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第一章 声を失った少女⑨ 夏の大三角に

 忠弘は綾乃を福原生花店へ送り届けて、香織たちに簡単に今日の出来事を伝えると家路に着くことにした。とりあえず、鎌倉の街を案内し、友達第一号もできた。初日としては上々の出来と言えよう。


「あとは、何とか声を取り戻さなきゃ。だな。」


 自宅に着いた忠弘は、自室の窓から星空を眺めながらそう考えた。今夜は雲が少ない。夏の大三角の輝きがよくわかった。なんとなくその輝きが、自分の話を聞いてくれるような気がした。


(どうか、綾乃ちゃんが笑顔になれますように。)


 忠弘は星々に願いを込めて祈った。そうすることで、自分自身の心の中に、必ずなんとかするという決意を強めるのだった。



 翌日の忠弘は明らかに落ち着きがなかった。授業で差されても簡単な問題を誤答して叱られ、体育のバスケでは連発してシュートを外して、クラスメートからは非難轟々だった。


「忠弘!」


 突然、背中をどんと押された。振り返ると、ポニーテールをぴょこんとさせた杏奈が呆れた顔をしてこちらを見ていた。


「具合でも悪いの? 調子悪いじゃん。」

「ああ。大丈夫、元気だよ。」

「それならいいけど。今日は部活も早く終わるし、帰りにどっか寄ってく?」


 部室の修理が終わるまでは空き教室での稽古になっていたが、今日は必要な道具を運び込むだけで部活は終わる予定だ。なんでも、顧問教師の南塚が出張だとかで月曜日の部活が明日にずれ込んだのだ。いつもなら、杏奈の提案に乗って小町通りに遊びに繰り出したかもしれないが、今日の忠弘は、綾乃の転校初日がどうなったかで頭がいっぱいでそれどころではなかった。


「悪い杏奈、今日はやめとくよ。金曜日の部活後に付き合うからさ、今日は勘弁してくれ。」

「う、うん。」


 ちょっと残念そうに杏奈は頷いた。忠弘の様子がいつもと違うことが気になったが、本人が大丈夫と言うのを踏み込んで聞き出すのは違うような気がした。今は彼女として見守ってあげるのが正解だと判断し、


「なんかあったら相談しなよ。」


 もう一度背中を叩きとりあえずそれだけ言うと、忠弘は杏奈の心配を察したのか、


「おう。ありがとな!」


 心配させないように満面の笑みで答えたのだった。綾乃のことはけっこうシビアな問題だ。杏奈と言えども、軽々しく話す段階ではないような気がしていたのだ。



 早々に部活を終えると、忠弘は自宅にも寄らずに福原生花店へ向かった。店先では、香織が店頭に出してある墓参り客用の供花を整えていたところだった。


「香織さん!」

「あら、忠弘君。今日はお休みじゃなかったっけ?」

「綾乃ちゃんは?」


 息を切らせ問いかけてくる忠弘の姿を見て、香織はくすくすと笑いながら、


「まだ帰ってきてないわよ。さっそく学校でお友達でもできたんじゃないかしら。」


 そう答えてくれた。時計を見ると15時を回ったところだ。部室から空き教室に演劇の資材を運び、早々に出てきたからこの時間だ。部活がある時は学校を出るのが18時近くになってしまう。ちなみに小学校が終わるのは14時半くらいのはずだ。


 ここから鎌倉南小学校までは数百mしかない。忠弘だったら数分、綾乃の足でも10分もあれば十分に帰って来られる距離だ。この時間でも帰ってきていないということは、きっと校庭で遊んでいるのだろう。子供達の健全な発育促進との方針で、終業時間後1時間は校庭が解放される。きっと、志穂と一緒に鉄棒の練習でもしているのかもしれない。


「私達より忠弘君の方がよっぽど心配してるみたいね。いいお兄ちゃんだわ。」

「だって、心配だったんだよ。」


 香織に言われて、自分の顔が赤くなってきたことに気が付いた。持ち前の面倒見の良さか、それとも、綾乃の境遇に同情したからなのか自分でもわからなかったが、昨日出会ったばかりの綾乃のことが心配で心配でしょうがなかった。兄はいても下に弟や妹はいない。それだから余計に心配なのかもしれなかった。


 忠弘は間が持たず、バイトでもないのに店の中の掃除などを手伝いながら綾乃の帰りを待った。そして、16時近くになって綾乃と志穂が戻ってきたのを確認し、ようやく胸を撫で下ろした。


「おかえり! 遅かったね。学校で遊んできたの?」


 忠弘が聞くと、綾乃は小さくうなずいた。


「志穂ちゃん。一緒に付き添ってくれてありがとね。」

「いえ。家の方向も一緒で、しかも同じクラスだったんです!」


 志穂はそう言って微笑んだ。志穂の家は小町通りから住宅地に入ったすぐの場所らしい。生花店からはほんの5.6分の距離だ。同じ小学校だったからご近所だとは思ったが、思っていたよりも近かったので良かった。


「そりゃよかった。」

「でも・・・。」


 笑顔だった志穂は、少し表情を落として言葉を濁した。綾乃は何か思い出したのか、唇の端をキュッと結んでうつむいてしまった。


「なにか、あったの?」


 忠弘はしゃがみこんで二人に問いかけた。何から話そうか悩んでいたようだったが、やがて志穂が順を追って話してくれた。担任の先生から綾乃が被災し、その時に声が出せなくなってしまったことの説明はあったそうだが、一部の男子生徒が口の聞けない綾乃をからかったのだという。


 その時に、志穂が間に入ってかばったため、男子生徒と口ゲンカになってしまったそうだ。自分のためにケンカが始まってしまったことがいたたまれなくなったのか、綾乃は志穂の袖をつかんで早々に下校したのだという。学校を出て近所の公園で鉄棒などをしながら遊んで帰ってきたそうだ。


「ごめんなさい。私、うまく綾乃ちゃんをかばう言葉が出てこなくって。」


 そう言う志穂の頭を、忠弘は優しくなでてやった。


「謝る必要なんてないよ。ありがとう、綾乃ちゃんのこと守ってくれたんだね。」

「う、うん。だって、綾乃ちゃんはお友達だから!」


 そう答えた志穂の笑顔に綾乃も嬉しそうだった。昨日学校に行っておいてよかった。志穂に出会えたことは、これからの綾乃にとって大きなプラスになるだろう。



 その日、家に連絡を入れてから、志穂はしばらく綾乃の部屋で遊んで帰宅した。綾乃が声を出せないことをからかわれたのは、忠弘の中では想定内だったが、それでもそのまま放っておくことはできないと考えていた。忠弘は自宅に戻ると、久しく開いていなかったノートPCを開いた。父親が高校進学の時に買ってくれたものだが、今は携帯電話でほとんど間に合うので、携帯画面では見づらい情報を見る時くらいにしか使っていなかった。


 早速、失語症について調べることにした。綾乃は震災以降に声が出なくなったという。ということは、忠弘にも心因性のものであるということは予想ができた。ただ、その声をどう取り戻すかヒントがほしかった。


「綾乃ちゃんの場合は、失語症じゃなくて失声症と言うのか。」


 忠弘が調べる限り、『失語症』は精神的なことが原因になることはなく、脳卒中や事故などで脳に障害を負うことで、その損傷によって起こるものらしい。特に年配者に多いようだ。綾乃の場合はこれには当てはまらず、心因性の『失声症』というものらしい。その名の通りで、心に大きなストレスを受けることで、声を出すことができなくなってしまう病気のようだ。治療法はそのストレスを軽減したり、時間の経過を待つなど、具体的に特効が期待できる方法はないらしい。


 また、心理的にストレスを抱えるため、酷いときには過呼吸になることもあるという。声帯に異常がないのであれば、心療内科などが専門科になるようだ。


 言わずもがななことだが、綾乃の心因的ストレスは震災によって両親を一度に失ったことにある。それだけではない。地震の揺れだって、忠弘のいる関東地域とは比べ物にならないような大きな揺れだったはずだ。そして、被災して、自分と同じように家族を失った子たちが施設に預けられても、必要な物資も乏しく、生まれ育った街は津波で壊滅し、幼い綾乃の心には『絶望』の黒い渦が覆っていたに違いない。福原夫妻に引き取られたのは幸運だったのかもしれないが、生まれ故郷を離れて単身鎌倉に出てきたことも、綾乃にとっては負担になっているのかもしれない。


 声が出せないことで、今日みたいにからかわれることもストレスの原因にはなるのだろう。であるならば、なんとか綾乃の声を取り戻すのが最優先だと考えた。忠弘はPCを閉じると、改めて何とかしたいと言う決意をするのだった。



続く。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


転校初日はトラブルもありましたが、

志穂ちゃんのサポートもあってまずまずうまくいったようですね。


綾乃が声を取り戻すための戦いは続きます。


また、引き続き読んでやるぞ!

頑張れよ! と応援いただける際は、

ぜひ、いいねとブックマークと高評価での応援をよろしくお願いいたします。


次回もどうぞお楽しみに!

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