約束の地へ [クララの視点]
カイルと旅をする西側の諸国は、情勢が安定している。そのため、国から国へと空間移動設備を利用することができた。
カイルの円卓の騎士長という職業も手伝って、私たちはあっという間に、次の目的地に到着した。
職権乱用ではと心配したけれど、カイルはちょっとウィンクして、こう言っただけだった。
「たいした意味もない肩書だけど、こういうときには役に立つね」
大国の王太子付。それはかなりすごいものだと思う。でも、私がそう言ったところで、あまり意味をなさないだろう。
そう思って、私は黙ってカイルに従った。
どの国のどの都市も美しく整備され、遺跡や美術館など、観光するものが山程あった。
一年中温かい気候のため、街にも緑が溢れ、ハンギング・バスケットには、見事な花が咲き乱れていた。
人々は陽気で、食べ物も美味しい。
カイルのエスコートも完璧で、何もかもが幸せすぎる。彼の笑顔を見ると、私も自然に頬がほころんでしまう。
各宿には、滞在中に必要な衣服が届けられていて、地元の身元の確かな者が、専属メイドとしてお世話をしてくれた。
これがすべて、カイルの采配だと知って驚いた。男性で、こんな細かな気遣いができる人がいるなんて!
もしかして、カイルから見たら、私は信じられないくらいズボラで怠惰で、気の利かない妻になるかもしれない。
でも、とにかく、カイルの気遣いは、ありがたかった。
朝の湯浴みを手伝ってくれたり、シーツを代えたりしてくれるのがマリエルだったら、私は羞恥で死んでいたと思う。
みんな、どうやってこの「後朝公開処刑」に耐えているのだろうか。
王都に帰ったら、ヘザーに聞いてみようと思う。
この旅の一番の目的地、カイルの故郷は、大陸の最西端にあった。
その国の王都からカイルの故郷までは、途中の村で一泊したため、馬車で丸一日かかった。
その村は、羊の放牧と麦の栽培で、細々と生計を立てているという。
目立たないように辻馬車を使ったのに、窓の外には、人の気配をほとんど感じなかった。
孤児院に着いたのは、ちょうどお昼前くらいだったろうか。
カイルがいた当時の施設は、老朽化しているため施錠されたままになっていた。そして、その隣に新しい施設が建設されていた。
当時のカイルを知るものは、もう誰も残っていなかった。それでも、孤児院を任されている修道女様や子どもたちは、喜んで私たちを迎えてくれた。
この孤児院から立派な騎士が出たことを、とても誇りに思っているようだった。
そして、カイルはこれまでにも、たくさん寄付をしていた。
私たちは、そこで昼食をごちそうになり、夜は泊まっていくように勧められた。
今は閉鎖した旧孤児院のカイルが使っていた部屋を、泊まれるように掃除してくれるという。
私たちはその準備ができるまで、近くを散歩することにした。
風は強いけれど、晴れて日がでているので、凍えきるというほどではない。
でも、それも日没までの短い間なので、今のうちにという配慮もあったようだ。
両側に海を見ながらヒースの丘を歩くと、少し行ったところに、崖を降りる階段があった。
石を組み合わせただけの簡単なもので、私が滑らないようにカイルが手を引いてくれた。
そうして、たどり着いたのは、海を背景にして作られた、あの野外劇場だった。
とうとう、私は、ここに戻ってきたのだ。
屋外のために冬は上演は不可能だが、夏のお祭りには、地元の有志で演劇を披露する。
長い冬の間にその準備をするので、その出来は玄人はだしだという。
世間の評判も高く、その時期はたくさんの観光客が訪れているそうだ。
「僕の夢は、ここでの演劇に参加することだったんだ。大人になったら、脚本を書くって」
娯楽のない村では、夏に若者が集って上演する演劇が、子どもたちの唯一の楽しみだった。
ただ、本番の上演は夜だったし、券を買うお金は孤児院にはなかったそうだ。
カイル自身も、実際の上演を見たことはないという。
「夏は毎日、昼はここに来て、大人たちが演技の練習をするのを見てたんだ。大人になったら、僕の演目で人をたくさん集めて、それで色々な人に観てもらって、いずれは劇団を作ろうって」
ええ。知ってるわ。あなたはいつも、劇作家になりたかったものね。
王位継承者でもなく、騎士でもなく。
私との旅で、あなたはいつも、その夢を語っていたのよ。
「どんな話を書きたかったの?」
「人間の本質を描きたかったんだ。ほら、人って滑稽だろう?」
「それじゃ、喜劇のほうがいいわ」
「悲劇は、好きじゃないの?」
「そんなことないけど……」
今の私なら、たぶん悲劇を楽しめるかもしれない。それでもやっぱり、ハッピーエンドがいい。
「君は、分かりやすいね」
彼が私を見て吹き出したので、私は抗議を込めて額を彼の肩にグリグリすりつつけた。
彼はくすぐったそうに笑うと、私の肩を抱き寄せた。
「それじゃ、僕は君のために、恋愛ものを書こうか。それならいい?」
「カイルが書いたものだったら、全部好きだと思うけど」
「無理しなくていいよ。真実の愛を描くのはどう?主人公は君だ」
あれ、なんだろう。何かがひっかかる。今、カイルはなんて言った?
私を主人公にした、真実の愛?それって……。
私が急に黙り込んだのを見て、カイルは何か誤解したのだろう。
ちょっとすねたような口調で言った。
「恋愛ものなんて、僕には無理だと思ってる? でも、そうでもないんだよ。恥ずかしいから隠していたけど、実はもう、何冊か出版してるんだ。なかなかの人気らしいから、君も読んだことがあるかもしれない」
「カイル、あの、それって……」
「そう。『真実の愛』っていう小説。女子がよく読んでただろう?」
「じゃあ、あの話は……」
あれは、私と貴方の前世の物語。
夢を見だしてから、小説とのシンクロを不思議に思ってはいた。
でも、前世をはっきり思い出してからは、もう小説は読んでいなかった。
だから、そのことは忘れていた。
あれを書いたのが、カイルだった!
「僕には昔、好きな子がいたんだ。その子をモデルにした。僕に力がなかったせいで、彼女を守りきれなかった。あれは、彼女への鎮魂歌のつもりなんだ」
あれは、私。宿命の巫女。
カイルも、前世のことを覚えていたんだ。
私たちは、生まれ変わって巡り会った。
そして、また恋に落ちた。
驚きと喜びで、私がボロボロと泣き出すと、カイルは慌てて私を抱きしめた。
「ごめん、昔の話なんかして。君が気にすることじゃないんだ。僕が好きなのは、本当に君だけだから。あの話は、本当に遠い過去の話なんだ。あの子はもう、どこにもいない」
そうね。宿命の巫女は、もういない。あれは、遠い過去の話。
そして、私も、本当に好きなのは貴方だけ。
私の騎士様ではなく、カイルが好き。
ここにいる、今のカイルを愛している。
「わかっているわ。ごめんなさい、泣いたりして。あの物語は悲恋だったから、思い出したら悲しくなってしまっただけなの」
「ごめん。次はハッピーエンドを書くから!君だけのために」
カイルは 私の髪を優しく撫でながらそう言った。口調から、かなり焦っているのが分かる。
私への思慕を私に言い訳するなんて、実はちょっと笑ってしまうけれど。
カイルは私が、前世を覚えているということを知らない。
自分のせいで死なせたと思っているのなら、そんな子が私だと、明かさないほうがいい。
私が知らないままでいるほうが、カイルも負い目を感じなくてすむ。
あれは、もう過ぎたこと。今の私たちには関係ない。
「楽しみにしてるね。胸がきゅんきゅんするようなヒーローがいいな」
「それはダメ。君の胸は、僕だけのものだから」
カイルが真顔でそんなことを言うので、私は顔が真っ赤になるのを感じた。
昼間っから、何を言ってるんだ、この人は!恥ずかしすぎる!
それでも、優しく微笑むカイルに、私の胸はいっぱいになった。
彼の言っていることは、正しい。
私の胸をときめかすのは、いつだってカイルだけだから。
私は左手で、そっとカイルの右手を握った。カイルは私の手を握り返した後、ふいにその手を持ち上げた。
私の左の薬指には、カイルからもらった婚約指輪がはまっていた。
「これは、母が好きだったデザインなんだ。今となっては唯一の形見だ。珍しい薔薇を象ってるんだよ」
「チューダー・ローズでしょう」
私の言葉を聞いて、カイルは心底驚いたような顔をした。
「なんでそれを?」
「貴方が教えてくれたのよ。これは滅びた王家の家紋だって」
カイルは、少しだけ何かを考えるようにしてから、すぐに嬉しそうな顔をしてくれた。
「そうだったね。君が覚えているとは、思わなかった」
前世では重荷だった家紋も、今は過去を偲ぶ美しい意匠になった。
もう、何を恐れることも、何から逃げることもない。
私たちは、自由なんだ。
「勉強以外のことなら、結構、私は記憶力がいいのよ」
私がそう言うと、カイルは声を出して笑った。なにもそんなに笑わなくても……。
「母は言ったんだ。この指輪で、僕の愛する人の指を飾ってほしいと」
カイルは私の両手を取って、まっすぐに私を見つめた。その目はこの海の水のように澄んでいて、まるで吸い込まれてしまいそうだった。
「もしも、この地を離れることがあったとしても、いつか必ず、戻ってこようと思ってた。そのときには、この指輪をはめた女の子を一緒に連れて。それが、僕の夢だった」
カイルは、愛おしそうな目で私の指を眺めて、指で優しく指輪とそれを嵌めている私の指をなでた。
「君の指を飾れてよかった。君を連れて来られてよかった。母の望みも、僕の夢も叶ったよ。みんな、君のおかげだ」
私の目に、涙が溢れた。
私は泣き虫じゃなかったはずなのに、なぜか泣いてばかりいる。
「私、ずっとカイルのそばに、いていいの?」
「ずっと一緒にいよう。これから先もずっと。君は未来永劫、僕の妻だ。僕たちの子どもの母親、孫たちの祖母、ひ孫たちの曾祖母になっても、僕はずっと君を愛するよ」
カイルに強く抱きしめられて、私はやっと、安心することができた。
この場所に戻っても、カイルの気持ちは変わらなかった。そして、もちろん、私の気持ちも。
私たちは女神の宿命じゃなく、自分たちでお互いを選び取った。
もう誰も、私たちを引き裂くことはない。
しばらくして私が泣き止むと、私たちは手をつないだままゆっくりと孤児院への道を引き返した。
カイルが幼年期をすごした孤児院は、閉鎖されていたわりには、中は綺麗な状態だった。
温かい暖炉の前には、ふわふわのラグが敷いてあり、カイルの屋敷のサロンを思い出させた。
その夜、私たちは暖炉の前で、いつもより丁寧に時間をかけて愛を確かめあった。
本当の意味で、私たちはようやく夫婦となったのだった。