ナタリー
少しずつ慣れてきた1日の流れ。
起こされて着替えさせられて食事をする。
はじめはナタリーさんのうぐいす色の髪に緑の瞳という奇抜な色合いに驚いたけど、今はもう見慣れた。
さすがに朝から見てれば慣れる。
それに、1番出会うのがこの人だ。次いで、夜にだけ会う執事のバルトさん。
他にも働いている人が居るようだけど、父も含めて誰にも会う事がない。
どこで何をしてるんだろう……。
まるで忍者かのようにひっそりとして、物音すら聞こえないのだ。
そのあとは夜の夕食までやる事は特にないらしく、リリアーナの部屋で大人しく過ごす。
昼食は? って思ってたんだけど、どうやらここでは一日2食らしい。
それがここでの習慣なのかリリアーナの家だけかは分からないんだけど……。
でもでも、こんなんじゃますますガリガリになっちゃうよ!
今は絶賛成長期なのだ。
顔色の悪さはほんの少しだけ良くなったようにも見えるけど、足や腕の細さが尋常じゃない。
ベットに寝てばかりで筋力が落ちたのも理由だとは思うけど、まずはたくさん食べて体力をつけなくちゃ。
ぼんやりと窓を見ていると、日が天辺に昇ったのか、カーンカーンと鐘の音が響く。
それを合図にナタリーさんが軽食という形なのか、色味も味も薄い紅茶と真っ赤なバナナみたいなのを出してくれる。
毎日これしか出されないんだけど、他のは無いのかな?
もっと色んなのが食べたい。向こうとは違う見た目をしているから、どんな新しい食材があるのかワクワクする。
テーブルに置いて下がろうとするナタリーさんに、パンも欲しいと頼んだ。
相変わらず味も固さもいまいちなんだけど、とりあえずはこれで凌いでいこう。
それにしてもやる事がない……暇すぎる……。
赤バナナとパンを完食してしまうと、また憂鬱な時間が訪れる。
せめて本でもあれば良かったけど、リリアーナの部屋には何も無い。
文机はあるのに紙も無いしペンも無い。女の子らしいぬいぐるみだとかの装飾品ですら無い。
木製の開き戸タイプの洋服タンスには、服が5枚だけかかってるけどそれだけ。
家の中の探索に行きたいけど、下手に動いてボロが出そうで怖い……。
……うん、やっぱりもう少し情報を集めてからにしよう。
それから夕日が半分くらいになると、ナタリーさんがやって来て部屋に灯りを点し、夕食へ。
塩辛いお湯のスープと、朝にしか焼かないのかパサついて固いパンを食べる。
スープに浮いてる細切れの野菜だけは残さない。
これさえも食べれないとますます不健康になってしまう。
傍に控えるナタリーさんも、まずは食べてくれていることに喜んでいるようだ。
ただし、お肉は無理。
好き嫌いなんて問題じゃない。大きいし硬いし臭いし、食べられたものじゃない。
でも毎回残すのももったいないよね……と思って聞いてみれば「お嬢様方が残された物は私達が頂いております」と笑顔。
え? 人の食べ残しを!? と、戦慄を覚えたけど、指摘したところでわたしが食料を買えるわけじゃない。
そっと頷きながら、次からは食べない場合は手をつけないでおこうと誓った。
そうして夕食が終わり、2日に1回はお風呂。
そう、毎日じゃないんだよね……。
しかも石鹸もシャンプーも何も無いの!
ただお湯を張った木製の盥に入って、ナタリーさんが布でゴシゴシと擦ってくれるだけ。
汚れが落ちた気がしない。
しかも髪も頭からお湯かけただけだから、べったりとした脂っこさが残ってるし、毛先はパッサパサになってる。
……ひどい! 女の子なのに!
「ナタリーさん、石鹸はないの?」
「せ、っけ、ん? で、ございますか?」
首を傾げるナタリーさんに、手でこのくらいの大きさだと伝える。
更に不可解そうな顔をされたけど、欲しいので諦めない。
「そう。こんな形ので、頭とか体を綺麗にする物なんだけど、ない?」
「さぁ……上級の貴族の方々はあるのですかねぇ? 私には分かりませんが、バルトさんに聞いてみますか?」
「ううんいい。ありがとう」
無いのか……。
この(無い)が、我が家だから無いのか、この世界というか国だから無いのかは分からない。
困惑してるナタリーさんに、暖かくて気持ちいいと伝えると、ほっとしたように笑った。
入浴が済めば寝巻きに着替えさせてもらい、紅茶を飲んで一休み。
その間に、執事のバルトさんがやって来て、わたしの体調や変わったことは無かったかを確認していく。
母が亡くなった後から、リリアーナは食が細くなり、ベットに伏せることが多かったらしい。特に、表情も無く話すことも減っていくばかりで、母のように天へと昇るのでは……と、ブラウン家としても気が気じゃなかったようだ。
今はわたしになったので、少しは食事量も増えている。
「――――という感じで、リリアーナお嬢様はお過ごしになられました」
部屋に居てばかりなので、ナタリーさんの報告は食事量についてばかりだ。
ほぼ変わり映えの無い内容だけど、こんなに食べただとか嬉しそうに話すから、聞いてるわたしも嬉しくなる。
もっと頑張って食べよう! あ、お肉を薄切りにしてもらえるように言わなくちゃ。
「そうですか。つつがなくお過ごしになられたようですね」
定例の報告を終え、穏やかな笑みを携えたバルトさん。
一日働いていただろうに、オールバックの銀髪は乱れを知らない。
そのまま礼をして部屋を出ようとする背に、わたしは慌てて声をかけた。
「バルトさん待って!」
暇で暇で仕方がない日中の暇つぶしグッズが欲しい。
踵を返しかけていたバルトさんがゆっくりと振り返る。
「バルトさん、わたし昼間することが無いの。本を借りれませんか?」
積み木とかでもいいんだけど……。
本が無かったら別の案を出そうと逡巡していると、バルトさんの眉間にわずかに皺が寄った。
珍しい……いつも微笑みを忘れない人なのに……。
「リリアーナお嬢様……」
ふっと表情を戻したバルトさんは、真摯な灰色の瞳を向けてきた。
「私共は使用人です。名をそのまま呼べば良いのです。それから、命令ではなくお願いをするのも、この家のお嬢様として相応しくございません」
やれやれ、と言うように首を振る。
ごめんなさいと言いそうになって、慌てて口を押さえる。
これもダメだって言われたんだった。
わたわたとしているわたしから、今度はナタリーさんへと視線を向ける。
その瞳は厳しい。
「マナーの先生はリリアーナお嬢様の体調をみながら頼む予定です。ですが、それまでに出来ることを教えるのもあなたの仕事ですよ」
チクリ、と言われたナタリーさんは、ちょっと肩を竦めただけだ。言い訳も謝罪も一切しない。
これが前の――ここに来る前のわたしの職場だったなら、上司からの罵声が飛んでいただろう。どんなに理不尽だろうと嫌だろうと、とりあえず謝っておかなければならない職場だったから……。
そんな事を思い出してるうちも、2人はお互いを見つめ合っている。
いつまでもその姿勢を崩さないナタリーさんを見て、バルトさんも何も言わず、小さくため息をこぼす。
……2人の力関係ってどうなってるんだろう?
執事なのだから、役職的にはバルトさんの方が上の立場だろう。
けれど、ここ何日かのやり取りから見るに、どちらかというとナタリーさんの方が強いきがする。
まぁただ単に、2人の話す内容がわたしの事だけだからそう見えるだけかもしれないけど……。
「そのうち覚えますよ」
ナタリーさんがひょいっと肩を上げた。
なんて事ない、というような姿を見て、バルトさんはこめかみの辺りをおさえる。
「そのうちでは困るのです」
「お嬢様が覚えたくなったら覚えますよ」
「覚えたくなったらではなく、侍女頭として主を支えるのがあなたの仕事でしょう」
笑みを浮かべたまま対峙している。
……気まずい……。
わたしが謝ってしまえば終わりだろうけど、昨日それをしたらバルトさんに「使用人に対して謝罪を口にしてはいけません」と注意されてしまったので口を噤む。
けれど、向かい合っていたのも束の間。
ナタリーさんが終わりを告げるように毅然と言い放つ。
「まずは健康第一。食事も以前より召し上がっています。全てはそれからです」
こう言うと、バルトさんは何も言い返さない。
にこやかに笑むナタリーさんと、口を引き締めるバルトさん。
バルトさんも、ガリガリにやせ細り床に伏してばかりのお嬢様は見たくないのだ。
でもきっと、それでもそれ以上に今後の事が心配でならないのだろう。
ナタリーさんはぽっちゃりとした人で、バルトさんはいかにも執事です、と言った感じにピンと背筋が伸びた細身長身。
でこぼこな見た目と同じく、わたしへの教育方針も相違があるようだ。
「そもそも、マナーの先生なんて呼べるのかい?」
「それは、……旦那様と相談中です」
「ほらね、すぐには無理じゃないか。うちのどこにお嬢様の先生を雇う金があるって言うんだい?」
口ごもるバルトさんに、口調も荒くなったナタリーさんが言い募る。
……やはり、というべきなのか……我が家はお金が無いようだ……。
「とにかく、焦ったって仕方ないんだから、先生が来ると決まるまでは今のままでいいじゃないか。金も無いんだし」
「……お金の問題ではございません……リリアーナお嬢様のお身体のこともありますし……マナーの先生のお時間が取れないという問題がございますし……」
ちらちらと、わたしを気遣うように見てくる。
子供の前で……とか、本人が居るのに……とか思ってくれているようだ。
でもそんな優しさは不要です。もし気遣ってくれるのなら壁の穴を塞いでくれませんか? 隙間風が入って寒いし、虫とか来そうで怖いのですが……。
ふんっ! と鼻息荒いナタリーさんに、バルトさんは挑むのをやめたようだ。
ちょっと咳払いをしてから、貴族然とした微笑みをわたしに向けてくる。
「リリアーナお嬢様がご所望されているのは、本、でございましたね?」
話題を強引に逸らすことにしたみたい。
とりあえず乗っておこうと頷く。
「では、まずは文字を覚えないといけませんね」
リリアーナは文字を覚えていなかったらしい。
そっか、それで本が無かったんだね。
「マナーの先生より前にまずは文字などを教える先生の手配を――」
「ちょっと待って!」
バルトさんが言い終わる前に口をはさむ。
ふぅ、あぶないあぶない……。
お金が無いとか、先生が雇えないとか話しているのを聞いていたのに、知らんぷりしてわがままを言うつもりなんてないんだから。
でもそっか……リリアーナが知らないって事はわたしが本を見ても読めない可能性はあるよね?
それに、例えばわたしが読めたとしても習ってもいないのにどうやって? と思われてしまう。
「ナタリーさんかバルトさん……バルトは文字の読み書きができますか?」
とにかく早く暇つぶしがしたい。
お掃除するとかでもいいんだけど、まだ食事がきちんととれてないからね……ふらふらなお嬢様がほうき持ってたって邪魔なだけだろう。
でも、字を覚えて本を読むだけなら自室に居るだけだしいいんじゃない?
あとは適度なお庭の散歩ができれば完璧。
ちょっとおかしな2人の呼び方にも、ナタリーさんは気にしないようだ。
「ええ、私もバルトさんもこのお屋敷で働くようになってから習いましたよ」
けろっと言い放つ。
良し! それなら大丈夫。
心の中でガッツポーズをとる。
「それならば、先生はいりません。2人の時間がある時に少しずつ教えてくれたら覚えますから」
「えっ!?」
声を上げたのはナタリーさんだ。
まさか……と思っているのだろう。
バルトさんは目を見開いて固まっている。
「先生を頼むにも時間がかかるでしょう? わたしはすぐに覚えたいのです」
そう、すぐに! 覚えたいのだ。
時間が余りすぎて困ってるの! お願い!
バルトさんは困ったように笑い、ナタリーさんはちょっと思案顔だ。
マナーのようなお貴族様向けの教養ではないから、大丈夫だと思ってくれているのかもしれない。
バルトさんが首を横に振る。
「リリアーナお嬢様……私共は使用人です。お嬢様のような尊き方にお教えする事などございません」
尊き方って……。
穴の空いた家に住み、先生も呼べないような家の者もですか?
きっとバルトさんは執事としての職務を犯せないんだろう。いくら言っても聞いてくれない気がする。
ならば、ここはナタリーさんに頼るのみ。
薄すぎて味のしない紅茶らしきものが入ったカップを机に置く。
椅子に浅く腰掛け、なるべく背筋を伸ばす。
手は膝の上に重ねて乗せて。
そして、まっすぐに相手の瞳を見つめる。
「ナタリー、明日から頼みます。読み書きの先生が見つかるまでで構いません」
そう、何もずっとなんて言わない。
先生が早く見つかって、我が家で雇えるならそれでいい。
それまでの間だけ。
……正直、見つかるとは思ってないけど……。
少しでもお嬢様に見えるように微笑みを浮かべる。
笑いすぎも笑わなすぎもダメ。
でも、相手から決して目を逸らさない。
マナーも無いし、そもそも寝巻きだし。全然かっこはつかないけれど、わたしがナタリーさんをさん付けで呼ばなかったのはこれが初めてだ。
初、お嬢様からの命令。
その想いは伝わるだろうか。
静かな時間が流れていく。
王都からのざわめきが、微かに聞こえた。
ふっと、視界からナタリーさんが消える。
下を向くと、子供のわたしよりも低くなるように、ナタリーさんがゆっくりと膝を折り曲げていた。
「かしこまりました、お嬢様」
深く、深く、体を沈める。
頭は下げすぎない。あくまで中腰にするだけ。
言い終わると同時に、綺麗に、ゆっくりと体を起こしていく。
恐らくそれが、下の者が上の者に対するときの礼儀なのだろう。
バルトさんが口を開いて何かを言おうとする。
けれど、結局は何も言わずに口を閉ざしてしまった。
「わたしはもう休みます」
ああ、そうだ……この家、歯ブラシも無いんだよね……。
椅子から立ち上がり、ベットへと向かう。
歯磨きはどうしようと思っていたら声がかかる。
「…………リリアーナお嬢様……」
くるりと振り向く。
バルトさんが片手を胸に当てて、90度に腰を折り曲げていた。
「お嬢様は、わたしではなく、わたくしと言わなくてはいけません」
ただのお小言ですか?
ちょっぴりふくれっ面になりそうになったら、そのままの姿勢で優しい声が落ちる。
「おやすみなさいませ、リリアーナお嬢様」
「……おやすみなさい、バルト……」
認められないくらい言われると思ったけど……。
家の中だけの事だからか、咎めはしないようだ。
ドアが音もなく閉まる。
ナタリーさんが布団を掛けてくれた。
「おやすみなさいませ、お嬢様。よい夢を」
「おやすみなさい、ナタリー。あなたもよい夢を」
ふっと明かりが消される。
ゆらゆらと動くナタリーさんの持つ燭台の火が、部屋に濃い影を作る。
カチャカチャと、茶器を片付ける音が止むと、光りが完全に消えてしまった。
窓のカーテンは厚い。
月の光も透さない。
けれど、王都に近い我が家は、その喧騒までは遮ってはくれない。
また明日、日が昇ると共にナタリーさんが来る。
それを楽しみに、わたしは瞳を閉じたのだった。




