばらく雨宿りさせていただけないかと。」
「け、警視庁??」
今日のためにスーツを着込んできたのは、人気刑事ドラマのオマージュをするためだ。このキャラクターはクセが強いため、どちらかというと演技しやすい。元ネタがわかるのだろう、会場内でクスクスと笑い声が起きた。こうやってそれぞれが考えて、役者と演出を個人個人が考える舞台は進んでいくのだった。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
\(^o^)/
台本のない演劇というのは、
作者が高校時代演劇部に所属していた時、
先輩が提案して実際にやった事でした。
私は終了20分前になぜか刺されてしまい、
演技終了までずっと舞台袖で倒れていたという思い出があります。
演劇は一発勝負です。
ドラマにはない難しさと楽しみがあります。
機会があればぜひ演劇をみてほしいです!
さて、次回は講演の後の様子です。
綾乃が初めての文化祭を満喫します。
次回もどうぞお楽しみに。