無神論者と神様
手を二回叩いて、古びた本殿に向かって深々と頭を下げる。
「甲子園に行けますよーに」
財布から5円玉を取り出して賽銭箱に投げ入れる。
踵を返して帰ろうとしたら、巫女装束の美人が鋭い切れ長の瞳でじっと見つめてくる。
先っぽが黒いキツネ耳をこれ見よがしに動かしているので、どうせこの神社の神様とかそんな感じだろう。
「どうもー」
適当に会釈しながら挨拶し、すれ違おうとしたが、
「久々の参拝客じゃなあ」
立ち塞がられてしまった。
開け広げた目と、きつく縛った唇はどこか怒っている様子だ。
「えーっと、僕なんかやっちゃいましたか?」
「やったも何も……お主の願い、私を愚弄しておるのか? 『甲子園に行けますよーに』お主はそう言ったな。そのような事を願って、私にどうして欲しいのだ?」
「いや、あまり深く考えてなかったです」
「私はお主が甲子園に行けるように、対戦相手のチームの調子を最低にすればいいのか? ああ?」
「いえ、滅相もございません」
「ならば何故私に願うような真似をした? お主は具体的に何を願った? 申してみよ」
……すごく嫌な怒り方をする神様だなあ。
「この神社もランニングの休憩に寄っただけですし、甲子園に行きたいってのも別に願った訳じゃなくて、自分の気持ちに整理を付ける為に言っただけです。そもそも僕は無神論者なので神様とか信じてませんし」
「無神論者……ククク……この姿を見ても無神論者のままでいられるかな?」
神様の姿が渦のように歪んだと思ったら、そこには一匹のキツネがいた。
「可愛いですね。撫でていいですか?」
「よかろう。耳の後ろを撫でよ」
キツネが人の言葉を喋るのはちょっと怖かったが、可愛いのは可愛いのでベンチで膝の上に乗せてやった。
うーん。モフモフだ。
「私は神様だからよいが、野生のキツネは寄生虫がいたりするから安易に撫でるでないぞ」
「はーい」
「……しかし私の正体を知っても驚かぬな」
「アニメとか結構見たりするんで、そういうのには慣れてます」
「まあよい。何にせよお主は今後一切、無神論者を名乗る資格を失った訳だ。……結構結構」
「いえ、今も無神論者ですけど」
「なんじゃと!?」
「――あいたっ! 噛まないでくださいよ!」
「どういう事じゃ! 申してみよ!」
「いや、別にそういう超自然的な事はあるかも知れないけど……どうせ僕の人生には何ら影響はないっていうか、そういう意味で無神論者ですね」
キツネは耳を少し垂れて寂しそうに俯いてしまった。
「確かに、私には大した力は無い。精々キツネや人に化ける程度だ」
「やっぱりそんな感じなんですか」
「そうじゃ。神とは名ばかり。死病に蝕まれる子の親に頭を下げられても、飢饉に苦しむ民草にかがり火を焚かれても、私には何も出来なかった。ただ、祈る事しか……」
「へぇ。神様が祈るんですか。変な話ですね」
「お主、いよいよ不敬極まりないのお……」
「あっ、もう噛まないでくださいって。……でも、神様が何も出来ないって事は無いと思いますよ。祈ってはいる訳ですからね」
「…………」
「祈る対象があるだけで救われる事もあるでしょうし。それに神様が自分の為に祈ってくれているって考えたら、気が楽になるかも知れません」
「……うむ。ならばこの私がお主の為に祈ってやろう。精々頑張って甲子園に行くがよい」
「はい。頑張ります」
◇
「今日はありがとうございました。毛並みすごく良かったです」
「フン。神の毛並みじゃ。当然であろう」
「それでは。また来ますね」
「次は賽銭をもう少し弾んでくれんかのお。本殿の雨漏りが酷くてな」
「考えときます」
風が木々を揺らす音だけが、鬱蒼とした境内に響いていた。
この空間は、本当に神秘的だ。それこそ、無神論者の僕が神様を信じそうになる程。
参道をゆっくり歩いて鳥居を抜けていく。
振り返ってみても、キツネの姿は何処にも無かった。
そして僕は再び走り出した。




