新たな未来 [クララの視点]
あれから、もうすぐ一ヶ月になる。
この国にとっては、悪夢のような一夜だった。それでも、夜が明けてみれば、明るい光が差していた。
正式な宣戦布告をすることなく、テロという卑劣な手で、他国の王族暗殺を企てたこと。
それは世界中から激しく非難され、経済制裁の対象となった。
北方は早々に、出張っていた軍を辺境から引いた。
最高幹部であったシャザードを失った軍は内部分裂し、抑圧されていた人民が各地で反乱を起こした。新聞では、そう伝えていた。
北方は今や内政の危機に瀕し、外へ討って出るような余裕はなかった。
まるで、坂道を石が転がるように、破滅への道をたどっていった。
その間に、王宮には様々な変化があったと思う。
テロの翌日には、殿下と王女様の婚約が正式に発表された。
その事実はすぐに各国に公示され、大国二国の同盟締結の慶事は、世界中を駆け巡っていった。
後日、辺境から戻った国王陛下の名で、結婚式の日程が公布された。
招待状は、北方に組しなかった国々の王室や皇室に送られたという。
これにより、王女様は我が国の王族の一員として、積極的に政治活動に携わることになった。
特に世界平和維持活動には熱心で、ありとあらゆる機会を利用して、世論に訴えていた。
そのため、主席秘書のヘザーには、膨大な仕事が舞い込んだ。私はその補佐をするために、頼み込まれて部下として王宮にとどまった。
カイルも、円卓の騎士として、政務に復帰していた。
テロや北方遠征の残務処理や、犠牲になった騎士や兵士の家族への慰問など、あちこちを飛び回る殿下と行動を共にしていて、多忙を極めている。
王宮で何度か、カイルの姿を見かけたけれど、あれ以来、話す機会もない。
「ごめんね、クララ。カイルに会いに行く暇もないでしょう。でも、助かるわ」
書類の束の影から、ヘザーが顔を出して言った。
疲れては見えるけれど、ヘザーは充実した生活に満足しているようだ。
彼女は昔からキャリア志向だったので、こういうのが性に合っているんだろう。
「ヘザーこそ、ローランドとゆっくり会う暇もないじゃない。入籍までしちゃったくせに」
貴族は結婚式準備のため、婚約期間は最低でも一年は必要だ。
それが長いか短いかは、個人的な意見だと思うけれど、最近は、結婚式前に籍を入れる傾向がある。
籍を入れておけば、その間にどちらかが亡くなってしまっても、遺産を相続できる。子どもが生まれた場合には、嫡出子扱いにできる。
ローランドの籍に入ったということは、つまり、立場上ヘザーはすでに公爵家の人間。
彼女は、ローランドの正式な妻なのだ。
「あー、あれは、うん、まあ、ローランドが、籍に入ってたほうが、色々と面倒がなくて済むって言うから」
はい、はい。知ってますよ。
殿下留守中の執務室を預かっているローランドと、打ち合わせと称しては、二人きりでときどきどっかに消えてますよね。
職場恋愛を、バッチリ謳歌してますもんね。
「そうねえ。キス以上のことをするなら、やっぱり籍は入ってたほうがいいものねえ」
秘書室に私たちしかいないのをいいことに、私はヘザーをからかった。
男勝りのヘザーにしては、あのセリフは結構いけてたと思う。そりゃ、ローランドも落ちるだろう。
「な、何言ってんのよ!あんただって、カイルと同居してたじゃない。当然、そういう関係だったんでしょ?」
顔を真っ赤にしたヘザーが、早速反撃してきた。
やばい。やぶ蛇だったかもしれない。
「い、一線は越えてないよ?」
「は?一緒のベッドに寝てて?」
寝てない!いや、寝たか?……寝たな。
テロの前夜、一晩だけ、私はカイルと一緒に過ごした。でも、最後まではしてくれなかった。
う、落ち込んだ。
「私たちの婚約は、王女様のご命令だったし、やっぱりそういうことは、愛し合う者同士でって思ったのかも」
「あんた、カイルのこと愛してるって言ったじゃない。あれ、嘘なの?」
「嘘じゃないよ。私はカイルが好きだよ!でもカイルの気持ちは、分からないもの」
私がそう言うと、ヘザーはふうっと大きくため息をついた。
あ、まずい。説教くるかな?
「あんた、学園時代のカイル覚えてる?あのカイルが!私の目の前で!あんたに!キスしたのよ。どう考えても、あれは愛でしょ?あれ、すごく萌えたわよ」
あのときは、ヘザーはローランドと婚約したばかりだった。だから、元許婚の私ことでいろいろを気を揉んでると思って、正直焦っていた。
カイルはそれに気づいて、私に助け舟を出してくれたんだと思う。
でも、そんなことをヘザーに言うわけにはいかない。
夫の元許嫁への気持ちなんて、それがなんであっても、妻にとっては楽しい話題じゃないと思う。
「分からない。そうだといいなと思うけど」
「もったいぶらないで、もう押し倒したら?既成事実を作ってから、ゆっくり愛を確かめてもいいじゃない」
ぐ。実は押し倒した結果の話なんだけど。
もちろん、そんなことは恥ずかしすぎて、とても言えない。
どうしよう。よくよく考えたら、私って痴女?ストーカー?
王女様の命令を盾に、体の関係を強要するとか、ちょっと犯罪入ってない?
……まずい、泣きそう。
私が一人で、あーだこーだとぐるぐると考えていると、ヘザーがさっと立ち上がって、私の前に書類の束をドサッと置いた。
「これよろしくね。執務室と打ち合わせがあるから、もう出るわ。殿下と王女様の予定のすり合わせしないと!ほんと、仕事ありすぎ!過労死するわ」
そう言う割にはウキウキして、今も鏡で全身チェックしているよね?
いつもみたいに、お化粧直してから行くよね?
で、戻ってくると、口紅は剥げてるのに唇は真っ赤だよね。
しかも、いかにも愛された感じに、お肌ツヤツヤになるよね?
……ち、羨ましい。
「そういえば、テロのときのローランドの活躍、すごかったみたいね。新聞で読んだ」
「あ、あの記事、読んだの?ふふ。そうなのよ、あいつ、弓だけは強いからね」
ローランドの弓道の大会に応援に行ったのが、ずいぶん前のような気がする。
「でも驚いたわ。壁に展示されてた魔弓を使うなんて、すごい咄嗟の判断よね」
有事のとき現れて、国を救う大魔弓。
あの弓はローランドの手によって、まさにその役目を全うした。
古い言い伝えは、本当だった。
「うーん、まあ、そこはちょっと脚色かな。実際はシャザードが天井と一緒に叩き落とした瓦礫の中に、偶然見つけたんだって。人生、何が幸いするか分かったもんじゃないわね」
本当にそうだ。次に何が起こるか予測ができないかわりに、何でも起こりうる。
そして、私たちは努力や運、他人との関わりの中で、その先の道を自分で紡いでいく。
それが、本来の人生のあり方。
そのとき、私の目に、緑色のキラキラした光が映った。
「ヘザー、その指輪……」
ヘザーの指には、前に見たルビーではなく、大粒のエメラルドの指輪がはめられていた。
「あ、うん。公爵家の象徴は、エメラルドだからって。お義母様の婚約指輪を、直してくれたの。あいつ、結構、そういうとこ、うるさいんだよね」
「ふふふ。独占欲の表れじゃない!エメラルドはローランドの瞳の色だもの。ごちそうさま!」
ローランドは、本当にヘザーを愛しているんだ。
愛し合う二人は、必ず幸せになる。大好きな親友と大切な幼馴染。この二人は本当にお似合いのカップルだ。
ヘザーがもらったのは、私がローランドに返した指輪ではない。全くの別物だ。
それでも、あのエメラルドには、ローランドの気持ちが、女神の宿命に縛られた感情が入っていた。
それが今、純粋にローランドだけのものになった。
そして、彼は自分で選んだ相手へと、それを繋いだ。
宿命の糸は解かれて、それぞれが新しい運命の糸を繋いでいく。
これが、正しい姿だったんだ。
殿下も王女様も、そして、たぶんレイ様も。女神の矯正力が消えたので、ずっと自由な心で生きられるはずだ。
女神の宿命から解放されたカイルも、もう私を愛さなくてはならない理由はない。
遅かれ早かれ、婚約は解消されることになるだろう。
カイルが私と一線を越えなかったのは、そういう未来への予感があったのかもしれない。
それに、大きすぎる魔力は、女神の恩恵の一部だった。
あのテロの後、レイ様とカイルは、魔力が消えたという。
シャザードとの魔法戦で使い切ったという話ではあるけれど、この女神のいない世界で、いずれ魔法は廃れていくんだと思う。
人が、人として生きるための代償として。
「なんで私は、変わらないんだろう」
カイルとの未来を切ったのに、私は変わらずにカイルを愛している。
それはつまり、宿命の選択がなくても、私はカイルを愛したということだった。
カイルはどうなのだろう。
彼の気持ちを知りたいと、私はずっとそう思い続けていた。