【第6話】失われた尊厳、勝利
「あひゃッwアキャキャキャキャwwひゃやめっやめろ!うひゃっw!ひゃぁあっ!」
脇下をくすぐられてリクリーシュは笑い悶える。
人形のように可愛らしいお顔が台無しだ。
鼻水を垂らし涎をまき散らしながら必死に暴れるが逃がしはしない。
くすぐる手のひらから彼女の体重移動を感じ取り、逃げようとする方向に抑える力を先回りさせてやれば容易に抑え込むことができた。
「こ、殺w殺してひゃッwや、やるからなッ!wひゃぎゃぎゃははは!ウヒッ!」
しかしこの子の着ている純白の洋服の生地の肌触りは凄いな。
ふっわふわで透き通るような手触りだ。
なんて余計なことを考えていると「やめろッ!」とメガネのメイドに頭を叩かれた。
ダメージはなかった。この程度の殴打なら蚊に刺された方が効く。
「ひゃwひゃwひぇああああへへへwぎゃはははあはひゃきゃハァーw!」
「お嬢様を放せ!」
「変態が…、死ね」
「離してください!」
「無礼ですよ!」
メイドたちが僕の周りに集まってばかすか遠慮なく殴って蹴ってきた。
リクリーシュを巻き込みケガをさせないためか、魔法の類を使わず単純な力技だけで僕を引き離そうとする。
でもやっぱり全然ダメージはなかった。
ガンガンと剣の峰でも叩かれるが平気である。
いくら殴り蹴っても平然とした顔でいる僕にメイドたちは怪訝な顔を向けてきた。
「こいつ…、まさかずっと無敵なのか!?」
その通りだ。
くすぐっている間も僕の無敵状態は続く。
これが僕のスキル【くすぐり】の真価。
〝スキル【くすぐり】くすぐることができる"それは言葉通りなのである。
あらゆる干渉を無視して対象指定した相手までたどり着き【くすぐる】ことができるのがこのスキルの本質なのだ。
今の僕はあらゆる攻撃もあらゆる障害も乗り越えることができる。
そしてくすぐり終えるまで何人たりとも僕のくすぐりを邪魔をすることはできない。
歪に対人に特化したスキル。
「エッひゃwエリーw!たw助けひゃはァ!助けてw!ぎゃはひゃひゃはやw!」
メイドたちではどうすることもできないと判断したのかリクリーシュはエリーゼに手を伸ばして助けを乞いた。
調子のいい奴だ。
あれだけのことをやっておいて今さら頼ろうとするのか。
見捨ててもいいのに心優しいエリーゼはリクリーシュに手を差し伸べた。
「リクリーシュ!参ったよ!参ったと言うのよ!きっとアルトさんはそれを待っているわ!」
さすがは察しのいい子だ。よく言ってくれた。
エリーゼの言った通り僕は「参った」の一言を待っていた。
リクリーシュから持ち出されたふざけたゲームに勝利するために。
それさえ言って降参してくれればすぐにでもくすぐるのをやめてあげれる。
逆に言えばそれを言うまでこの地獄は続く。
言え。言うんだ、参ったと。
負けを認めてくれ。
「いwイヤだひゃはは!こんなッ!バカにっにひひひッ!負ひぇるだなんてッへw!」
どうやら降参する気はまだないようだ。
なんて強情な奴だ。くすぐりレベルを一つ上げてみよう。
「やめろ!お嬢様が壊れてしまったらどうするッ!」
むしろこのサディスティックな性格、一度破壊して作り直した方が世の為ではないか?
王子とはいえ氷結の剣で人の四肢を斬り落として拷問しようだなんて真っ当ではないだろ。
王家を信じて懸命に働き税を納める国民の皆様方に顔向けできるのか?
と、いう意思を目でメガネのメイドに伝えた。
「違う…!お嬢様はエリーゼ様の前ではそういうのがイケてると思って!カッコいいと憧れ信じて演じておられるだけなのだ…!拷問も口だけ!!思春期なのだ!察しろ!そもそも我らが拷問など汚いマネをお嬢様にやらせるか!」
「いひッ!い、言うなァひゃひゃww!ああああひゃひゃはやっw!」
なんだそれ。
つまり彼女のこれまでの行為が全部演技だったとでも言うのか?
学校でのエリーゼへの執拗な嫌がらせも、容赦ない鞭打ちも、僕への冗談で済まない攻撃も。
思春期の女の子の暴走だったからと、許せと言うのか!?
ふざけるなよ。
他人を傷つけることに本気も冗談もないだろ。
「うッ…」
僕の目で言う正論に圧倒されてメガネのメイドは言葉を失った。
「…お嬢様、参ったと言ってください。そしてエリーゼ様へもこれまでのことを謝罪し、素直な気持ちを伝えましょう」
メガネのメイドはしおらしく言った。
「いwやwだはひゃwひゃッ!」
それにリクリーシュは嫌と答えた。
「わひゃっwわひゃひは!おwこいつみひゃいwなゴミにw!負wけないひひゃあはw!」
なんて負けず嫌いなんだ。
ここまでくると敵ながら天晴という他ない。いい根性をしておられる。
「あッw!やっぱひ待っひぇwひゃはw!やめッw!まッwまいっひw!まいッひゃ!」
ん?なんて?笑いながら話されてもよく聞き取れない。
「やっwやひゃw!」
ブリッ…!
ブリブヘッブリュリュリュビュリュブッブリブリリュリュブッホブリブリュ。
時間が止まった。
その場にいた全員が絶句した。
僕の手も止まった。
「あ゛…、あ゛あ゛…!ゥッ…、だ、だからァひぃぃ…。や、やめ、やめてって…ゥゥッ…」
先ほどまでの強気は消えうせ、弱々しくリクリーシュはぽろぽろ涙を流し始めた。
なんてことだ。
まさか大きい方を漏らしてしまうとは。
「ゥッ…、ま…ま…、参ったって、言ったのに…。参ったって…、あ゛~…」
肩を震わせて堪えれぬ屈辱に嗚咽を吐く。
さすがのことに僕も手を離して解放してあげた。
聞き取りにくかったが「参った」とは言ったっぽいし。
「リクリーシュ…」
エリーゼが仰向けになったまま泣きじゃくるリクリーシュの元に寄り添い屈んだ。
「掴まって」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ…!」
母親のように優しい手付きでリクリーシュの身体を起き上がらせていった。
リクリーシュはエリーゼの手と肩に掴まり小鹿のように足を震わせながら立ち上がった。
中腰で。
「参っだっで…ゥゥ…、参っだっで…、言っだ、の゛に゛ィ…」
「よしよし、もう大丈夫よ」
「う゛う゛う゛う゛ゥッ…、あ゛あ゛あ゛ッ…!」
よしよしと赤子の頭を撫でるようになだめるエリーゼ。
漏らしたこと気にしてないよとでも言いたげに彼女はリクリーシュの身を自分に寄せた。
エリーゼの身長が高めなのに対しリクリーシュは小さめの小柄。
中腰のままエリーゼの胸にリクリーシュは顔を埋める形になった。
漏らしていることを忘れてしまえば、実に美しい騎士と姫のツーショットである。
絵になる二人だ。
「アルトさん…」
エリーゼがこちらを向いた。
その顔は悲しげである。
「わかってます。アルトさんが私のために怒ってくれたの」
「あ゛う゛う゛う゛う゛…!」
「でも、これはやりすぎだったと思います」
ありがとうございました、ごめんなさい。
その二言を残してエリーゼは抱き付くリクリーシュの背中に手を回し、震える少女の身体を支えながら馬車へ乗り込んで行った。
リクリーシュとメイドたちが乗ってきたあの馬車にだ。
「総員!即帰宅するぞ!至急極秘にお嬢様を湯浴びさせるのだ!」
言葉を失っていたメガネのメイドも我に返り命令を出した。
指示に従いメイドたちが馬車へ向かっていく。
「死ねゲス…」眼帯メイドがすれ違い様に貶めてきた。
反論はできなかった。
「お嬢様は本当は」二人のそっくりな顔をした双子のメイドは、
「優しいのですよ」二つで一つの言葉を残して両脇をすれ違っていった。
デカいメイドはすれ違い様にただ頭をペコリと下げて行った。
そして残った最後のメイドは真っ赤な顔をしてそこに立っていた。
メガネのメイドである。殺意に満ちた目をしている。無理もない。
「お前を殺す!!」
うっ、僕は身構えた。
「と!言いたい所だが約束は約束…。お嬢様が決めたゲームのルールを我らが遵守しないわけにはいかない。お嬢様が参ったと言ったのだから約束通り今日のことは全て不問にしてやる…ッ!」
悔しいのかギリギリと苦悶の表情を浮かべながら口の端から血を流していた。
きっとホントは僕のことを血祭りにしたい所なのだろう。
でも彼女が襲ってきたら襲ってきたで僕はスキル【くすぐり】を発動させる。
こちらもくすぐることしかできないが、あちらも僕を傷つけることはできない。
不毛な泥沼になるのは目に見えていた。
それも案じてメガネのメイドは僕を見逃す判断をしたのかもしれない。
リクリーシュへの心のケアと僕の底の見えない【くすぐり】への苦戦を天秤にかけて、前者を優先することを決めたのだ。
「〝今日この場では何もなかった"ということにする。いいな!もし誰かに血迷った妄想話をしてみろ。その時は必ず貴様の腹を裂き!ギロチン送りにしてやるからなアルト・ゼナパート!!」
恐ろしいことを言う。
しないしない。話せないし、話す友達もいない。
そもそも王子を漏らさせたなんて話、仮に誰かに話しても誰も信じたりしない。
これ以上王族に喧嘩を売るようなこともしたくはない。
今日この場では何もなかった。それでいい。
僕は頭を縦に振った。
「出会わず、何もなかった。それを肝に銘じ…、すべて忘れろ。いいな…!」
僕は再び頭を縦に振った。
その動作を確認してメガネのメイドも馬車へ乗り込んで行った。
すぐに馬車は動き出す。
僕だけが取り残されて、馬車は行ってしまった。
もう影も形も見えない。
美女の集団は行ってしまった。
ちょっぴり心の隅で騎士職のエリーゼが仲間になってくれるのを期待してたんだけどな。
行く所のない庶民生活を知らない令嬢騎士と新生活を始める冒険者。
結構いいコンビになれていたかもしれない。
そして誰もいなくなった郊外の橋の上で、独りになった僕は思う。
そもそもエリーゼとリクリーシュは仲が悪いように見せて最初から互いに想い合っていたんじゃないかなと。
王子と騎士、生まれた瞬間から主従関係にあった二人。
立場の差に「友達になって」の一言すら言うことのできなかった二人は、互いに嫌われ拒み合うことでそれ以上の関係になろうとしていたのかもしれない。
ただの主と従者よりも、濃厚にいがみ合える仲になることを選んで。
逢瀬だったのだ。今回の件も、きっとあの子らにとっては。
リクリーシュを慰めるエリーゼの表情を見て僕はそう感じた。
まあ全部ただの妄想なんだけどね。
きっと二度と会うことはないだろう。僕と彼女らではあまりにも住んでいる世界が違う。
あの二人が今後どういう間柄になろうが下級国民でしかない僕の知る所ではない。
でも、嫌われてしまったがいい子だったエリーゼにはどうか幸せになってもらいたいな。
秋の訪れを告げるような少し冷たい風が吹く。
さあ帰るか。やることはたくさんある。
僕はまだ知らなかった。
───そう遠くない未来、彼女らと再び出会い、否応なく国の命運を懸けた大きな政戦の中に巻き込まれていくことになることを。