蟻地獄作戦
まずい。まずい、まずい、まずい。
クララから、婚約解消の話が出てしまった。しかも、婚約破棄なんて強硬手段にでられたら、手も足も出なくなる。
一刻も早く、僕が不能でないことを証明しなくては。
いや、待てよ。
百戦錬磨のローランドや、英才教育で鍛えてる殿下と違って、僕には知識はあれど経験がない。
一線を超えたところで、クララを満足させられる自信はない。
むしろ、事後に見捨てられる可能性もある。
それでは、意味がないじゃないか。
とにかく、どんな手段を使っても、クララが僕から逃げられないように、慎重に囲い込まなければいけない。
幸いクララからは、テロのときに愛を告白されている。
非常時の感情の昂りによる失言だったとしても、もう遅い。証人もいるわけだし、あれを利用して、話をどんどん先に進めてしまおう。
クララが婚約を承諾し、婚約指輪をはめてくれた時点で、僕たちの婚約契約が成立するように魔法がかけてあった。
クララにとって見れば、言わば騙し討ちのようなものだったけれど、あれは我ながら、先見の明があったと思う。
これから、子を作るような行為をするんだから、いや、子ができるまでするつもりなので、あの判断は正解だった。
契約おかげで、クララはすでに僕の妻だと認識されているのだから。
だが、まだ足りない。もっと外堀を埋める必要があるだろう。
貴族の結婚は、家同士の関係だ。ここは、父親である男爵から、籠絡するのがいいだろう。
僕はすぐに男爵に面会を申し込み、正式にクララの婚約者としての挨拶を済ませた。
クララの魅力を讃え、どれほど彼女を愛しているかを熱く語ると、男爵は目を潤ませて喜んだ。
大丈夫。つかみはバッチリだ。
しかし、油断は禁物。僕は最後のダメ押しとばかりに、常々考えていたことを口にした。
「子爵とは名ばかりなので、僕の代を最後に爵位は返上するつもりでした。出来ればこちらに婿入りして、円卓の騎士を辞め、お義父上の下で領地経営を学びたいのです」
これには、男爵もイチコロだった。
両手を握られ「息子よ!」と泣かれたのには、さすがに参った。
でも、両親の愛情を受けずに育った僕には、父親ができたことが、とても嬉しかった。
円卓にはレイがいるし、殿下の警護で国を離れることも多い騎士職に未練はない。
王宮みたいな風紀が乱れた場所に、クララは置いてはおけないし、僕がいないときに変な虫がついては困る。
そんなことになったら、殺傷事件に発展するだろう。
クララを守る立場から言わせれば、むしろ二人で領地に引っ込む方がいいのだ。
男爵家には、クララの専属メイドのマリエルが戻っていて、僕と男爵にお茶の給仕をしてくれていた。
僕は彼女に、クララが近いうちに子爵家のタウンハウスに戻ることを告げた。
そして、ここから荷物を運び込みがてら、またクララに仕えてくれるよう頼んだ。
すると、マリエルはお任せくださいとばかりに、準備に取り掛かってくれた。
帰り際にメイド達が勢揃いして、ニコニコと見送ってくれたところを見ると、僕は彼女たちのお眼鏡にもかなったようだ。
男爵から結婚の許しを得ると、僕はすぐに王都へ戻って、契約がきちんと履行されているのかを確認した。
魔法が使えれば遠隔ですぐだったのだが、今はいちいち、担当部署に足を運ぶしかない。
だが、それも悪いことばかりではなかった。
王都では顔が知れているため、あっという間に僕の結婚のニュースが拡散した。
これは、クララに懸想する不埒な男どもの牽制になるだろう。
円卓の騎士を辞したいと願い出ると、殿下やローランドから猛反対を受けた。
そして、セラピーのことで、山ほどの謝罪を繰り返えされた。
とりあえず、休暇を取って考え直してほしいと言われ、一ヶ月の有給休暇を与えられた。
クララにも同期間の休暇を出すということなので、退職については一旦保留となった。
一ヶ月。ここが僕の頑張りどころだろう。
クララの心をガッチリつかみ、その体を虜にする。
僕の子を宿してもらい、侍女職は産休から退職へ追い込む。
結婚式は早ければ安定期に、遅くても出産後に内輪ですればいい。
女性としては、結婚式に憧れがあるだろうし、僕としてもクララの美しい花嫁姿を見たい。
子が出来れば自由に動けなくなることを思えば、この一ヶ月は、僕らのハネムーンと言っても差し支えないだろう。
新婚旅行として、一生の思い出に残るような計画が必要だ。
場所は、やはり外国がいい。仕事で急遽呼び戻されたり、友人たちにうっかり出くわさないような場所へ。
新婚旅行を、あいつらに邪魔されるのはごめんだ。
僕は早速、情勢が安定している西側各国から、女性に人気のある都市を選りすぐった。
そして、どこも一番高級な宿のスイートを、夫婦として予約した。
こういうときに、王室付円卓の騎士のコネと高給は役に立つ。
風光明媚な場所だけは馬車移動にして、それ以外の国移動は、転移装置を使わせてもらえる。
クララの負担を少なく、妊婦でも無理なく移動できるように。
そして、全ての準備が整うまで、僕は敢えてクララには会わなかった。
次に会ったら抱くと言ってあるので、それは旅行の初日に、ロマンチックな場所でと決めていた。
お互いに初めてなのだから、初夜はベタなくらいの設定がいいだろう。
寝室は、ピンクの薔薇で埋め尽くそう。早速、手配しなくては。
その数日の準備期間、僕は毎日、クララにピンクの薔薇の花束を贈った。
職場である王女の秘書室も侍女室も、寮の個室も薔薇でいっぱいになったらしい。
休暇中の引き継ぎのために王宮に出仕すると、部下がみな、生暖かい目を向けてくる。
上司の結婚を寿ぐなら、祝いの言葉くらい言ったらどうだ。
逆に、クララは職場中から、大々的に祝福されているらしい。
侍女寮では毎晩のように、女子会が開かれ、先輩から新妻の心得などを教わっているとか。
ヘザーも参加しているので、夜が遅くなるとローランドがボヤいていた。
あまり、あの夫婦のことは参考にしないで欲しい。
クララには、婚約契約のことも、休暇中は一緒に旅行することも、手紙で伝えてあった。
素直に喜んでくれているが、あんな予告をしてあるし、覚悟も期待もしているだろう。
上手くできる自信はないが、最大限の努力をしよう。
とりあえず、閨の指南書だけでなく、女性に人気の官能小説も読んだ。これは結構、参考になったと思う。
そんなこんなで、いよいよ旅行当日になった。
クララの荷物は、マリエルから各宿に送ってもらっているので、王宮から直接の出発だ。
初日から長時間の移動はきついだろうと、昼過ぎに馬車で王宮を出発し、夕食前には到着する国境の街で一泊する。
花の都と呼ばれる街だ。
侍女寮に迎えに行くと、クララ白いシンプルなドレスに、白いコートを羽織っていた。
まるでウェディングドレスのようだ。
ヘザーだけでなく、王女やローランド、殿下までも見送りにきた。
僕たちは見世物か! 散れ!
みなに何を吹き込まれたのかは知らないが、僕の手を取って馬車に乗るだけで、クララは顔を真っ赤にしていた。
とにかく、クララに婚約解消について言及する隙を与えてはいけない。
馬車が出ると、僕はすぐにカーテンを引き、クララを膝の上に座らせた。
恥ずかしいと抗議するクララをキスで黙らせ、キスの合間に、僕の生い立ちなどをポツポツと話した。
クララが何か言おうとするたびに、僕は唇でそれを塞いだ。
婚約破棄など、言い出させるものか!
キスを重ねるほど、僕たちは互いに夢中になっていった。馬車の窓は吐息で曇り、結露が流れ落ちるほどだった。
馬車の中での濃厚な触れ合いのせいで、宿に着く頃には体中が熱を持ってぐずぐずで、僕はかなり限界が来ていた。
宿にチェックインし、疲れたからと夕食を断り、明日の出発までゆっくりさせてほしいと頼んだ。
そういうことはよくあるらしく、なんの問題もなかった。
従業員はみな親切で、長時間に渡るキスで息も絶え絶えになったクララを抱きかかえていても、特に何も言われなかった。
そして、ピンクの薔薇の花びらが散らされた豪華なベッドで、僕はようやく、本懐を遂げた。
これでもう、婚約解消はない……と思いたい、たぶん。