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二つ目の試練 [クララの視点]

 暗闇の中に、私は殿下と二人だけで、向かい合っていた。


   殿下は、私の顎に指をかけて顔を上に向かせ、私を真っ直ぐに見て言った。その瞳が一瞬揺らいだような気がした。


『君は、愛する人を見つけたんだね』

「はい」


 そう答えるしかない。それが真実なのだから。


 殿下は私に顎に指をかけたまま、親指で私の下唇をなぞった。

 私を見つめる瞳には慈愛が溢れていて、私はなぜか泣きたくなった。


『君が幸せを、見つけてくれてよかった』

「殿下」

『私は王太子として、そして次期国王としての務めを果たす。王家の血をつないでいくことも、王族の使命だ』

「はい」

『アレクシス個人の感情は、今日を最後に、ここで捨てる。だが、君には覚えていてほしいんだ。王太子でも国王でもない、アレクという男がいたということを』

「はい」

『君が去ったら、その男はこの世から消える。だが、その男は確かに、この世に存在したんだ。そして、その男が君に伝えた気持ちにも、嘘はなかった。それを忘れないでほしい。それが、アレクという男が、僕という個人が、生きていた証になる』

「はい」

『ありがとう。君が来てくれてよかった。これでもう、私は迷うことはない』


 殿下は指で私の涙を拭って、とても幸せそうな笑顔を見せてくれた。


『さ、もう泣き止んで。そんな顔をされたら、心配するだろう」

「殿下、愛していただけて、とても嬉しかったです。でも、お気持ちに応えることはできません。本当に申し訳ありません」

『ありがとう。もう十分だよ。私こそ悪かったね。どうしても、君を愛することを止められなかった。君を追い詰めてしまうことが分かっていたのに』


 そんなことはない。誰も人を愛する気持ちを止めることなんてできない。

 私もそうだった。殿下が謝る必要なんてない。


 謝るのはむしろ私だ。殿下を巻き込んでしまった。生まれ変わっても、巫女の宿命を負っていたせいで、殿下の人生も女神に操られてしまった。


 巫女を降りれば、私への気持ちも消え、殿下はこの宿命から逃れられる。

 それは殿下も分かっている。分かっているから、忘れないでほしいと言ってくれたんだ。


「殿下のお気持ち、一生忘れません。どんなことがあっても、私の心の中で、守り続けます」


 私の言葉を聞いて、殿下は嬉しそうに目を細めた。


『クララは頼もしいな。そうだね、君はそういう子だ。運命に打ち勝てる力がある。その強さが、君の力だ』


 殿下はそう言うと私の頭を撫でてくれた。


 学園でも私が頑張ると、殿下はよくこうして頭を撫でてくれた。


 殿下はずっと前から私を愛して支えてくれていたんだろう。私は気づかないふりをしていたけれど、その愛に甘えてしまっていた。


 だから、今度は私が殿下のために、何かをする番だ。


『クララ、お迎えだ。行って』


 殿下が私の背後に目を凝らした。振り返ると、遠くにまばゆい光が見える。


「はい」


 殿下に背中を押されて、私は光のほうへ歩き始めた。


 殿下が私の後ろ姿を見送っているのに気がついていたけれど、私は一度も振り返らなかった。王宮を出た、あの夜と同じように。


 これが、私を愛してくれた殿下との、最後の別れとなった。


 それから、私はずいぶんと歩いた。そして、ある瞬間に、急に周囲の闇が晴れた。


 私は、幼い頃からよく見慣れた景色の中に、いつの間にか溶け込んでいた。


 秋の果樹園は色彩が鮮やかで、真っ赤に色づいたりんごから、甘い匂いが漂っている。

 地面を覆い尽くす青緑の芝生は柔らかく、寝転がるのにいいクッションとなっていた。


 昔から、私はこの果樹園が、一番のお気に入りだった。


 ローランドの屋敷に来ると、いつもここに入り浸った。温室のように気温が魔法で管理されている場所なので、いつでも裸足で走り回った。


 足元を見ると、今日もやはり裸足だった。


『お母様、今年もすごくいいりんごできましたわ。お父様に、アップルパイを焼いてさしあげましょうよ!きっと喜ばれるわ!』


 若い娘さんの明るくて溌剌とした声が聞こえたので、私はブランケットから身を起こして、立ち上がろうとした。


『あ、そのまま座ってらして!立ち上がるの、お辛いでしょう?』


 その娘さんはそう言うと、大きくなった私のお腹を撫でた。

 ああ、そうか。私はまた身籠っているんだ。なぜかそう納得した。


『両親が仲がいいのは嬉しいし、兄弟が増えるのも大歓迎なんだけど、やっぱりちょっと照れちゃうわ。王太子妃教育で、閨のお作法を教わったばかりだから』


 座ったまま見上げると、まだ十代後半に差し掛かったばかりと見える娘が、両手で赤く染まった頬を包むようにして立っていた。


 目の色も髪の色も私と同じ。私に生き写しのこの娘が誰なのか、私にはすぐに分かった。


「そうなの。お勉強は進んでいるの?」


 私の閨教育は、確か学園に入学する前だった。そう考えると、この娘もそのくらいの年齢なのだろう。


 それにしても、私にそっくりなこの娘が王太子妃教育なんて、なんだか不思議な感じがした。


『もちろんよ!でも、やっぱりお閨のことだけは恥ずかしいわ。一緒に学んでいる王女様もすごく困惑されていたもの』

「まあ、王女様も?」

『だってね、私たち、お互いのお兄様と結婚するのよ!その、いろいろと想像してしまうでしょう?王女様のご結婚は年内だし、お兄様はずいぶんと歳上だもの。男性は色々と経験されてるっていうし、王女様も気が気じゃないのよ』

「あらあら、そんなことまで話しているの?」

『ええ。だってね、お兄様って王女様にデロデロなんだもの!舞踏会のバルコニーとか、行き帰りの馬車の中とかでも、どんどん距離を縮めてくるって!こんな風にピクニックしてても、人目がないとイチャイチャしてくるらしいの。絶対に結婚初夜まで待てないと思う!』

「それは困ったわね。お父様からきつく言ってもらいましょう」

『あら!それは無理よ。だって、お父様だってお母様と結婚前にって、お兄様言ってらしたもの!あ、ごめんなさい。これは内緒だったわ!』


  え、ローランドと私って、婚前交渉してたの? いや、してないよね。

 したのは、えーと、バルコニーでキスとか、馬車で抱きしめられたりとか、ここで組みふせられたりとか。


 はい、有罪。どうやらこの娘のお兄様は、確かにローランドの息子のようだ。

 それにしても、そんな両親の秘事みたいなことをなぜ子どもたちが知っているの?


 いやいやいやいや、今、ツッコムべきところはソコじゃないよね。


 家族の正しいあり方に関して混乱を極めたところで、聞き覚えのある穏やかな声が聞こえた。

 笑いを含んでいるように聞こえたのは、空耳だったのだろうか。


『こら、キャシー。お母様をいじめてはいけないよ!』


 声のほうを振り返ると、それはやはりローランドだった。


 相変わらずの壮絶な美貌で、思わず見入ってしまうような、煌めくエメラルドの瞳も健在だ。

 それなりに年齢を重ねているせいか、態度には威厳がにじみでている。


 こんな父親を持った娘は、さぞ目が肥えてしまうだろう。


 そんな娘の婚約者である王太子様が、どれほど美しいかは想像に難くない。

 私にそっくりな娘の分不相応さが、それなりに心配になった。


 これが親心というものなのだろうか。


『いじめてないわ!だいたい、お父様のせいでしょう? 毎日お母様と睦み合われてるって、お兄様が!』

『おいおい、それはいつの話だい?今はもうそんなに頻繁じゃないぞ。それに、お母様はもう臨月なんだから』


 どういう切り返しですか。頻度を訂正してなんになるんですか!

 それに、臨月にしないのは普通です。


 なんですか、これ。羞恥プレイですか?


 そう言おうと思ったところで、二人の表情もちょっとした驚きが加わり、気まずそうな顔に変った。


 あれ?まだ何も言ってないのに。


『ごめんなさい。お母様。お腹の赤ちゃんに、怒られちゃったわ』

『そうだな。私たちが悪かった。それにしても、この子も魔力があるのか』

『私も知らなかったわ。今まで隠していたのかしら?』


 赤ちゃんに魔力が?


 そうか、通信魔法はローランドの家系に出るんだった。私の子どもたちも、魔力を持つんだ。


『どうだろうな。妊娠中のお母様は、お腹の赤ちゃんの魔力に翻弄され続けてきたからな。さっきの話だって、アンドリューは、お腹の中で聞いたんだしな』

『まあ!そうでしたの?じゃ、私も妊娠したら気をつけなくちゃ!』

『キャシーにはまだ早い!王太子は絞めておくので、そんなことは心配しないように。それより、妹弟たちの様子を見てきてくれ。そろそろ昼食の時間だ』


 娘は「はあい」と返事をして、屋敷のほうへ走っていってしまった。


 彼女の姿が見えなくなったのを見計らって、ローランドは私をさっとクララを横抱きに抱えた。

 予想外のことだったので、私は思わず悲鳴をあげてローランドに抱きついた。


「ローランド?な、何をしてるの?」

『そろそろ風が出てきた。もう屋敷へ入ろう。大事な体なんだから。君に何かあったら、僕たちは生きていけない』


 ローランドは私を抱きかかえたまま、屋敷のほうへとゆっくり歩き出した。


 頼れる夫と、可愛い子どもたち。それぞれに愛する人を見つけて、更に先の未来への希望に満ちている。


 これが女神が提示したもう一つの運命。


『クララ、約束して。僕たちを置いていったりしないで。ずっと側で笑っていてくれ』


 切々と訴えるようにささやくローランドの声に、私の胸はキリキリと痛んだ。


 こういうことなのか。死ぬよりも辛いこと。


 私の決断は、ローランドの未来だけではなく、子どもたちの人生も奪う。

 私とローランドの子どもたちは、もうこの世に存在すらできなくなってしまう。

 私がその芽を摘み取ってしまう。


 それでも、すべての幸せを手に入れることはできない。


 私はローランドを愛してはいない。その時点で、この未来はなかったはずなのだから。


「ごめんなさい。それはできないの。私は行かなくちゃいけないの」


 そう言うと、また世界は闇に閉ざされてしまった。


 もう戻ることができないように。



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