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男たちの本能

「なかなかに美しい方だったな」


 僕は殿下の言葉に、耳を疑った。それはどういうコメントだ?


「それは、あの未亡人のことでしょうか。商家の出だそうですが」


 テロから、一ヶ月が経とうとしている。


 ここ最近、殿下はあのとき命を落とした騎士や兵士たちの遺族を訪問している。殉職に対する報奨や今後の家族の生活保障を、約束して回っているのだ。


 いわゆる、慰問というものだった。


 殿下は親身になって、遺族の相談に乗っている。あの場にいた王族として、部下を守れなかったことに対する謝罪ということだ。


 それ自体は、特におかしいわけではない。


 おかしいのは、殿下がたまにズレたことを言うことだ。たとえば今のような。


「ご夫君は近衛だったか。あんなに美しい奥方を遺して、さぞ心の残りだったろう。できるだけの援助をしてさしあげたいものだ」


 少し遠い目をして、殿下はそう言うけれど、何か非常に怪しい感じがする。


 それと言うのも、殿下がそういうことを言うのは、たいていが若くて美しい遺族の女性に泣かれ、それを慰めた後だったからだ。


 国王陛下の不在時に王宮を守っていたのは、王太子殿下の配下の者たちだった。


 当然に年齢も若く、未亡人や婚約者もみな若い。


 貴族の娘なら、一度は殿下に憧れたことがあるはずだ。殿下の訪問に感極まって泣くものが後を立たない。

 中には、あからさまに殿下にしなを作る者もいるが、そういう場合は、殿下はうまく躱している。


 問題なのは、殿下の訪問を、夫や婚約者の誉とうけとめて感謝するような場合。

 どちらかというと、健気で従順でおとなしい感じの、身分の低い女性たちなのだ。


 そして、他に共通点があるとしたら、たぶん殿下の好みの真ん中をいくような容姿の持ち主たちだった。


 詳しく言えば、守ってあげたくなるようなたおやかな感じの。

 セシル王女とは、真逆のイメージというのだろうか。


「若くて美しい方でしたので、いずれは望まれて、再嫁されるでしょう。喪が明けた頃を見計らって、良縁をお世話してはいかがですか?」

「ああ、そうだな。考えておこう」


 口ではそう言っているけれど、殿下はどこか上の空だった。


 男としては、なんとなく殿下の考えていることは分かる。

 自分で世話をしてあげたいと思っているだろう。


「殿下、恐れながら申し上げます。セシル王女との婚約が整ったばかりで、他の女性のことを気にされるのは……」

「大丈夫だ。心配ない。正妃を持つ前から、側室のことは考えていない」


 誰も、側室ことは言っていませんが。


 それはつまり、今日のご婦人を、いずれ後宮に召されるつもりなのだ。


 僕はため息をついて、頭の中の側室候補リストに、新たな名前を書き込んだ。


 それにしても、殿下というのは、意外と情に脆い人なのかもしれない。


 リストの中には、遺族の妹などの未婚の令嬢は一人もいない。みな、子どもがないまま、夫や婚約者を失った身分の低い女性ばかりだった。


 まあ、もちろん、容姿の好みで選んでいるというのも否めないが。


「お前こそ、クララとはどうなってるんだ?まともに会ってないだろう」


 誰のせいだと思ってるのか。殿下がこうやって、僕を仕事漬けにするからでしょう。


「私の心配は無用です。殿下こそ、王女様とは婚約前と全く変わりないようですか?」

「おいおい、私たちは婚約前から、ずっと寝室を共にしているだろう。閨で色々と、大切な話をしているんだよ」


 それは嘘ですね。別室で夜を過ごされているのは、側近たちには周知の事実ですが。


 殿下と王女は、ずっと白い婚姻を貫くつもりだろう。お互いに合意の上なので、僕が文句を言うことではないが。


「それは、失礼しました。ご婚約者様と仲睦まじいのはよいことですね」


 私の心を読み取ったのか、殿下は笑いを噛み殺したような声で言った。


「確かにな。だが、ローランドはやりすぎだろう。職場恋愛は禁じてはいないが、一度注意をしておくべきかな」


 ローランド。盛りのついた猿。


 テロのときに、ヘザーに許しをもらったローランドは、あれからかなりタガが外れている。


 人前でベタベタしているわけではないのだが、若い男女のことだけに、情熱までは隠しきれていない。


 王女の秘書室と打ち合わせをした後は、ローランドは妙にご機嫌で、いやにすっきりした顔をしている。

 だいたい何があったか想像できるが、みな、生暖かく見守っている状況だった。 


「いっそ、王宮に一緒に住まわせてはいかがです。結婚式まで待機しているだけで、事実上夫婦なのですし。かえって落ち着くかと思いますが」

「いい案だな。早速、セシルに相談しよう。次期宰相夫妻に、ふさわしい部屋を用意しないとな」


 さすがに寝所を共にすることになれば、人目を忍んでアレコレとコトに及ぶ必要もないだろう。

 子宝にもすぐに恵まれそうだし、公爵家にとっても悪い話じゃない。


「お前もクララと一緒に住むか?それなら……」

「私のことは心配いただかなくて結構です」


 ちょうど執務室までたどり着いたので、僕は早々に話を切り上げた。護衛はここまででいい。


 執務室をちらっと覗くと、上機嫌のローランドがいた。


 今日もか。デレデレと鼻の下のばしやがって。お前の恋愛脳のせいで、こっちは殿下にいじられる羽目になってるんだぞ。


 少しは自粛しろ。この猿が。


 僕は、むかむかした気持ちを抱えながら、騎士室へと急いだ。


 円卓の騎士長は僕のままだったが、殿下のお供で王宮を空けることが多い。

 留守中は副長として、レイが騎士たちを監督している。


 騎士室に入ると、騎士長室から若いご令嬢が出てきた。目がトロンとしていて、頬が赤く上気している。


 僕に気がつくと、慌てて淑女の礼を取ったが、乱れた髪や着衣のシワからすると、ずいぶんと激しい運動をした後のようだった。


 またか。僕は心底うんざりした。


 メイドや侍女たちだけではなく、あんな初心そうな令嬢にまで手を出すとは。


 レイは一体、何を考えているのか。


 騎士長室に入ると、レイがくつろいだ感じで、僕の席に座っていた。


 おい、まさか、僕の椅子の上で……。


 イライラする僕とは正反対に、レイは白いシャツをかなり大きくはだけたままで、不敵な笑みを浮かべた。

 この笑顔に落ちない女はいないと思う。それは分かるが、それにしても節操がない。


「早かったな。ここは俺にまかせて、ゆっくりしてきていいぞ。婚約者殿に会いに行ったらどうだ?女は可愛がってやらないと、すぐに逃げられるぞ」


 どいつもこいつも。僕のことは放っておいてくれ。


 だいたい、お前は四六時中、女を可愛がりすぎだろうが! しかも、とっかえひっかえで。


「いい加減にしたらどうだ。次から次へと女を引っ張り込んで。王女の耳に入ったら厄介だぞ。遊ぶのもいいかげんにしろよ」

「ああ、今の女のことは気にするな。あれは俺の婚約者だよ。辺境泊のご令嬢だ」

「何だそれ。お前、結婚するのか?王女様は?」


 僕の反応の何が面白かったのか知らないが、レイは楽しそうな笑い声をあげた。


「王女様のご命令さ。この国で騎士になるなら、爵位は必須だってな。わざわざ婿養子先を世話してくれたのに、断れないだろう。それにさすが王女だ、俺の女の好みをよく分かってる」

「お前、正気か?王女の悋気は相当なものだぞ」

「心配するな。過去の鐵は踏まねえよ。それに王女だって対面がある。王族の正妃が未婚の男を侍らせれば醜聞になるし、禁欲生活のせいで俺が暴走すれば、間違いが起こる可能性もある。俺が妻帯者のほうが、色々と都合がいいんだよ。いい隠れ蓑にもなるしな」


 頭が痛くなってきた。


 つまり、こいつは、結婚しても王女様にべったり忠誠を尽くすということか。

 主君の奥方を敬愛するとか、どこの中世の騎士道だ。それを前提に、あのご令嬢と結婚するのか?


「不誠実だな。あのご令嬢に失礼だろう。考えを改めろ」

「相変わらずの堅物だな。王女の紹介だぞ?あの令嬢はすべて承知の上さ。それでも、俺がいいって言うんだ。かわいいじゃないか。父親も王室との強いコネを望んでいるし、一人娘に爵位を継げる孫が生まれりゃ、俺に感謝するどころじゃないぞ」

「俺には理解できない。勝手にしろ」


 僕がそう吐き捨てると、レイはちょっと肩をすくめた。


 もうこいつのことは知らん。


「まあ、そう言うなよ。俺のことより、お前のことだ。いずれ結婚するからと、慢心するのはよくないぞ。愛しているなら、伝えてやれ。もうなんの障害もないんだ」


 レイの言葉に、僕は一瞬、動きを止めた。


「……気づいてたのか?」


「まあな。殿下とローランドの様子を見れば、だいたいのことは察しがつく。魔力がなくなったといっても元魔術師だ。その辺の知識は、お前より深いぞ」


 あのテロで、僕たちは魔力を失った。だが、消えたものは魔力だけではない。


 分かるものには分かる。自分の精神から大きな枷が外れたと言えばいいのか。そういう感覚があった。


 色々なことが変ったように、クララの気持ちも変わってしまったかもしれない。

 変っていないのは僕の気持ちだけで、クララの気持ちがそのままだという保証はない。


 僕は逃げている。真実を知るのが怖くて。


「なんでもいいが、後悔するようなことはやめろよ。前で懲りてるだろ」


 レイはそう言うと、僕の肩をぽんと叩いてから、騎士長室を出ていった。


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