ロック・オン [クララの視点]
なんで、こんなことに、なってるんだっけ?
カイルって、いつから こんなだったっけ?
王宮を出発して、まだそんなに時間が経っていないというのに、なぜか馬車の中は、すっかりプライベートな空間と化している。
まだ真っ昼間だというのに、カーテンで閉め切られた個室は、なんというか、夜の雰囲気そのものだ。
「華の都?ここからだと、馬車で四時間くらいね!それなら、このドレスがいいわ!」
ヘザーに勧められたのは、白のワンピース・ドレスだった。
体を締め付けて長時間同じ姿勢で座るのは、血行が悪くなって、健康によくないらしい。
だから、このドレスは、コルセットがないかわりに、あまり体の線が見えないものだった。
前開きボタンとリボンが可愛らしいけれど、外出にこんなにゆるい格好で、いいのかな?
「この素材は、シワにならないのよ。座りっぱなしの馬車の旅では、すごく重宝よ!」
へザーがそう言うと、王女さまも大賛成した。
「前ボタンで、着脱が簡単なのもいいわね。馬車酔いしたときに、すぐにくつろげるし」
二人が大絶賛するので、このワンピース・ドレスに決めた。
でも、あまりに楽を追求しすぎて、なんとなく寝間着のような感じがする。
そうは言っても、馬車の中は適温調節されているし、外に出るときはコートを着る。
初日は宿への移動だけだし、別にいいのかもしれない。
そして、その初日の馬車移動の最中、私は二人に感謝するべきか、文句を言うべきか迷っている。
たしかに、この服はこの旅に最適だった。でも、それはちょっと、違う意味で。
私は今、カイルの膝の上に座っている。
こんな格好は、恥ずかしいから嫌だと言ったら、抵抗する気力がなくなるまで、激しいキスをされた。
カイルの手があちこちを撫でるので、くすぐったくて、体がモゾモゾと動いてしまう。
もし、ドレスがシワになる素材だったら、あちこちがすでにくしゃくしゃだったと思う。
会話の合間に、長いキスを繰り返されるせいで、息が上がって、体が火照ってしまう。
暑いから窓を開けたいと言うと、あっさり却下された。
その代わりにと、前ボタンを数個外して、胸元をくつろがされた。
確かに、呼吸は楽になったけれど、動悸のほうは早くなるばかりだった。
それというのも、カイルがたまに、私のはだけた胸元に、目を向けるから。
「レイは、僕の古い知り合いだったんだ。十年ほど前になるかな、最後に別れたのは」
キスの合間に、カイルは自分の生い立ちを、ポツポツと語ってくれた。
王族の側室だった母親が、子爵家へ下賜されてまもなく、カイルを産んだこと。
カイルの母親が亡くなると、子爵はカイルを他国の孤児院に送ったこと。
「そこは、この大陸の最西端でね。一年中、海風が吹きすさんで、世間から打ち捨てられたような場所だったんだ。僕は四歳から十歳までを、そこで過ごしたんだよ」
カイルが十歳の年に、戸籍上の父親である子爵が事業に失敗し、失意のうちに亡くなった。
その負債を、親戚筋のカイルの母親の実家が処理することになり、そのときに領地や財産は、すべて失ってしまったという。
それでも、カイルには、爵位だけが残された。
表立っては、孫に何もできなかった母方の祖父母が、カイルに貴族としての道を歩ませたかったらしい。
「正直、自分が貴族だなんて、思ってもいなかったし、僕は孤児院で幸せだった。あのまま、あの土地で暮らしていきたかったよ」
そこまで話すと、カイルは私をぎゅっと抱きしめて、首筋に唇を這わせた。
くすぐったくて、身をよじって離れようとする私を、カイルは力でねじ伏せるようにして、座席に押し倒した。
そのままで、随分と長いキスをしたあと、カイルは私の目を見て言った。
「今は、爵位を遺してくれた父にも、それを守ってくれた祖父母にも、感謝してる。貴族じゃなければ、君と結婚なんて、できなかったから」
カイルは私を抱き起こし、乱れてしまった私の髪を手櫛で梳きながら、話を先に続けた。
人目を忍ぶような、寂しい場所に建てられたその孤児院は、訳ありの子供が集められた場所だった。
国によっては、魔力が強い子供はその暴走を恐れられ、遠方に隔離される傾向があった。
その孤児院にも、そういう子供が集められていたと、カイルは後に知ったという。
「レイも、同じ孤児院で育ったんだよ。子供の頃から、強力な魔力の持ち主だった」
カイルが八歳になった年に、強力な魔術師を増やすという国策で、強制訓練所が設立された。
苦しい訓練に、心身を害して脱落するものが後を経たないその施設に、各孤児院から一番魔力が高いものを差し出すよう王命が出た。
「あの孤児院からレイを選んで、訓練所へ連れていったのは、シャザードだった。西の賢者の弟子にして、世界最強の魔術師。その縁で、レイも賢者に師事することになったんだよ」
最初の頃は、訓練所から頻繁に手紙が来た。よい師匠に恵まれたこと、元気でやっていることが書かれていて、それは少なからずカイルを安心させた。
しばらくすると、訓練が厳しさを増していったのか、だんだんと便りの間隔が空くようになっていた。
そして、そうしているうちに、カイルは子爵家に呼び戻された。
「あの後、訓練所は閉鎖になったと聞いた。若い芽を摘むような訓練に、指導官が次々と離反して、組織の統制がとれなくなったんだと思う。レイのことは気になったけれど、消息を確かめることができるほど、僕はまだ大人じゃなかった」
カイルがレイ様に再会したのは、彼がセシル王女の護衛騎士として、この国に来たときだった。
「すごい魔術師になっていた。騎士としても脱帽ものだった。苦しい修業に耐え抜いて、そうやって立派になったレイに、驚いたよ」
レイ様が歩んだのは、兄弟子であるシャザードと袂を別つ、険しい道だった。
そこを生き抜けたことを知って、カイルは安堵したという。
「その過酷な人生のどこかで、レイは王女に出会った。それが彼を生かし続けていると知って、レイの人生が戦いだけではなかったと分かって、僕は本当に嬉しかったんだ」
カイルは私の髪の毛を一房取って、そこに口づけた。
「愛する者に出会えたことは、人生のどんな喜びよりも大きい。それは、僕も同じだ。君に出会えた奇跡に、感謝している」
「私も……」
私も貴方に会えてよかった。
そう言おうとしたのに、またカイルに唇を塞がれてしまった。
カイルは一体、どうしちゃったんだろう。なんだか、キスで私を食べているみたいな気がする。
セラピーを受けた日の夕方に、お父様から急ぎの連絡が来たのには驚いた。
カイルが婚約の挨拶に来て、男爵家の婿養子になりたいと言ってくれたという。
その連絡と前後して、カイルからピンクの薔薇の花束と一緒に、カードが送られたきた。
婚約契約についての確認だったので、素直に『よろしくお願いします』と返答した。
ただ、婚約が成立したせいで、カードの差出人は『夫』となっていた。
それを、職場で受け取ってしまったため、秘書室には、狂乱の嵐が吹き荒れた。
……なんでだろう?
ピンクの薔薇に、あの夜のカイルの言葉を思い出して、顔を真っ赤にしていると、侍女の先輩方は、がっちりそこを突いてきた。
厳しい詮索に負けて、私はとうとう、ベッドでピンクの薔薇のようだと称賛されたことを、白状することになった。
それを聞いたみなさんは狂喜乱舞して、そのまま夜の女子会へと、なだれ込んだ。
……仕事をほっぽらかして、いいんでしょうか?
驚いたことに、侍女仲間は未婚者であっても、ほぼ全員が経験者ということが判明した。
時代とともに、未婚者の処女性については、あまり重要視されなくなってきているのかもしれない。
むしろ、あそこまでしていたのに、一線を超えていない私は、化石みたいなものだった。
そのくらい、みなさんの体験談はすごい。
……衝撃の事実だった。
殿下と王女様が、セラピーのお詫びにとくれた有給休暇で、カイルが旅行を計画していることを知ると、先輩方はこぞって、初夜の指導をしてくれた。
閨の指南をしてくれる母を亡くしているので、こういうことは、とてもありがたかった。
でも、なにも男役と女役に扮して、演技までしてくれる必要はなかったはず。
……絶対に、遊ばれていたと思う。
そんなこんなで、すっかり耳年増になったはいいのだけれど、まさか最初から、カイルがこれほどグイグイ飛ばして来るとは、思ってなかった。
……一体、何があったんだろう。
「クララ、好きだ。僕から逃げないで」
そんな風に懇願されてしまえば、カイルを突き放して、キスを止めるわけにもいかない。
もちろん、カイルは私をガッチリと抱きすくめているので、どっちにしろ逃げられるわけもない。
そして、私も、逃げたいなんて思っていない。
「あの孤児院を、あの土地を訪ねたいんだ。一緒に来てほしい」
私は黙って頷いた。もう、カイルに何か言うのは諦めて、私は彼の首に腕を回した。
女神の試練で、私はその孤児院のそばに住んでいた。そして、野外劇場であなたと別れた。
あそこに行ったら、今のカイルにかかっている魔法みたいな恋心も、溶けて無くなってしまうかもしれない。
でも、それでもいい。
そこからまたスタートでも、まだまだ、私は頑張れるから。
「あそこには、君に見せたいものがあるんだ……」
長時間にわたるキスで、息も絶え絶えになった私に、カイルがそうつぶやいた。
そこにたどり着くまでは、私はカイルの婚約者だ。今はその幸福を享受しても、誰にも文句は言われないだろう。
これはもう、カイルが正気に戻ってしまう前に、押し倒して、既成事実を作ってしまうしかない。
先輩たちも言っていた。体から入る恋愛もあると。
あれほど練習したのだから、案外カイルも、私の手管に溺れてくれるかもしれない。
宿に着いたとき、私はキスで腰が抜けたフリをして、歩けないという演技をした。
これは、先輩方から教わった技だった。
こうすると、お姫様抱っこで寝室へ連れて行ってもらえるらしい。
カイルも、見事にひっかかってくれた。
そうとは言え、さすがに宿の人に見られるのは恥ずかしいので、私はカイルの首に腕を回して、鎖骨あたりにうずめるように顔を隠した。
この動作も、なかなか功を奏してくれて、私が息を吐くたびに、カイルが反応してくれた。
いい調子。さすが先輩方の教えはすごい。
カイルは、食事も断ってくれたようだ。これで寝室に籠もる時間がたっぷりできた。
ここが私の、女としての勝負どころだ。
この体で、カイルを虜にする。有無を言わせず、カイルをベッドに、押し倒す!
あの夜は、カイルに上手くかわされてしまったけれど、いよいよそれを、実力行使するときが来た。
そして、ピンクの薔薇の花びらが散らされた豪華なベッドで、私はようやく、目的を達成した。
これでもう、婚約解消されても悔いはない……と思う、たぶん。