カップルセラピー
僕は今、殿下の応接室のソファーに座っている。
目の前には、多少気まずそうにしている殿下と、この成り行きを面白がって、ニヤニヤ笑っているローランドが座っている。
「お前の気持ちは分かるんだが、これはセシルが言い出したことで」
目が泳いでますよ、殿下。そんな言い訳が、通用すると思いますか?
「いいじゃないか。女子のお遊びくらい、付き合ってやれば」
そんなことを言えるのは、全くの他人事だからだ。それじゃ、お前がやってみろ!
「セシルから聞いたが、本当にクララとは……、その、何もないのか?」
ありましたよ。ただ、一線は超えてませんが。それが何か?
「殿下、そこはデリケートな問題だし、単刀直入に聞くのはどうかと思いますよ」
どの口が、デリケートなんて言う。発情した猿のくせに!
「あ、そうだな。すまなかった。あのクララに……と思うと、信じられなくて」
何を想像されたんですか。場合によっては、ぶった斬りますが?
「いや、あいつだから……っていうのはある」
今度クララをあいつ呼ばわりしたらどうなるか。覚悟しておけ!
「そう言われれば、そうだな。うん。それは分かる」
何が分かるんですか。理由を言っていただけませんか?それとも、死にたいですか?
「だよな。俺だって、手を出せなかったし」
手を出してたら、お前は今、ここにはいなかったから。すでに棺桶の中だ。
「しかし、それは理性の問題で、本能のほうじゃないだろう、普通は」
どういう意味ですか。理性が働かなければ、クララを本能の対象にしていると?殺す。
「そこなんだよ、俺が解せないのは。普通じゃないよな?」
本能だけで生きてるお前に、理性が理解できないのは当然だろうが。脳を使え!
「ああ、だからだろうな。セシルがこんなことを考えついたのは」
これは私のせいだと言ってますか。この期に及んで責任転嫁とは卑怯千萬!
「だと思いますよ。こういうのは、心の問題ですから」
下半身で生きてるようなお前の、どこに心なんてものがあるんだよ。この色ボケが!
「やはり、カウンセリングは必要だろうな。二人のために」
僕たち二人の問題に、なんでカウンセラーが必要なんですか。おかしいだろ?
「そうそう。トラウマなんかは、カウンセリングで治療できるものだし」
だから、何のトラウマだと聞いているんだよ。そんなものはない!
「トラウマか。精神的な病というものは、自覚がないらしいな」
忠実な部下を捕まえて、精神病扱い。いますぐ円卓を辞めさせてもらう!
「今は、いろんなセラピーがありますからね。完治は難しくないと」
すでに患者にされてますが。頭がイカレてるのは、お前たちのほうだろうが!
「最近、よく報告を聞くな。スピリッチュアルとかいうやつだが」
魔法のある世界で、今更、何ががスピリッチュアルですか。考えて話してんのかよ?
「そうそう、催眠療法とか前世療法とか、あー、インナー・チャイルドだっけ?」
そういうのは、慎重に検討しないと、新興宗教が絡んでいる場合もある。世情に疎すぎだ!
「なるほど、つまり現代病ということだな」
結婚前に一線を超えないことが、なぜ現代病なんだ!むしろ、意味的には真逆だろが!
「らしいですね。過労というのも、原因の一つだとか」
過労。お前が浮かれて仕事しないから、こっちにとばっちりが来てるんだよ!
「それはまずいな。王宮がブラックだというのは、非常にまずい」
そりゃそうですね。上司はあなたですから。部下の過労死は、あなたの責任ですから!
「王女様は、そこを懸念されたんだろうな。さすがだよ」
話が見えない。クララと過労が、どう関係するんだ!
「確かにな。訴えられる前に、先手を打ったということだ」
意味がわからない。僕たちの恋愛が、なんで王宮を訴えるという話になるんだ!
「そういうことですね。もし、このせいで婚約破棄になったりしたら、裁判では王宮が負けますよ」
不吉なこと言うな。なんで、婚約破棄なんてことになる。どう考えてもおかしいだろ?
「その通りだ。やはり、女性には重要なことだからな」
貴族社会では、婚前交渉はご法度だろう。むしろ未婚者には処女性を重んじているじゃないか!
「下手したら、女としての存在否定にもなるし」
ちょっと待て。話が大げさ過ぎる。なんでそんなことになるんだ!
「うむ。貴族社会での立場も、微妙になるだろうな」
おい、話が噛み合ってないぞ。なんで未婚処女が、微妙な立ち位置になる?
「ああ、社交界のおばさま方は、うるさいからなあ」
社交界なんて関係あるか。ゴシップになるようなことをしていないのに!
「そういう意味では、私たちも安心はできないのだが……」
ああ、王女とは白い結婚ですからね。心配しなくても、僕らは普通の結婚ですよ!
「いや、しないとできないというのは、違うでしょう」
何ができないって?いや、いずれはするから。まだしてないだけで!
「それはそうだ。やはり、セシルたちの判断は正しいな、うん」
「ヘザーも心配していたから、これで安心するでしょう」
目の前の二人は、僕たちに対する王女の理不尽な要求について、なぜかすっかり納得したようだ。
今や、ニコニコと笑顔を向けてくる。気持ち悪い。
僕が黙って聞いているのをいいことに、好き勝手なことを言っていた。しかも、それにはまったく理屈が通っていない。
「さっきから聞いていますが、一体、何の話をしてるんです?僕たちには、胡散臭いセラピストに、カップルセラピーを受けさせられるような理由はない!」
僕がそう言い放つと、殿下とローランドは顔を見合わせた。
そして、二人して、とんでもないことを言ってきたのだった。
「だって、お前……クララに勃たないんだろ?」
殿下とローランドを蹴り飛ばしてから応接室を出ると、廊下でレイに会った。
偶然かと思ったが、どうもそわそわとしていて、様子が変だ。
まさかこいつも、あいつらと同じことを言いに来たのか?
……殺す。
「なあ、お前の婚約者、今、来客中って本当か?」
僕は思わず、レイを睨みつけた。
先にクララが入り、その後で僕が合流することになっている。
彼女はすでに、カップルセラピーとやらを受けているはずだ。
「そうだが、何か。問題でもあるのか?」
僕はレイに何も言わせないように、牽制を込めて返事をした。
レイは珍しくビクビクした感じで、僕の態度に目を丸くした。
「いや、問題はないというか……。で、お前も会うのか?その客人に」
クララのほうが、すでに始まってるんだ。僕がすっぽかすわけにはいかないだろう。
「ああ」
まさか機能不全疑惑でのセラピーだとは思わなかった。
そのセラピストとやらは、ヤツラに何を聞いて、クララに何を言ってくる気なのか。
考えただけでも、頭に血が上る!
「そ、そうか。じゃ、頼まれてほしいんだが……」
なんだよ?お前も相談があるのかよ。機能不全どころが要減欲だろが、お前の場合は!
僕はムカムカしたまま、ぶっきらぼうに答えた。
「あ?なんだよ、面倒くさいな」
「いや、たいしたことじゃないんだ。その、俺のことを聞かれたら、今は不在だと言ってほしい。俺はこれからしばらく、旅に出る」
どういうことだ。カップルセラピーなんてものをする怪しいセラピストが、なんでレイのことを聞いてくるんだ?
「……知り合いなのか?王女が呼んだと聞いているが」
僕の答えを聞いて、レイがビクッと飛び上がった。
なんだなんだ。どうしたんだ。
「お前、その人が誰か知らないで、会うつもりだったのか?」
「ああ、誰なのかは聞かされていないし、話す内容もさっき知ったばかりだ」
くっそ、なんでクララの前で、機能不全疑惑なんてことを、他人と話さなくちゃいけないんだ。
今すぐ死にたいくらいだ。
「……マジかよ。セシルのやつ、何考えているんだ?」
「何のことだよ。誰なんだよ、そのセラピストってのは」
大きなため息をついてから、レイは一気に言葉を吐き出すように言った。
「俺とシャザードの師匠だ。西の賢者だよ」
そして、そう言うとすぐに、レイは裏門のほうに向かって、逃げるように走り去っていった。