序 章 令和関東大震災① 発生の時
いよいよ物語の始まりです。
序盤からいきなり地震の話が出てきます。苦手な方はご注意くださいね。
前半はシビアな展開ですが、次第に恋愛要素が入っていきますので、どうぞ最後までお付き合いください。
2029年1月某日16時16分。それは前触れもなくやってきた。一瞬だけ小さな揺れを感じた東京都の1000万市民は、直後、突き上げるような大きな揺れに見舞われた。後に『令和関東大震災』と命名される首都圏直下型地震である。千葉県東方沖を震源としたM8.5の大地震は、最大震度7、東京23区でも震度7と6強を計測し、間もなく終業時間を迎えようとしていた都心部の会社員や、そこで暮らす家族を襲ったのだ。
東京消防庁第10方面本部板橋北消防署。首都高速5号線と環状八号線の交差するエリアに設置されたこの消防署は、板橋区の北部一帯を管轄とする大型消防署だ。この地域は古い団地や住宅地が多く、また交通量も多いため、高齢者の対応や事故や失火など、常にどこかへ出動要請がかかるほど忙しい消防署だった。
板橋北消防署警防課に所属する第一小隊長・消防司令補の大澤忠弘(おおさわただひろ)は、出動要請を受けて都営三田線志村駅周辺の住宅地へ出動していた。古い家屋やビルが倒壊し、閉じ込められた人々の救助へ向かったのだ。
だが救助活動は緒戦から苦戦を強いられることになる。大通りから住宅地に入る道路はどれも幅が狭く、また、崩れた塀などの瓦礫によって消防車両が入れなかったのだ。忠弘は仕方なく、資機材を持って徒歩で移動するように命じた。
忠弘の小隊は、小隊長である忠弘をはじめ、ベテランの大和士長、中堅の荒森副士長、紅一点の佐倉副士長と、若手筆頭の狩谷消防士の五名編成である。
「よし、資機材を持って住宅地へ移動。多くは被災後に避難所へ移動しているが、逃げ遅れた人も多いと聞く。手分けして残留者を探し出し、速やかに救助に当たる。」
「「はい!!」」
部下達の頼もしい返事にうなずくと、忠弘は用意された資機材を抱えて住宅地へ移動を開始した。怪我をしないように瓦礫を乗り越え、周囲に要救助者がいないかどうか、声をかけながら注意して進んでいった。ここら辺一帯は古い家屋も多い、かろうじて倒壊は免れたが、明らかに傾いている家や、耐え切れずに倒壊した雑居ビル、これから復興し、元に戻すことを考えたら途方もなく膨大な時間と費用が掛かることは想像に難くなかった。
「誰かいませんか!? 声が出せなければ音を出してください!」
声をかけながら住宅地に入っていくと、傾いた古民家から音が聞こえたような気がした。すでに陽はほとんど沈み、周囲は暗くなってきていた。暗くなるとそれだけで捜索は困難を極めていく。
そして、もうひとつ問題なのは1月と言う季節だ。停電で暖房器具が使えないために夜は都心と言えど氷点下近くまで寒くなる。救助が遅れれば、凍死する危険もあるのだ。
先導して大和が古民家の中をうかがい、持っていたライトを当てた。業務用のライトのため、普通のライトよりも照度が高く、建物の中が鮮明に映し出された。大和が目を凝らしてよく見てみると、どうやらそれはキッチンのようだ。そして、ダイニングテーブルの下にうずくまるように、不安な表情の老婆を見付けた。
「要救助者発見!」
その声を聞いて、忠弘達は敷地内へ入り、大和の下へ駆け寄った。忠弘は建物の状態を確認し、現状でのこれ以上の倒壊の危険がなさそうであると判断すると、
「よし、速やかに救助に当たれ。」
そう指示を出した。荒森と大和が中に入り、狩谷と佐倉はバックアップできるように慣れた手付きで担架を組み立てると、二人が出てくるのを待ち構えた。
「ん?」
その時、忠弘はどこからか声がしたような気がして振り返った。救助に当たっているうちに、うっすら明るかった西の空もすっかり陽は沈み、停電のためもあって、周囲はさっきよりももっと暗くなっていた。
『だれか、助けて・・・。』
明らかに救いを求める声が、忠弘の耳に届いてきた。
「佐倉副士長。ちょっとあたりを見てくるぞ。」
「え? ちょ、小隊長。」
不幸中の幸いなのは、まだ今夜は晴れていたことであろう。月明かりとライトを頼りに、忠弘は古民家のはす向かいの家の門を開けた。だが、地震で歪んだしまったのか、門はきしむ音を立てたかと思うと同時に、金具が外れて地面に倒れた。
「やれやれ。」
壊してしまったが、建物も崩れかかっているので仕方ないだろう。申し訳ないと思いながらため息を吐き、家屋へ目をやって、ライトで中を照らしてうかがった。
「誰かいますか?」
返事はなかったが、家の中から人の気配を感じ取ることができた。震災や火災現場などでは、恐怖のあまりに自分の意に反して声が出なくなってしまうことも少なくない。
「声が出せなかったら、何か音を立ててください。」
そう声をかけると、しばらくして『カツン、カツン。』と、何かを叩く音が聞こえた。忠弘は先ほどの古民家を振り返ったが、四人とも老婆の救出で手一杯のようだった。
その時、余震であろうか、再び強めの揺れが一帯を襲った。家屋がきしむ音を立て、横揺れに全体を揺らした。その瞬間、確かに家屋の中から小さな悲鳴が聞こえた。声の感じからしてまだ子供のようだった。忠弘が再びライトを照らし、窓から中をうかがうと、居間の中で少女が倒れているのを発見した。
本来であれば、単独行動は厳禁である。二重災害を防ぐためにも、応援を呼んでから救助に当たるのが鉄則だが、目の前の少女は自分で身動きできない様子だった。一瞬の逡巡の後、忠弘はライトの柄で窓を割ると、鍵を開けて中に入った。
「大丈夫ですか? すぐに助けますからね。」
少女に駆け寄り、その身を起こした。どうやら崩れた家財に足を挟まれて身動きができなかったようだ。忠弘の声に少女は顔を上げると、安心したようにうなずいた。
「ちょっと待っててね。」
忠弘はそう言って、少女の足に乗っかっていた家財に手を突っ込むと、それを持ち上げようと力を入れた。かなり重かったが持ち上がらない重さではない。足さえ抜けてしまえば救助は可能だ。
そう判断した時、再び強い揺れが襲った。さっきの余震など比にならないくらいだ。とっさに女の子の足を引き抜くと、彼女を抱えて外に出ようとした。が、しかし、持ち上げたせいでバランスを崩したのか、先ほどの家財が崩れ、ついでに隣にあったタンスまで倒れてきた。このままでは下敷きになると思い、忠弘は両手を床に付き、少女に覆いかぶさるようにしてかばった。踏ん張った瞬間、背中に家財が崩れてきて重くのしかかったが、忠弘の両手がしっかり床を捉えたおかげで支えることができた。
「ううっ!!」
しかし、運悪く倒れてきたタンスが忠弘の左足を押しつぶし、ちぎれるのではないかと思うほどの圧力を感じると、しばらくは持ちこたえたが、やがてトウモロコシを無理矢理折った様な嫌な音を立てて激痛が走った。骨が砕けたのだ。忠弘は少女が怯えない様に血が出るほどに唇を噛み、声が出ないように我慢するのであった。
続く。。。
倒壊に巻き込まれた忠弘と奈津美。果たして二人の存在を外の仲間達に伝えることはできるのでしょうか。
忠弘の限界への戦いは続きます。
次回もどうぞお楽しみに。