占い師のおばあさん [クララの視点]
「占い師のおばあさん! どうしてここに?」
来賓室の大きくて豪華なソファーに、小柄な老婆がちょこんと座っている。
私を見ると、ニコニコと笑ってくれた。
「久しぶりだのう。元気じゃったかい?」
「ええ、まあ。でも、すごく色々なことがあったの! 話したことがいっぱいあって。近いうちに、会いに行こうと思ってたのよ」
「ほうほう。そりゃ、いいタイミングじゃったのう。王女さんから、友達の恋愛相談に乗って欲しいと言われて来たのじゃが」
そうだった。今日は王女様のおすすめで、占い師さんに恋愛運を観てもらうんだ。
「わざわざ来てもらって、ごめんなさい。占いの館のお仕事もあるのに……」
「ああ、気にしなさんな。あれは、『ばいと』じゃ。経営者と懇意でな」
「ええ? そうなんですか。じゃ、普段は別のところで占いを?」
「そうじゃのう。今回みたいに、『くらいあんと』に呼ばれて、個別に『せらぴい』する方が多いかの。なんせこの歳じゃ、『ふるたいむ』で働くのは厳しいで」
「そ、そうだったんですね。じゃあ、今日お会いできて良かった! 館に行っても、会えなかったかもしれないもの」
「いやいや、あんたが来るときは、いつもおるよ。前回もおったじゃろ。そういうもんだで、心配しなさんな」
おばあさんはそう言うと、またニコニコと笑った。不思議な人だ。
「あのね、おばあさん。私、あのときの占い通りに、三人の男性に巡り会ったの」
「おうおう。そうじゃろな」
「おばあさんの言った通り、みんなすごく素敵な人だったわ」
「ほうほう。そりゃ良かった」
「それにね、どの人も、その、すごく真剣に私を愛してくれたの」
「ええのう。『逆はー』ってやつじゃな」
「……そんないいものじゃ、なかったけど。明らかに、私には分不相応だったわ」
「おやまあ。お前さんは謙虚じゃのう」
おばあさんは私の話を聞いて、楽しそうにくっくっと笑った。
「だって私、ただの貧乏男爵令嬢よ? キラキラ素敵男子がこぞって奪い合うような、特別な要素はないもの」
「ふむ。まあ、言いようによっては、そうじゃな。あんたは普通の、真っ当な娘さんじゃ」
「そうでしょ? 話ができすぎだと思ったのよ。そうしたら、やっぱり裏があったの!」
「おやおや、それは穏やかじゃないのう」
「そうなの! みんな騙されてたのよ。洗脳されてたの」
「ふーむ、『えんちゃんてぃっど』ってやつかい?」
「それよ、それ! みんな、私を好きになるように、仕向けられてたの」
「ほっほっほっ。そりゃ、ご大層なことじゃな」
「ひどいでしょ? それ以外の選択肢を、潰されてたのよ」
「なるほどのう。そうじゃったのか」
「うん。すごく理不尽でしょう? だからね、私は……」
「誰も選ばんかった」
私が言う前に、おばあさんが先を続けた。
「そうなんです! 分かりました?」
「おう。知っておったぞい」
「え、なんで?」
「そりゃ、お前さん。わしの占いが外れたのは、これが初めてじゃしな。あのときは、いい加減な占いをして、すまんかったのう」
おばあさんは、きまり悪そうに頭を掻いた。
「ち、違うの! おばあさん、私はちゃんと、その三人うちの一人を好きになったの! でもね、それはね……」
「女神の選択肢からは、選ばんかった。そういうことじゃろ」
何でもないことのように、おばあさんは女神のことを口にした。
「おばあさん! 女神のこと、知ってるの?」
「それなりには、な。お前さんは宿命の乙女だと言ったじゃろ?」
そうだった。最初に私の正体を言い当てたのは、このおばあさんだったっけ。
「そうでした。じゃあ、おばあさんは、最初から知ってたんですね」
「巫女の生まれ変わり……ということはの。三つの選択肢つきの」
私は大きく息を吐いてから、先を続けた。
「ひどいチートです! 努力もせずに、自動的に栄光の未来を手に入れられるなんて」
「うーむ。どの道でも、お前さんは努力すると思うがのう」
「それはそうかもしれないけど、選ばれなかった人達は、無意味に私に縛られるんですよ」
「まあのう。全く無意味というわけでもないが。ただ、女神の祝福で約束された幸福……というのはないわなあ」
「とんでもないことだわ。 私のせいで、誰かの人生が制約を受けるなんて!」
おばあさんは私の手を握って、私の目を覗き込むようにして言った。
「人というのは、ある程度は、他人からの制約を受けるもんだ。お前さんが、知らずに女神の選択肢を選んだとしても、それはお前さんが誰かを不幸にしたというわけじゃないて。全ての人間を幸せにすることは、誰にもできないんじゃよ。それは覚えておいで」
小さいおばあさんの手から、暖かい熱が注ぎこまれたような気がした。
それは慈愛に満ちた、心を癒すような魔力の流れだった。
そして、おばあさんの言いたいことが、私にも理解できた。
どんな世界であっても、私一人ができることなんて限られている。
「……すみません。傲慢な考えでした。みんなに幸せになってもらいたくって」
「お前さんは、頑張り過ぎじゃよ。もっと力を抜きんさい。もう十分じゃろ」
「そうでしょうか」
「そうじゃよ。まさか、女神の試練を乗り越えるとはのう。お前さんの強さは、わしですら読めんかった」
おばあさんは、女神の試練のことも知っていたんだ!
誰も知らないと思ってたことを、誰かが見ていてくれたこと。それは私を安心させてくれた。
「おばあさん、ありがとう。おばあさんがいてくれて良かった。話を聞いてもらえて嬉しいです」
「話なら、いくらでも言うてみい。お前さんの相談に乗るのが、『せらぴすと』の役目じゃから」
おばあさんは手を離すと、またニコニコと微笑んだ。
「……好きな人のことなの。女神の宿命から外れたから、彼はもう私のことは、何とも思ってないかもしれない」
「どうして、そう思うんじゃい?」
「だって、他の二人は、私のことなんてもう気にもしていないもの」
「そうかのう?男は案外『ぴゅあ』なもんだぞい。初恋の女性は、一生忘れんよ」
「いえ、いいんです、彼らは忘れてくれて」
「ほっほっほ。ほらの。女の方が薄情なもんじゃ。『うわがきほぞん』って言うやつじゃよ」
「……おばあさん、そんな流行り言葉、よく知ってますねえ」
私が感心したように言うと、おばあさんは苦笑した。
「そりゃあ、毎日毎日、女学生さんの恋愛運を占ってりゃあのう。わしとておなごじゃし、恋バナくらいできるわい」
「あ、そうですね、確かに」
おばあさんも誰かに出会い、恋をして、泣いたり笑ったりして、頑張って生きてきたんだろう。
「それで、お前さんはその彼と、どうしたいんだい?」
きちんとは、考えたことがなかったかもしれない。私はカイルとどうしたいんだろう。
「彼を自由にしてあげたい。任務で私と婚約してくれたけど、他に好きな人がいるみたいだし。女神の矯正力がなくなったら、もう私に関わる理由もないし」
「お前さんは、それでいいのかい?」
「もちろん、嫌よ。だから、振り向いてもらえるように、いつか好きになってもらえるように、これから頑張るつもりなの」
「そりゃ、お前さんらしい考えじゃ。じゃが、相手の気持ちを確かめずに、勝手に一人で突っ走るのは良くないのう」
「そうなんだけど、彼の気持ちを確かめるのが怖くって」
「それは、誰でも同じじゃよ。逆に言えば、その彼も、お前さんの気持ちを確かめるのが、怖いかもしれんよ」
「そうかしら。そうなのかな?」
そのときドアがノックされ、カイルが来賓室に入ってきた。
「すみません、まだ、お話中でしょうか?」
「いやいや、もう大方、終わったようなもんじゃ。構わんから、座りなされや」
おばあさんがそう言うと、カイルは騎士の礼を取った。
「王太子殿下の円卓の騎士長を務める、カイル・アンダーソンです。私事でわざわざ王宮までお運びいただき、恐縮です」
「いやいや。ついでがあったもんでな。そうかい、あんたがこの子の婚約者かい」
カイルは私の隣の腰かけると、息をするように自然に私の手を握り、私を見て微笑んだ。
私は驚くやら嬉しいやらで、頬が火照ってくるのを感じた。
「はい。お呼び立てしておいて、申し訳ないのですが、この度はどうも、上との間で行き違いがあったようで」
「そのようじゃな。まあ、友人を思っての行動じゃ。大目に見てやっておくれ」
「……はい」
「それより、不肖の弟子が、迷惑をかけたのう。わしからも詫びを入れる。このとおりじゃ」
おばあさんは、小さい体をさらに小さくして、頭を下げた。
弟子? カイルは、占い師の弟子に知り合いがいるんだ。
「頭を上げてください! 私は、何もしておりません。全ては、レイの力で……」
「ふん。そうかの?それなら、逃げることあるまいて。あれも、失敗じゃな。弟子に恵まれんのは、わしの不徳の致すところじゃ」
「いえ、あの。レイは今、不在で」
カイルがそう言うと、おばあさんは眩しそうに目を細めた。
「いい男じゃ。惜しいのう。私があと20歳若かったら、このまま連れて帰るんじゃが……」
「ちょっ! おばあさんっ!それはダメ!」
私が慌てて制すると、カイルが私の手を握る手にぎゅっと力を込めた。
それを見て、おばあさんが私にウィンクした。
「冗談じゃよ。じゃが、魔法が消えたのは残念じゃった。わしのいい後継者になったろうに」
「……恐れ入ります」
カイルが頭を下げた。
え? カイルって、占い師の弟子になりたいかったの? それは新しい情報だわ!
「まあ、お前さんたちは、『こみゅにけーしょん』が足りないだけだて。王女さんには、そう言っておくきな」
おばあさんが席を立ったので、私は急いで聞いた。
「おばあさん、また会える?」
「ああ、いつでも遊びにおいで」
おばあさんはそういうと、一瞬にしてその場から消えてしまった。
「クララ、彼女と知り合いなのか?」
「占い師のおばあさんよ。カイルこそ知ってるの?」
「……ああ、あの方は、レイとシャザードの師匠。西の賢者だ」
えええ! 賢者様!そんな偉い方だったんだ! どうしよう。おばあさんなんて呼んでしまった!
オロオロと困惑する私を、カイルは不思議そうな顔で見ていた。
「僕が来るまで、何を話してたの? 」
「え? 色々と相談を……。そうだ、婚約のことなんだけど」
女神のことは カイルには話せない。私はとっさに、思っていたことを口にした。
「婚約解消を」
「しない」
「……婚約破棄は」
「いやだ」
あれ? 即答なの? な、なんで? この話、したことなかったよね?
腑に落ちないというのが顔に出ていたのか、カイルは私の両手を取って言った。
「殿下たちに何を聞いたか知らないけど、すべて誤解だから。婚約は解消しない」
「え、でも、それじゃ、カイルが……」
「婚約破棄も認めない。それと、次は絶対に君を抱くから。話はその後にしてくれ」
は、はい? え、えええ? えええええ!
カイルはそれだけ言うと、私の手にキスをしてから、来賓室を出て行ってしまった。
私は、カイルがキスをしてくれた手を見つめたまま、呆然と立ち尽くしていた。