シャザードの最期
まるで爆発したかのように、謁見の間のドームのガラスが、内側から突き破られた。
会場にいた魔術師は、協力して会場全体にシールドを施し、降り注ぐガラスの破片と天井を防いでいる。
王太子婚約公示の華やかな場は、一瞬にして修羅場と化した。
魔法でシールドが張ってあるとはいえ、頭上にガラスや天井が迫っている状況では、冷静になることは不可能だろう。
衛兵や騎士の避難指示は的確だったが、それでも人々はパニックになり、出口に向かって殺到していた。
僕は片手でシールド魔法を維持したまま、空いているほうの手で、そばにいたクララを引き寄せた。
恐怖のせいで、足に力が入らないのだろうか。クララは僕に必死にしがみついている。
今、動くのは危険だ。
殿下のほうを見ると、すでに円卓の騎士に守りを固められていた。
殿下は魔法の腕も確かだ。王女と自分を守り切る技量は十分にある。
シャザードと対峙しない限りは。
「シャザード」
クララが小さくそう言った。
言われるまでもなく、逃げ惑う人たちで混乱する会場で、一人だけ逆方向にゆっくりと歩いてくる男の姿に、僕はとっくに気がついていた。
黒いローブを着た男は、フードで顔を隠している。あれがシャザードだ。間違いない。
シャザードを見て、クララはひどく怯えている。なんとかここから逃したい。
そう思ったとき、ヘザーの声が聞こえた。
「クララ!早く!こっちよ!」
ヘザーと一緒に、ローランドもこっちへ向かって走ってくる。
その先の非常口から、女性たちが出ていくのが見えた。
「クララ!逃げろ!」
クララをヘザーのほうに突き飛ばした瞬間、頭上に留まっていた落下物が左右の壁に打ち付けられた。
そして、壁にかけられた絵画ごと、すべてがガラガラとなだれ落ちた。
張っていたシールドが内側から破壊され、僕は稲妻のような光の衝撃を受けた。反転魔法だ。
「カイル!大丈夫か!」
ローランドが僕に駆け寄った。服が少し焦げたが、僕にたいした被害はなかった。
「俺は大丈夫だ。とっさに防御魔法を引いた。シャザードは反撃が得意らしいからな」
「シャザード?あいつがいるのか?」
ヘザーに両肩を支えられながら、クララが震える声で言った。
「私たちの前を、歩いていったわ。殿下のほうへ……」
殿下には援護が必要だ。シャザード相手の魔法戦になるとしたら、レイがいないこちらは、圧倒的な劣勢になる。
「殿下の魔法援護に入る。みんな、ここから逃げてくれ」
そのまま立ち去ろうとしたところで、ローランドが、僕の腕を掴んだ。
「出口が瓦礫で塞がれてる。魔法じゃなきゃ動かせない。殿下のところには、俺が先に行って時間を稼ぐ。先にこいつらを、逃してやってくれ!」
そう言って踵を返したローランドの背中に、ヘザーが叫んだ。
「無事に戻って来なさいよっ!生きて帰ったら、キス以上のことさせてあげるからっ」
それを聞いて、ローランドは一瞬、動きを止めた。そして、僕に向かってこう言った。
「ヘザーを頼む。俺の大事な女なんだ」
僕が頷くと、ローランドはそのまま前方へと走っていった。
僕はいそいで出口へ近づくと、魔法でいくつかの瓦礫を取り除いた。
幸い周辺に怪我人はいないようだった。みな、シールドが破壊される前に、なんとか脱出できたのだろう。
「これで出られる。クララ、ヘザー、気をつけて」
「カイル、お願い、死なないで!必ず帰ってくるって、約束して」
クララが泣きながら、僕に抱きついてきた。
勝算は五分かそれ以下だ。いい加減な約束はできない。だが、約束しなければ、クララは納得しないだろう。
僕が返事をしようとしたとき、背後から意外な人物の声がした。
「大丈夫だ。誰も死なない。約束する」
それはレイだった。
レイが戻ってきた!服は全身ボロボロだが、魔力がみなぎっている。
「レイ、無事だったのか!」
「時間がない、フォーメーションで魔法陣を組め。できるな?」
戦闘魔法は、基礎だけ学んだ。指示があればできるはずだ。
その会話を聞いて、ヘザーがクララを僕から引き剥がそうとした。
その瞬間、クララは僕を引き寄せて唇を重ねた。
ほんの一瞬の出来事だったけれど、初めて彼女から受けたキスだった。
そして、彼女は確かに、こう言った。
「カイル、愛しているわ」
ヘザーに手を引かれて、クララはそのまま行ってしまった。僕もレイの後に続いて走る。
僕も、君を愛している。
クララに、そう言いたかった。だが、もし僕が死んだら、その言葉は彼女の枷になる。
生きて帰ったら、真っ先に彼女に、愛していると伝えよう。今はそれでいい。
そして、僕らはシャザードとの魔法戦に臨んだ。やつを倒すのは、これが本当に最後のチャンスだった。
「合図をしたら、最大限の攻撃を俺に放て。できるか?」
「お前に向けて、だな。分かった」
レイの作戦は、僕たちの攻撃を一つにして、シャザードへ放つというものだ。
僕の攻撃が、シャザードじゃなくレイに向かっているかぎり、シャザードは自分への攻撃として認識しない。
どんな攻撃にも、それは殺気が伴ってしまう。それを感知して先制攻撃をしかけるのが、魔法戦の基本だった。
僕たちは気配を消し、土埃にまぎれて近づいた。
北方の兵士と円卓や近衛の騎士の間で、激しい戦闘が繰り広げられているようだ。
剣の交える音が響き、金属がぶつかりあってできる火花が見える。
『なぜこんなことをする。お前なら魔法で、彼らを排除できるだろう』
『私の部下も、手柄がほしいのさ。いつも私が独り占めというのは気の毒だろう』
殿下は、シャザードから攻撃魔法を迎撃魔法で防ぎながら、シャザードに思念を飛ばしていた。
そんな芸当ができるのは、魔術師の中でもほんの一握りだ。殿下の魔力は相当に高い。
それでも、やはりシャザードの魔力には及ばない。防御するだけで精一杯のようだ。
このままでは、やがて魔力を使い切ってしまう。
魔法というのは、結局は耐久戦だ。先に魔力が切れた方が負ける。
「みな!伏せろ!」
ローランドの叫び声が聞こえ、殿下の背後から強靭な矢が放たれた。
魔力や剣は多少劣るが、ローランドは弓の名手だ。後方支援するための訓練を積んでいた。
シャザードはかろうじて矢を避けたが、攻撃中の不意を突かれたために、魔法を制御していた精神に乱れが出た。
「くそっ!身の程知らずが、邪魔をするか!」
シャザードがローランドの矢に気を取られた瞬間、ほんの少しだけ隙が生じた。
「今だ!」
レイの合図で、僕は全魔力を込めた攻撃魔法を、
レイに向けて放った。
一直線のまばゆい閃光は、レイのところで直角に曲げられ、後方からシャザードの心臓を貫いた。
シャザードは胸を抑えて膝をつき、口から血を吐いた。それでも攻撃の光は衰えることがなく、むしろ増大するようにして、シャザードを貫き続けている。
「きさま、生きていたのか」
「ああ。待たせたな」
シャザードは最後に、楽しそうにくくっと笑った。
魔法によって胸に空いた穴が広がり、やがてシャザードの体すべてを、焼き尽くしたかのように消し去った。消滅死だ。
シャザードの最期を見た北方の兵士たちは、戦いを放棄して退却しはじめた。
「逃がすな!追え。だが、殺すな!生け捕りにしろ」
ローランドの指示で、円卓の騎士たちが、彼らの後を追った。
テロの重要参考人たちだ。捉えて吐かせれば、北方への糾弾に使える。
「レイ!よくやったわ。お手柄よ!」
殿下の後ろにいた王女が、レイの功績をねぎらった。
「いえ、私だけの力ではありません。御身が無事で何よりです」
王女は満足そうにレイに右手を差し出し、レイは騎士としてその甲に口づけをした。
そうして、僕らは無傷で会場を脱出した。
殿下が魔伝で呼び寄せた救護員たちが到着し、現場の救護と敵の身柄拘束のために、騎士や兵士が続々と会場に入っていった。
こちらにも死傷者は出たが、北方の軍師であるシャザードを倒したのは大きかった。
数人は自害して果てたが、何人か北方の兵士の身柄を拘束することにも成功した。
この夜の起こったシャザードのテロは、こうして終焉を迎えたのだった。