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第一章 声を失った少女⑧ 初めてのお友達

 すっかり食べ終えると、忠弘は綾乃の通うことになっている鎌倉市立南小学校へ出向いた。


「ここが綾乃ちゃんが通う小学校だよ。中に入ってみようか。」


 忠弘は綾乃の手を取って校庭へ誘った。校庭では忠弘も所属していた鎌倉南ファイターズが練習を行っていた。ブルーを基調とした縦じまのユニフォームは、ニューヨークメッツをイメージしたものらしい。


「広い校庭だろ? 南小の校庭は、鎌倉市内の小学校でも一番広いらしいんだ。だから運動会なんかはけっこう盛大にやるんだよ。」


 忠弘は綾乃を連れて小学校内の施設を案内して回った。もっとも、校舎内には入れないため、外から見て回る程度だったが。綾乃が入る四年生の学年教室の位置や、保健室や職員室の位置、昇降口などを説明していると、その一つ一つを覚えるように綾乃は頷いた。


 校舎から校庭を挟んだ反対側には遊具が設置してある。忠弘が卒業してから5年ほどだが、なんだか見慣れない遊具も増えたようだ。地元で育った和元が言うには、彼が小学生のころはもっと遊具があったらしい。しかし、時代の流れと共に老朽化した遊具は撤去されたり、また、使える遊具でも危険だと判断された物は無くなっていった。例えば、箱ブランコや地球儀(地域によってはジャングルボールとも)、最近ではジャングルジムや高鉄棒なんかも、子供に遊ばせるには危ないと言われて無くなっていっているらしい。


「あ、懐かしいな。」


 最近ではあまり見かけなくなった砂場の高鉄棒だ。忠弘はジャンプして鉄棒を掴むと、何回か懸垂してみた。十回もやったところで、


「ふー! もう無理!!」


 そう言って手を放すと砂場に腰を下ろした。すぐ後ろに欅の木があるおかげで、ここら辺は日陰になっている。風が吹くと汗ばんだ頬に心地よかった。なんとなく右肘が傷んだためにさすった。どうやら野球肘はまだ治っていないらしい。いや、主治医の話ではもうボールは握ってもいいくらいに回復はしたと言われているが、あの日、肘に走った激痛の恐怖は、今でも忠弘の心に深い傷を負わせてしまっている。


「やっぱり身体が鈍ってるな。昔は二十回くらいなんてことなかったのに。」


 野球をやめてからも筋トレやランニングは続けているが、本格的な運動をしているわけではないので、毎日鍛えに鍛えぬいていた中学時代に比べるとやはり体力は落ちているようだ。綾乃が隣に腰かけたので、二人は言葉もなく風に吹かれながら練習風景を眺めていた。綾乃を見ると、無表情ではあったが同年代の子供たちが白球を追いかけるのをじっと見つめていた。


「福原のおじさんは野球が大好きだからさ。綾乃ちゃんも機会があったら野球のルールを覚えておくといいよ。おれでよければ教えるからさ。」


 顔色は変えなかったが、綾乃は小さくうなずいてくれた。


「すみませーん!!」


 その時、校庭から男の子が声をかけてきた。見れば砂場までボールが転がってきていた。律儀に帽子を取り、忠弘が取ってくれるのを待っているようだ。


「よし。」


 いらずらっぽく微笑むと、手を挙げて合図をしたのち、転がってきたボールを拾い上げた。久し振りに握った軟式のボールは、なんだかとても懐かしい感触がした。


「キャッチャー!!」


 忠弘の大声に、キャッチャーだけでなく、選手やコーチ全員が振り返って動きを止めた。それを確認すると、砂場を出て足元を確かめると、振りかぶってキャッチャー目掛けて腕を振りぬいた。ボールは忠弘の手を離れると、低空でわずかな弧を描き、そのままノーバウンドでキャッチャーミットに吸い込まれた。キャッチャーの男の子は、何があったのかわからないまま、その衝撃に思わず腰をついていた。


 校庭にに沈黙が広がった一瞬の間ののちに、


「すげー!」

「あの兄ちゃん誰??」


 と、子供たちの感嘆の声が上がった。帽子を取って待っていた男の子が振り返ると、


「あ、ありがとうございました!」


 そういって深々と頭を下げると、たった今見た大遠投に驚いた顔をしたまま戻っていった。忠弘は満足そうにそれを見送ると、少しだけ痛み始めた右肘をさすりながら振り返った。


「昔野球やってたんだ。けっこうすごいでしょ?」


 そう言ったが、綾乃はきょとんとしている。まぁ、野球に興味がなければ何がすごいかわからないことだ。そう思って苦笑いしていると、視界の隅に、鉄棒で逆上がりの練習をしている女の子がいることに気が付いた。


「鉄棒やっている子がいるね。行ってみよう。」


 そう言って綾乃の手を引っ張った。


「お友達になれるかもしれないよ?」


 そういう忠弘の笑顔に、綾乃は少し困惑してしまった。


「こんにちは。」


 忠弘が声をかけると、女の子は少し驚いた顔をしていたが、


「こんにちは。」


 すぐに挨拶を返してくれた。


「逆上がりの練習?」

「うん。今度、体育で鉄棒があるんだけど、私まだ逆上がりができないんだ。」


 そう言って、女の子は鉄棒を握ると逆上がりを試みたが、地面と水平の位置くらいまで足が上がると、そのまま重力に従って足を下ろしてしまった。


「綾乃ちゃん。逆上がりできる?」


 忠弘が聞くと、綾乃は小さくうなずき、躊躇いなく鉄棒を握ると器用にくるんと一回転した。後で知るのだが、綾乃は主要教科の成績に加えて体育も得意だったのだ。そのまま何度か連続逆上がりをしてみせる。


「おう。うまいじゃないか。」

「いいなぁ、私もできるようになりたい。」


 そういう女の子に目線を合わせると、


「じゃあ、一緒に練習しようか。」


 そう言ってみた。忠弘の言葉に女の子の表情が明るくなり、


「いいの?」


 というのでうなずいてあげた。女の子は佐倉志穂(さくらしほ)といい、綾乃と同じ小学校四年生だった。志穂は何度か逆上がりをやってみたが、やはり地面と水平の位置まで来てしまうと、それ以上身体は上がらず失敗に終わってしまう。


 その間、綾乃は器用に鉄棒でくるくる回っていた。意外な才能に驚いたが、綾乃を横目に志穂はうつむいてしまっていた。


「いいなぁ。私も、せめて逆上がりができるようになりたい・・・。」


 そんな志穂の声が聞こえた。忠弘は志穂の純粋な思いに微笑むと、


「よし、もう一回やってみようか。」


 そう言って、志穂に逆上がりをするように促した。筋力が弱かったり、蹴り上げる力が足りないのかと思ったが、志穂の動きを見ていると、どうやらそうでもないようだ。蹴り上げたときの力強さはしっかりしていた。


「志穂ちゃん。50メートル走って何秒?」

「え? 一番良かった時は8秒9くらいです。」

「おー、速いんだね。」


 小学校四年生女子の全国平均は10秒を切るくらいだったはずだ。そう考えると志穂の足は速い方だし、基礎体力、基礎筋力はあると判断できた。そこで忠弘は鉄棒の前に志穂を立たせてみた。ちょうど鳩尾のあたりに鉄棒が位置していた。逆上がりの鉄棒の位置としては、その人の胸元からお腹くらいの間と聞いたことがある。綾乃は志穂と同じくらいの身長だったが、同じ高さの鉄棒で器用にクルクル回っていた。


「志穂ちゃん。鉄棒の高さ、一段下げてみようか。」


 忠弘は隣の鉄棒を指差した。志穂の身長からだと、おへその上くらいか。


「低すぎませんか?」

「まぁまぁ。ちょっとやってみようよ。」


 訝しそうな顔をする志穂に笑って見せると、忠弘は隣の鉄棒へ促した。


「できなさそうだったら補助してあげるからさ。地面を蹴る時に、前じゃなく上に飛び上がるようなイメージを持ってやってみてごらん?」


 半信半疑、といった顔つきのまま、志穂は一段低い鉄棒に手をかけた。そして、空に飛び上がるようなイメージを持って地面を蹴り上げると、次に気が付いた時には、鉄棒に腕を突っ張ったまま真っすぐに前を向いて足をブラブラさせていた。逆上がりができたのだ。しかも空中逆上がりだ。


「でき、た?」


 きょとんと不思議そうに地面に降りた志穂の頭を、忠弘はくしゃくしゃと撫でてやった。


「やった! できたじゃん!!」


 綾乃も嬉しそうに手を叩いていた。


「でも、どうして? 今まであんなにできなかったのに。」

「多分だけど、鉄棒の位置が高かったんだと思うよ? そのせいでうまく腹筋が使えなくて身体が持ち上がんなかったんじゃないかな。一段低くしたことで、お腹が棒に近くなったから、しっかり腹筋を使って回れたんだと思う。」


 そこまで忠弘が説明すると、志穂は満面の笑みを浮かべて、何度も逆上がりを繰り返した。この高さでコツがつかめれば、他の高さでもできるようになるだろう。


「ありがとうお兄さん!」

「はは、よかったね。」


 すっかり日も暮れてきた帰り際、志穂にお礼を言われたので忠弘も嬉しくなった。何事も初めてできた時の感動は大きなものだろう。これが大人になるにつれて少なくなっていく。今は一杯いろいろなことを学んで感動する機会を持ってほしい。それが子供の特権でもあるのだ。


「志穂ちゃん。一つお願いがあるんだけど。」


 そう言って、綾乃の背中に手を置いて彼女を紹介した。もしかしたら、綾乃の友人一号になってくれればと思い聞いてみることにした。


「綾乃ちゃんは明日からここに通うことになってるんだけど、いろいろあって今は声が出せないんだ。よかったら志穂ちゃんがお友達になってやってくれないかな?」


 忠弘の申し出に、志穂は二つ返事で頷いてくれた。


「うん。綾乃ちゃん、よろしくね!」


 志穂がそう言うと、綾乃は照れ臭そうに頷いた。それは綾乃が見せた初めてのはにかんだ表情だ。満面の笑みとまではいかなかったが、閉じられた心の扉は少しずつ開き始めているのを感じた。


「今度、鉄棒教えてね。綾乃ちゃん上手だからすごいな。」


 明日からの小学校も、明るい志穂が友達になってくれれば心強かった。声が出せない今の綾乃では、正直学校へ行っても大丈夫かどうか心配だったのだ。でも、今日一日遊んでみて、綾乃は思ったよりも表情が出る子だったし、志穂が綾乃の状況を察して優しく接してくれていたのを見れたので、とりあえずは安心だろう。忠弘は一つの達成に胸を撫で下ろすのだった。


続く。

読んでいただいてありがとうございます。

\(^o^)/


元野球部の忠弘、

いい返球でしたがやはり右肘はまだ・・・。


綾乃は初めてのお友達ができましたね。

これが後のち綾乃にとって大事な出会いとなっていきます。


次回もどうぞお楽しみに。

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