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幸せはどこにある?

作者: 小坂真智子

親に捨てられ、施設から里子に出され

悲しみと辛さの中で育った真智子の物語

★第一章 和夫と達子


昭和30年4月

山口県の小さな村で、小坂和夫・達子の長女として真智子は生まれた

真智子の上には3人の兄がいた

戦後の復興も中々進まない貧しい村だったが

和夫は炭鉱で働き、達子も炭鉱の賄いをしながら

貧しくとも家族の小さな幸せはあった


和夫と達子の出会いは戦中、織物工場で働いていた達子を

和夫が見染め、何度も達子宅に出向き結婚の許しを願い出ていた


達子の実家は中規模の農家で

家には使用人が8人、お手伝いさんが2人という

当時としては裕福な家庭の長女だった

当時の村では珍しい女学校を卒業していた

だが、戦争が達子の人生を変えてしまったのだ


女は戦地に行けないのだから、内地で協力しろと達しがでて

達子も織物工場で働くよう強制され、生活は一変する

そんな達子を怪我をし実家に帰ってきてた和夫が見染めてしまったのだ

諸葛孔明のごとく何度も達子の実家に通い結婚の許しを得た


達子の実家では家族会議が何度も行われた

貧しい家の和夫には嫁にはやれないと断り続けたが

和夫の熱心さから「貧しくとも幸せになれるだろう」と達子の父母は結婚を承諾した


和夫は結婚を機に、給金のいい炭鉱で働くと決め

炭鉱町に引っ越した。。結果、実家から見えない場所に二人は移った

3人の息子を生み、和夫も真面目に働き、沢山の炭鉱仲間とも仲が良く

昔のように贅沢はできなくても、小さな幸せはあった

子育てに忙しく、夜中に帰ってくる和夫のこともあまり気にすることもなく

炭鉱仲間と飲んでいるんだろう。ぐらいに思っていた

が、、、このころから和夫は変貌していくことになる。


第二章 真智子誕生


昭和30年4月 小坂家の長女として真智子は生まれた

和夫は産婆を呼びに行き連れてきたが

手に負えないので病院へ行くように言われ

バイクに達子を乗せて病院に駆け込んだ

産声を上げずに仮死状態で生まれてきた娘を

助けてほしいと心から願い、産声を聞いた時は男泣きした

家族6人、裕福ではなかったが女の子の誕生を誰より喜んだのは和夫だった

2年後には妹、純子が生まれ家族は7人になった

真智子は頭がよく活発な女の子だった


達子が純子を身ごもったころから和夫は酒浸りになっていく

給料をほとんど酒と女に使うので喧嘩が絶えない

頭のいい達子には口で負けるので暴力をふるうようになる

毎晩、酒に酔って帰ってきては達子を踏みつけて起こし

殴るようになっていく

まだ赤ん坊の純子は兄3人が守るよう一緒に寝かせ

真智子を連れていつでも逃げられるよう服を着たまま寝る毎日だった

ある夜中、達子はいつものように逃げてきたが気づいたら線路にいた

殴られる痛みに耐えきれなくなっていた達子は死にたいと思うようになっていた

真智子をおぶって飛び込もうとした時、「お母ちゃんおうちに帰らないの?」

背中で真智子が言った言葉にふと、我にかえった

まだ3歳になったばかりなのにはっきりした言葉だった

辛くても耐えなければ。いつかは以前のようによい夫に戻るかもしれない

淡い期待も虚しく砕け散っていった

いつものように酒に酔って帰ってきた和夫は逃げようとした達子を捕まえ

殴っていたが隙を見て逃げ出した達子を、和夫は包丁を持って追いかけた

殺されると必死で逃げた達子はそのまま帰ってこなかった


和夫は達子を探すため子供たちを施設に預けた

半年後、達子は実家に戻った。和夫と離婚するためだった

和夫は達子の実家で額をこすりつけ涙を流して謝ったが

達子の意思は変わらなかった

男3人を和夫が女2人を達子が引き取り離婚するときまり、和夫も了承した

施設から子供を引き取り達子に渡すという日時まで決められていた

和夫の酒乱は達子に対する劣等感から生まれたものだった

和夫は心の中で叫んだ

このまま許しはしない。死ぬまで苦しめてやる。

娘2人を渡し、離婚届に署名する約束の日

和夫は山口県から逃げた

子供5人と当時浮気していたキリという女と一緒に朝一番の汽車に乗った

行先は関東のある炭鉱町だった

達子は胸騒ぎを感じ不安な思いで和夫を待ったが

娘を連れて現れることは無かった

全てを失った達子も山口県から出て行った


★第三章 里子になる

関東の炭鉱町で真智子は5歳になった

ほどなくして、子供たちは置き去りにされた

和夫がキリと共に夜逃げしたのだ

山口から茨城の炭鉱に来るときに支度金をもらっていたのだ

子供の数も支度金の上乗せになっていた

そのお金がほしくて真智子と淳子を達子に渡すことができなかった

お金を手にしたら子供たちを捨てた

1か月ぐらいは子供たち5人で生活してたが、近所の人や和夫の勤め先の人たちが

警察に届け出て5人は児童相談所に入った

真智子は6歳になっていた

おむつの取れない純子の面倒を見ながら施設で育っていた


ある日施設の職員に連れられ部屋に行くと

男の人と女の人が部屋にいた

「こんにちは。真智子ちゃんですね。おねえさんと遊びに行きましょう」

そう誘われ施設に来てから初めて外に出た真智子

路面電車に初めて乗った、おいしい食事も食べられた

嬉しさでにこにこ笑顔の絶えない外出だった

施設は白米ではなく麦と半々のごはんしか食べていなかったのだ

そんなお姉さんとの外出が半年の間に3回あった

真智子はおいしいものが食べられるので来てくれることに期待もしてた

4回目に来た時におねえさんが

「真智子ちゃんおねえさんのうちで暮らさない?」

「どういうこと?」

「おねえさんちの子供になるのよ。お母さんとお父さんも真智子ちゃんが来るのを待ってるの」

おいしいものが食べられるし、おねえさんとおにいさんはやさしい人だし

どうしようかな?なんて返事しよう・・・

真智子は返事を躊躇った

施設の職員たちは真智子の荷造りを始めていた

返事をしないまま、兄や妹に別れを告げることもできず

関東の最北に向かう汽車に乗っていた

私はどうなるんだろう・・・もう純子にも会えない。誰が純子の世話をしてくれるんだろう・・・

親に捨てられてよその家に貰われていくんだと思ったら

悲しく、一言も話すことができなくなっていた


駅に着きタクシーで家に向かった

家はタクシーを降りて細い道を30分ぐらい歩いた山の頂上にあった

ここでの6年の暮らしは想像を絶するぐらい過酷な日々だった


★第四章 辛い毎日を耐える

貰われた家は観光地でおみやげ物や食事などを提供するお店だった

お父さんは60歳、お母さんは56歳、お姉さんとお兄さんは婚約中で近々結婚するとのこと

お父さんが言った「名前を変えるんだよ。これからは「矢田たえ」だからね

ちゃんと占ってもらった名前だから今日からたえって呼ぶよ

もらいっ子は名前が変わるんだ・・・なんか自分じゃない気がして返事ができない

「わかった?」父が言った「はい」小さく返事した


7歳になっていたたえ(真智子)は小学校に10か月遅れで入学した

学校までは3kmぐらいあり、山道を降りて行くとバスやタクシーが止まる

大きなおみやげ物屋さんがあり、そこに7人ぐらい集まって学校に行くことになった

朝はお店の準備をしてから学校へ行くことが決められた

帰ってきたらお店を手伝うことも決められた

日曜日は1日手伝う事も決められた


冬は極寒でしもやけとあかぎれがすごく、両足の踵は

3cmぐらいの真っ赤な割れが何か所もでき、痛くて歩けないほどだった

そこに黒い粘着性の薬の付いた紙をはりなんとか歩くことができた

冬は水が凍って出ない

家の水道は裏の坂道を降りた所に井戸がありそこからモーターで汲み上げ

蛇口から出るようになっていた

下の井戸まで水を何回も汲みに行く

小学生のたえには辛いことだったが一生懸命汲んでは運んだ

お風呂は薪で沸かす五右衛門風呂、風呂焚きもたえの仕事だった

春と秋は観光客がどっと押し寄せてお店は大忙し

日曜日は学生が3人ぐらいアルバイトにきていた

友達と遊ぶこともなく

7歳からずーと家の手伝いをした

8歳になった時結婚式を挙げたお姉さんとお兄さんに子供ができて

子守もたえの仕事になった

でもお店の手伝いより子守の方が楽だった

おんぶしてねんねこ着てると暖かくて子守が好きだった

小四ぐらいになると「このままお手伝いで終わるのかなぁ」と

思うようになっていき

ほんとのお母さんに会いたいと夜中に泣くようになっていた

我儘や言う事を聞かないとお姉さんにほうきで殴られることもあった

真夏に「頭が痛くて手伝いできない」と言うと

水道の蛇口の下に頭を押し入れ、水を出し

「なまけてるんじゃないよ。こうすればいいんだろ」と大声で言いながら頭を押さえつけた

とてもヒステリックな人だった

寂しくて、寂しくて、辛い日々だった

家出を3回した

夜中に真っ暗な夜道をどこまでも歩いた。大型のトラックが何台も通り

怖くなって家に戻るの繰り返し

3度目の家出の後で心に決めた。

小学校を卒業するまで頑張ろう


学校は楽しかった。友達もいっぱいできたし

半年遅れで入学したけど元々頭が良い子で、すぐみんなに追い付き

小学校を卒業するまでずっと上位だった

里子で苛められることもなく

事情を知ってる皆は守ってくれた

2回目の家出の時は友達の家に泊めてもらった

暖かい布団でぐっすり眠ることができた

朝ご飯を食べながら涙が止まらなかった

「辛かったらいつでもおいで、おばさんたちはわかってるから」

おばさんが言ってくれた

たえは声をあげて泣いた


★第五章 決行

小学校の卒業式

卒業式開始までクラスの皆と椅子取りゲームしたりして楽しんだ

心の中で皆さん今までありがとうと言った

卒業式が終わってから家に帰った

「中学校の準備をしないとね」お姉さんが言った

卒業のお祝いにスカートを作ってくれた

今までも何着か洋服を作ってもらった

洋裁ができる人だった

夏休みの自由課題でエプロンを作ったことがあるけど

お姉さんが教えてくれて作れたことを思い出した

私が覚悟の家出を決行しようとしてるなんて思ってもいない

育ててもらった恩を思い出し迷う

作ってもらったスカートを穿き、セーターを着て

リュックに入るだけ着替えを入れて

夜が明けるのを待ち、家を出た

目的場所は昔お世話になった児童相談所

学校がすぐそばにあると覚えていた

電車に乗り、目的の駅で降りる

外の案内所に行き「学校がそばにある児童相談所はどこですか?」と聞く

「ああ、それならここの坂をまっすぐ進み5個目の信号を右に曲がればありますよ」

「ありがとうございます」頭を下げお礼を言い

まっすぐ前を向き進んだ

たえではない。私は真智子なんだ

自分を取り戻すんだ

これから先のことはまた考えればいい

強く生きていくんだと自分に言い聞かせた


★ その後

児童相談所での生活が半年になった

学校は行っていないが中学1年生になっているはず 

「これからどうしたい」児童相談所の先生が聞いた

「母親を見つけてほしい。母と暮らしたい」泣きながらお願いした

それから5か月、

母親が見つかったと知らせがあり

8年ぶりに母の腕に抱かれた

母と二人で生きていくことを決めた真智子

幸せはきっとある 心の中で思った


       終わり                 







書きたいことはいっぱいありましたが文章にすると難しいです

12歳までの記録ですが、言葉にできない辛さがいっぱいあります

12歳の自分の決断が正しかったと思ってます


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