宿命の巫女 [クララの視点]
占い師のおばあさんは、私を『宿命の乙女』と言った。そして、シャザードは私を『宿命の巫女』と呼んだ。自分たちを覚醒させてを、引き合わせたと。
前世で私が生きた世界では、すでにキリストという唯一神信仰が定着し、多くの神々を掲げる土着の宗教は異端とされていた。
それでも古い神話の神々は存在し、人間の中に依代となる巫女を潜ませていた。世界の混沌を制御するための持ち駒として。
そうして選ばれた巫女は、その時代ごとに生まれ落ちた。
私を巫女として選んだのは、古くから人間の宿命を司ってきた、運命の三女神だった。
宿命の巫女の前には、いつも三つの道が提示される。そして、巫女が進む道だけが残り、次の運命へと分かれ道へと紡がれていく。
歴史上では、勝利の女神と崇められたり、人心を惑わす魔女と虐げられたりする。
私はそういう巫女の一人だった。
あの頃、王家は国王を教会君主に据え、その権威を元に国家を束ねていた。国王の絶対的な支配のために、他の宗教は異端とされ、巫女は魔女と呼ばれた。異端はその信仰を迫害され、魔女はその呪いを怖れられていた。
私が王家に狩られたのは、権力闘争の道具になり得たからだった。
シャザードは私を知っている。それはつまり、この男も前世の記憶がある転生者ということだ。
カイルの従兄弟。それは、彼しかいない。
ジェームス六世。あの人と王位を争った人物。なぜ彼がここに。
「よせ!こいつは何も知らないんだ!」
カイルは何を知っていて、私は何を知らないというのだろう。 前世のことを、カイルは覚えているのだろうか。
私の忌まわしい神力と、そのせいで葬られたことを。世界を動かす運命の輪を回し、宿命の糸を紡ぐ巫女。それが私だったということを。
次々と蘇る前世の記憶に、私の体は勝手に震えだした。カイルは私がシャザードに怖がっていると思ったらしく、なんとか私を逃がそうとしていた。
でも、私は逃げられない。私が宿命の乙女ならば、これは私が招いたことだから。
私が立つ場所に、運命の分かれ道が現れる。私が進む道にだけ、確実な未来が保証される。
そして、私が死ねば、もう確実に未来が約束された道は現れない。栄えるも滅びるも、その未来を決める力は人から神の手に還る。
神の力を持つ人間など、本来ならばあってはならない禁忌だった。約束された未来など危険なだけだった。その力を悪用されれば、世界を滅ぼすことだってできる。
だから、私には逃げるか死ぬしかなかった。愛する者たちを守るために。
占い師のおばあさんは、私には三人の運命の男がいると言った。それが誰のことだったのか、どういう意味だったのか、今ならば分かる。
三女神が提示する三つの道。そして、私はカイルを愛した。過去世の巫女の鎖に、繋がれる道を自分で選んだんだ。
他の道を選んでいたなら、たぶん巫女としての記憶が戻ることはなかった。
魔力が存在する世界に、魔法を一切持たずに生まれたのは、それが前世の私が望みだったから。
私はもうどんな力も持ちたくなかった。普通の人間として生きたかった。愛する人のそばで。
生まれ変わって力は消えても、宿命の鎖は完全には切れない。そして、私はまた、自分の運命にカイルを巻き込んでしまった。
それならば、カイルの未来を守るために、私は絶対にカイルから離れはしない。
もし、カイルが死ぬ運命ならば、そのときは私も共に死ぬ。前世で私がそうしたように。
私たちは今、シャザードが作り出した異空間に閉じ込められている。カイルは私を庇って腕に抱えたままだ。自分を守る術がない私は、ここでも足手まといでしかない。
「こんなところで立ち話は無粋だな。邪魔が入らないよう移動しようじゃないか」
シャザードがそう言ったとき、会場中にパアンと大きな音が響き、軽く体が揺さぶられた。
カイルが私の頭を抱えて自分のほうへ引き寄せたので、私はカイルの胸の中で落下物がぶつかる音を聞いた。誰かの悲鳴も。
「相変わらずだな。その女がそんなに大切か」
シャザードの声を聞いたと同時に、私はカイルに強く抱きしめられた。そして、足元が揺らぐような感覚が来た。
あのときと同じだ。果樹園でレイ様が使った魔法。空間移動。私たちはどこかへ飛ばされる。
違う。私には分かる。あの場所へ飛ばされるんだ。私たちが死んだ、あの場所へと。
気がつくと、私たちは森の中にいた。深淵の森は闇に包まれ、木々の合間から、ほんの少しだけ月明かりが差す。
あの時と違うのは、その光がところどころに残る積雪で反射しているところだけだ。
シャザードはいない。私たちは二人きりだった。
「クララ。巻き込んですまない」
カイルは私の肩に、自分の上着を着せかけた。私たちは、こんな場所には不釣り合いな格好をしていた。パーティー用の夜会服は、まったく防寒にはならない。
カイルは魔法で私たちの周りの空気を温めた。
「私こそ、ごめんなさい」
「なぜ君が謝る? シャザードの狙いは僕だ。彼とは因縁があってね。君は関係ない」
私は黙っていた。カイルが、何をどこまで覚えているのかは分からない。それでも、それを知られたくないのなら、私が聞くべきことではない。
私たちはもう、前世の二人ではない。別の人間に生まれ変わったのだ。
「あっちに、明かりが見えたわ」
私はある方向を指差した。本当は何も見えてはいなかったのだけれど、私はこの森のことならなんでも分かる。そこに何があるのかも知っている。
巫女の神殿。シャザードと対峙するとしても、ここよりはいいはずだ。
「行ってみよう。ここにいても、しょうがない」
カイルは私の手を取って、私が示したほうへ歩き始めた。たぶん、カイルも何があるのか知っているのだろう。
私に会うために、何度もこの森へ通ってくれたのだから。そして、私たちはそこで何度も愛を語り、逢瀬を重ねた。
カイルはそれも、覚えているのだろうか。
私たちは無言で歩いた。魔法のおかげで寒くはなかったけれど、カイルの手から伝わる体温がなければ、私は凍えていたかもしれない。
寒さではなくて闇に。そして闇に漂う霊気に。人間と神の領域が交わる場所。それがこの森だった。
しばらく歩くと、そこには石造りの神殿風の建造物があった。人の気配はまったくしないのに、私たちの到着を見計らったように明かりが灯る。
これは魔法ではない。霊力とでもいうのだろうか、神の力だった。
「とにかく中へ入ろう。話はそれからだ」
私は黙って頷いた。建物にドアはなく、中はがらんどうだったが、不思議と寒さは感じなかった。
長いこと使われていないはずなのに、床には塵も埃もなく、清められたかのように空気は清浄だった。
ここには今も、女神の加護が満ちている。そして、それは抱擁のように私を包んだ。
少しだけ中に踏み入れたところで、カイルが私の両肩を掴んでいった。
「クララ、よく聞いて。もうすぐ、シャザードが来る。君は僕が守る。だけど、もし僕が死んだら、シャザードについていってほしい。ここは異空間だ。君だけでは元の世界へは戻れない。シャザードへ投降するんだ」
「いやよ。カイルが死んだら、私も死ぬわ。だから、私を生かしたいなら、貴方も死なないで」
「お願いだ。生きていれば、必ず救いはある。殿下もローランドも、君を見捨てるはずはない。とにかく元の世界へ戻るんだ。そうすれば君は助かる」
「どうして。なんでそんなことを言うの? 私には貴方しかいないのに。他の男を頼れなんて……」
カイルは明らかに答えに窮している。こんなときにカイルを困らせたくないのに、どうしても目から涙が溢れてしまう。
それでも、今、言わないと。もしかしたら、言わないで死んでしまうかもしれない。
「カイルが好きなの。ずっと前から。あなたにとっては任務だと分かっていても、婚約してもらえて嬉しかった。お願いだから忘れないで。私はあなただけのものだから。たとえ死んでも、それは変わらないから」
「任務って。クララ、僕は」
カイルが何か言いかけたとき、神殿の結界がビリビリと音を立てた。
不遜なものを近づけないはずの守りが、シャザードの魔法にあっさりとねじ伏せられたようだった。
「クララ、後ろに!」
私はすぐに、カイルの後ろに回った。神殿の入り口から、体中に細かい稲妻のような青い光を纏わりつかせたシャザードが入ってきた。
聖なる光の攻撃を、まるで虫を払う程度にあしらっている。
「道案内ご苦労だったな、宿命の巫女。お前がいなければ、この聖域は開かない。ようやく、この日が来た。わが家を滅ぼした、憎き悪魔を裁く日がな!」
カイルの腕越しに見たシャザードの瞳には、復讐の炎が宿っていた。それでも、そこに悲哀の色が混じっていると思うのは、私の見間違いなのだろうか。
巫女のせいで、女神の選択のせいで滅びた王朝。彼の一族も、その中の一つだった。