29 初日からきつ過ぎ
「――ふぅ、しんどい」
まだ一限が始まったばかりだというのに、自分でもこんなに勉強が嫌いだったかと疑うほど、もう精神的に気怠さを感じていた――。
『……カリカリ……カリカリ……ガリガリガリガリ』
なんだか後ろの席から奇妙な物音が聞こえはじめる……紗綾河の奴が授業中にもかかわらず何かを始めたようだ。
「――何やってんだよ、紗綾河……、授業中だぞ………………」
ヒソヒソ声で、俺は紗綾河に注意を促す。
「知ってる」
「またそれかよ、いい加減にしろよ……」
「授業どころじゃないのよ……今のあたしの頭の中は選考会の事でいっぱいなの」
「……気持ちはわかるけど、先生に見つかったらヤバいぞ! 試験前なんだしさ」
「大丈夫、あたしは成績超優秀だから」
「そういう問題か?」
「少なくともあたしは優ちゃんみたいにテストが不安なんてことは絶対ないから、勉強面に関しては問題ないわよ」
「悪かったね……どうせ俺は成績優秀じゃないですよ」
「わかってるんならよそ見してないで、授業ちゃんと聴いてなさい」
「………………はいはい」
わかってはいた事だが紗綾河はなんというか……、こういう奴だった事を思い出す。すぐに周囲が見えなくなるというか……、猪突猛進というか……、何かひとつの事に集中すると周囲のことなどおかまいなしなのだ。
授業をちゃんと聴いていろとの御達しだが、それを言う紗綾河の発する奇怪な音の所為で俺の集中力はひどく掻き乱された。しかもこれが放課後の授業終了まで続いたものだから、こちらとしてはたまったものではなかった――――――。
――キーンキコーンー、カーンカコーン――キーンキコーンー、カーンカコーン。
今日もやっと能美坂学園独特のチャイムが鳴り響く。その鐘の音は、紗綾河の所為でいつにも増してしんどかった退屈な一日の授業の終わりを告げた――――――。
「やっとおわった……紗綾河? 授業終ったぞ」
「わかってる、あたしも今おわったところ」
「今終わった……? そういえば授業中ずっとカリカリカリカリと何かしてたな? 何やってたんだよ?」
「演出の事やパフォーマンスの構成を考えていたのよ」
「紗綾河が? そういうのは小倉先輩に任せておけばいいんじゃないのか?」
「だからあたし達はダメなのよ! 何もかも小倉先輩にまかせっきりじゃ成長できないわ!!」
「でも俺たちまだまだ素人なんだぜ、構成とか演出っていったって………………」
「だ、か、ら、これから小倉先輩に確認してもらうのよ! それで急いで仕上げたんじゃない!!」
「そうイライラすんなよ……」
「イライラなんかしてないわよッ! そんな事よりも、いそいで支度しなさいな! 放課後は第三小体育室だからね、遅れないでちゃんと来るのよ!!」
「わかってるッての……ほんとにもぅ………………」
やはり紗綾河も気持ちは同じようだ。そりゃあそうだ、朝の練習で構成も演出も何も決まらないままで授業に集中なんて出来るはずもなかった。そういう点では俺たちの絆は意外と深いところでつながっていると信じたい――。
紗綾河に急かされてしまったが、そんな事は関係なく、俺は誰よりも先に部室へと向かい、着替えを済ませ、第三小体育室に向かう心づもりだった。そして、どういうわけか、今の俺は何をしたいわけでもなく、ただただ身体を動かしたくて仕方がなかった――――――。
「――あれ? みなさん早いですね!? 急いできたのに……」
「優ちゃん、遅いわよ!」
「いや、そんな事はないはずなんだが……」
「いやいや、伊野平くん。今日はたまたまみんなが早く着いただけだ! 気にする事はないぞ! では、早速練習を始めよう!!」
「はい! それで放課後は何をするんです?」
「うむ! 放課後はルーティーンをひたすら繰り返す苦行である!!」
「とりあえず振りを覚えろと?」
「まぁ、大体は出来ているのだがね……、まだ五人で合わせたことはないから、まずは呼吸を合わせる事からはじめよう!」
「振りって小倉先輩が全部作ったんですか?」
「まだ完全ではないが……、とりあえず確定している部分だけを今日は覚えてもらう!」
「了解しました」
「うむ、ではまず僕がやってみるからマネしながらついてきてくれたまえ!」
その指示に従い俺たちは、鏡の前の小倉先輩を先頭にすえて見よう見まねで後につづく――。
全体的には結構きついが流れを掴めば、何とかいけそうだった。これを確実にものにすれば、選考会でもそこそこいいところまではいけそうな気がする。
「――ふぅ、通してやると結構きつそうですね」
「まだまだこんなものではないぞ! 部分部分でまだまだみんな詰めが甘い! まぁ踊り込んでいないから仕方がないが、いずれは全員で完璧に合わせられるように頼むぞ!!」
「了解しました!!」
「うむ! ワンモアだ!! 繰り返しいくぞッ!!」
このワンモアからが地獄の始まりだった……単純に数回繰り返す単純な作業かと思われたのだが、これがまたいつまでたっても終わらない――。
ひたすら、延々とルーティーンを五人全員で繰り返させられる苦行をなんだかんだで放課後の練習時間終了まで続けさせられた――。
「………………ちょ、小倉先輩……初日からきつ過ぎですよ……」
「……うむ、だがしかし……今日の所だけでも……早いところ……覚えてもらわないと……、こまるのでね………………」
俺も先輩も息を切らせながら、たどたどしく言葉を交わす――。
「ふぅ……、とりあえず今日やったところは根幹となるところだから選考会までに完璧にマスターするように!!」
「これに加えてさらに法術の演出も混ぜるんですよね……」
「その通りだ! 伊野平くん!!」
「たった三週間でこれだけのことを……思っていたよりもホントに時間がないですよ…………」
「うむ! 僕らに遊んでいる時間はないぞ! 心してかかるように!! では、とりあえず今日はいったん解散である!!」
初日からとにかくハードだった。でも、何かを本気でやるという事はきっとこういう事なんだろうと思う。
チンタラチンタラやっていて何か事を大成させることなんて出来るわけがない。本気でやるという事は、ただひたすらに汗をかくということ……人生に近道がないように、事を成し遂げることにも、きっと近道はない。俺は選考会まではどんなにきつくても、ひたすらに汗をかき続けることに決めた――――――。




